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OgAz/水無瀬あずさ Portal~という名の自己紹介

こんにちは、OgAz改め水無瀬あずさです。システムエンジニア兼Webライターをやっています。

noteで自己紹介タグの記事が好きで、さまざまな方の経歴や生い立ちを拝見して楽しませていただいているのですが、ふと「あれ?私、今まで自己紹介って書いてない気がする!」と思ったもので、なぜかこのタイミングで書いてみようと思いました。ポートフォリオという言い方は好きではないので、ポータルサイトって扱いにしようかと。私という人間を知っている人も知らない人も、改めて「へ~こんな人なんだ~」って思ってもらえたら嬉しいです。(2024/09/5UPDATE)


水無瀬あずさってこんなひと

改めまして水無瀬あずさです。noteやWebライター開始当初からOgAzという名前でも活動しています。1979年生まれのひつじ年、自ら「女子」と呼ぶのはためらわれる妙齢アラフォー女です。既婚、子持ち。血液型は「典型的だね」と言われるほどのB型。性格はマイペースでせっかち、好きな食べ物はビールと生春巻き。好きな生き物はピカチュウです。

システムエンジニアです

ゴリゴリの文系出身ですが、新卒からシステムエンジニアをやっています。結婚して一時リタイヤしたものの、2018年から今の会社で社内システムエンジニアとして勤務しています。

現在はJavaScript/PHPで開発を行っていますが、Java/C#の業務経験があります。独学でTypeScriptとReact、Next.jsの基礎を習得しました。業務ではインターネット広告を扱っており、広告系媒体や業務アプリ系のAPIについての知見があります。技術情報はQiitaで共有しています。

Webライターもやってます

「冷蔵庫がそろそろ壊れそう」という危惧から副収入が必要になり、2022年1月からクラウドワークスで副業Webライターとして活動しています。冷蔵庫と炊飯器、ガス給湯器は無事買い換えられました。今は食器棚とガスコンロのために頑張っています。スタート当初は仕事がなかなか取れなくて苦悩しましたが、今ではかなり安定してきました。

Webライター業として得た学びをnoteで共有しています。同じように悩んでいる人の一助になれば嬉しいです。

エンジニア業とWebライター業、家事育児を両立させるためにどうするべきかを試行錯誤しています。デジタルもアナログもうまく活用しないとね。

Webライターのジャンルは、エンジニアや転職系、IT系、教育系、グルメ系などさまざまです。テーマやキーワードをとことんまで突き詰めて調べ、意見や事実をしっかり伝えるとともにAIにはまだ書けないような深い内容の執筆をするよう心がけています。

公開できる実績については公式Webサイトにまとめていますので、そちらをご参照ください。お仕事のお問い合わせもこちらから!

家族は夫と息子2人、横浜在住です

2つ年上の夫と中学3年生の長男、中学1年生の次男の4人家族で、横浜に住んでいます。長男が小学生の間は毎週「家族会議」をしていました。今でもコミュニケーションはかなり取っている方だと思います。

夫は同業者で、ITシステム会社のプロジェクトマネージャー(PM)をやっています。夫婦そろってコロナ禍でリモートワークになりました。夫は我が道を行く私とは正反対の穏やかな性格で、私が仕事で行き詰まったときや何かを始めようとしたとき、新しい視点を与えてくれる良き理解者でもあります。副業としてWebライターを始めたのも夫の助言でした。

中学3年、受験生の長男は思春期真っ盛り。カメラが趣味で、昆虫写真家になるという夢を持っています。中学校ではバスケ部に所属し、学級委員をやったり植物を育てたり何かと忙しそうです。地域活動として「ジュニア記者」「神奈川特命子ども地域アクタープロジェクト」に参加しています。得意科目は数学、将来の夢はデータサイエンティスト。行きたい高校に合格するため、スタディサプリで勉学に励んでいます。

次男は中学1年生、成長期で身長をとうとう追い越されました。プログラミングが好きで、Scratchでクリエイティブな作品を作ったり考えたりしています。「かせいじん」という謎のキャラクターを考案する独特の感性の持ち主です。兄とは別の地域活動で「ミニヨコハマシティ」というプロジェクトに参加しています。兄の背中を追うように学級委員になりました。

出身は三重、実家は名古屋です

生まれは三重県津市です。父がマスコミ関係の仕事をしていたため幼少期から転校が多く、小学校を3つ変わっています(岐阜→富山→三重)。友達ができなくて困ったとかいう経験はないので、おそらく問題なく過ごせていたのではないかと・・・。一度だけ、転校してすぐ上履きを隠されたことがありますが、主犯格と思われる人物に詰め寄って泣かせてやりました。転校生が泣き寝入りすると思ったら大間違いなのである。

中学からは何を間違ったか地元で「お嬢様学校」と名高い私立6年制の女子校へ進学したため、その間父は単身赴任をしていました。お嬢様学校でお嬢様になれないままめでたく卒業、関西学院大学へ進学。大学の近くで一人暮らしを始めました。専攻は文学部史学科日本史学専修、奈良時代を中心に歴史の研究をしていました。ド文系です。サークルは文芸部、軽音部。

大学で一人暮らしを始めたころに実家が名古屋へ移りました。2024年2月に父が急逝し、今は3つ上の兄が一人で暮らしています。母は認知症でグループホームに入っています。

就職氷河期世代です

楽しい大学時代から一転、最近もっぱら話題になる就職氷河期の末期だったため、就職活動で大苦戦しました。

マスコミ志望だった私は選考にことごとく落ち、泣く泣くシステムエンジニアの道へ足を踏み込む形になりました。今この年になってもエンジニアとして苦労なく働けていることを考えれば、この選択はかなり大正解だったわけなのですが、当時は「自分は落ちこぼれだ」と思えてとても辛かったです。でもこの挫折から学ぶことはとても多く、私の人生観を大きく変えるものでもありました。どんなことだって無駄じゃなかったということを、いま証明している形です。

オタクです

マンガ・アニメが好きで、セーラームーンにリアルタイムでハマっていた世代です。漫画を描いたりイラストを描くのも好きでした。大人になって離れていましたが、就職してからゲーム熱が再燃。今でも子どもたちよりゲーマーです。ただしヘタレ。

エンジニアになってからは、ストレス発散のためにアニメやゲームのコスプレもやっていました。衣装も手作り。ゴスロリ服も着ていました。若さってやつさ・・・

最近のゲームは画面酔いがひどくて長時間続けられないのが悩みです。

役員とかやっちゃうタイプです

子どもたちの幼稚園時代は、キャラ弁(デコ弁)を毎日頑張って作りました。やればできる。(この記事はnoteの「プロフィール」に固定してあったため「スキ」がとても多くなっています)

次男が「発達障害の可能性あり」と指摘されたことを受けて、子どもたちの幼稚園や学校での生活を少しでもサポートしたいという思いで、PTAなどに携わってきました。

PTAや親のかかわり方に是非はあれど、もとを正せば我が子を含む子どもたちが健やかに成長するためのサポートだと思うのです。改善すべきところは改善するとして、現状できることを粛々とやっていくしかないんじゃないですかね。

編集作業も好きなので、広報誌などの編集にも携わりました。自分の作ったものが多くの人の目に触れる喜びってプライスレスだと思います。

スタイリッシュぽんたの作者です

タヌキのキャラクター「スタイリッシュぽんた」(通称スタポン)は我が家のマスコットキャラクターでもあります。自分が使いたいがためにLINEスタンプも作りました。現在5作まで発売しています。

「ぽんた」から派生して「パンタ」「ピンタ」「プンタ」「ペンタ」が生まれた結果、謎のヒーロー・パピプペポ戦隊「タヌキジャー」が生まれました。キャラクター紹介は公式Webサイトにありますので、興味のある方は覗いてみてくださいね。

スタポンやタヌキジャーを世界に広めたいというわけでは全然ないのですが、こういう力の抜けた取り組みもたまには面白いかなと思って続けています。

よろしくお願いします

水無瀬あずさの属性を項目ごとに紹介してみましたが、いかがだったでしょうか。「思った通りの人だな」「意外だったな」「変な人だな」「関わりたくないな」などのご意見があるかもしれませんが、おそらくそのように感じたとおりの人間だと思います、私。昔から「キャラが濃い」「変なオーラ出してる」「コスプレ女王様」「思想が偏っている」など好き放題言われているので、きっとそういうことなんだろう。口は悪いけど自分の意見はしっかり持っているちょっと面倒くさい私です。仲よくしてください。

何層にも分かれて見えるのが人間というもの。私という多重的な人間について、少しでもお伝えできていたら幸いです。

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