【開催報告】心理臨床学会シンポジウム『精神分析的臨床のフロントライン(2)』
2022年9月、日本心理臨床学会第41回大会自主シンポジウムを企画し、100名以上の方にオンラインでご参加いただきました。参加してくださった皆様、本当にありがとうございます。
今年度のテーマは『精神分析的臨床のフロントライン(2)-精神分析的臨床の面白さ-』です。昨年度の『フロントライン(1)』では刑務所・ひきこもり支援・精神科病棟といった過酷な現場での精神分析的臨床をみてきました。今年度は「スクールカウンセラー」と「福祉領域」という臨床のフロントラインを取り上げることで、精神分析的臨床の「面白さ」に焦点を当てました。では当日の様子をどうぞ。
<話題提供と指定討論>
最初に日置先生から「スクールカウンセラー(以下:SC)」での実践をお話していただきました。SCは少ない勤務時間にも関わらず、支援対象者は圧倒的に人数が多く、職務も広範であることが特徴です。
日置先生は2つの事例を通してSCの実践を紹介してくれました。第1事例は、「担任から欠席が続く生徒の対応について相談を受けたケース」の創作事例です。この事例では、周囲の圧によって視野が狭くなっていた担任が、SCとの相談を通して思考が自由になっていく経過が鮮明に描かれていました。その後、担任教師は、生徒や家庭の心情を想像した上で何をするのが良いかを考えられるようになっていきます。職員室での3分間コンサルテーションでした。
第2事例は中学校の「教育相談部会」です。過去の部会は、最低限の生徒情報を共有することだけが目的化し、会がスキップされたり、定刻になっても人が集まらないこともあったようです。こうした状況の中で、初め、SCは事例理解や支援をないがしろにされているような不快感や傷つきを抱いていましたが、それらの陰性感情が「教室にいられなくなった生徒たちや、十分な時間もサポートもない中で、理解できない事態への対処を求められる教員のそれ」と通底していることにも気づき、会にコミットし続けます。そして、そのような状況のなかでも教員と一緒に頭を抱え、話し合い、対処し続けた結果、徐々にワーク・グループとして機能するようになった、という話でした。
日置先生は2つの事例を通して、精神分析的理解が個別の事例や組織の集団心性を理解する上でも、関わり、考え、動き続けるためにも役立つことを示してくれました。また、日置先生からはSC業務を通じて「助言」に対する提案がありました。私たち心理職は教育・訓練過程で「助言しない」という態度を自然と身に着けます。しかし、助言したほうがいい場面もあるのではないか、と問題提起をしてくれました。ただし、ここで言う「助言」は、解決策としての「助言」ではなく、相手に考えてもらうことを目的としたものです。「解決策が欲しい」と求められたとしても、その言葉を「困っていることを理解してほしい。解決策を一緒に考えて欲しい」という意味だと理解し、助言を通して相談者を支え、自由に思考できるようにすること。そういう助言は「アリ」ではないか、という刺激的なコメントで発表は終わりました。
次に坂口先生です。坂口先生は児童福祉分野での実践について話題提供してくれました。児童福祉分野は、対象となる子どもが過酷な環境を送ってきた場合が多く、支援する側はその内的世界に曝されるため、関係を持続するのが難しいという特徴があります。
坂口先生は実際の事例を基にした創作事例を挙げてくれました。虐待という過酷な環境で生きてきたA君が、一時保護・施設入所・入院・グループホームなどを転々としながらも成長していく様子が描かれています。そこに坂口先生が支援者として長期的に関わり、児相の年齢制限までA君を支え続けました(行政という難しい現場での実践であり、たくさんの人に読んでいただきたい内容でしたが、事例ということもあって詳細はここでは記述できず…残念です)。
上述のように、児童福祉臨床では支援する側も子どもと関係を維持するのが難しく、バーンアウトしたり、目に見えづらい形で支援から後退することが起こったりしやすいと言えます。しかし、不安や怒り、寂しさを感じたりしながらも、一定期間、他の支援者とともに心理的支援を行い、子どもたちの成長を見守ることが児童福祉臨床のやりがいである、とまとめて下さりました。
さて、坂口先生は「①面接構造からの理解」「②転移概念からの理解」「③内的世界の理論からの理解」という3つの切り口から事例を振り返ることで、精神分析的理解が児童福祉分野でどのように活用できるか、ということを解説していただきました。それぞれの視点は学びの多い内容でしたが、「正直なところ(精神分析が)役立っている点について、私にはあまり見つけられませんでした。ただ、心理司としてAやAを取り巻く人達を捉える視点の中に分析的な見方が入っているように思います。それは、私には『心理としての見方』として理解されていて、普段は分析的な見方と認識していないものですが、面接を何とか続けていくことを助けてくれていると感じられます」という言葉がとても印象的でした。「普段の臨床実践では意識されづらいが、こころのどこかで精神分析が自分の臨床を支えてくれているという実感」は、多くの分析的オリエンテーションにいる臨床家にとって共通する感覚ではないでしょうか。
上記の話題提供を受け、重宗先生からは主に「精神分析的臨床の面白さ」に焦点を当てた指定討論をしていただきました。「精神分析的臨床の面白さはどこにあるか?」という指定討論に対し、日置・坂口先生は「精神分析を生かしているのではなく、生かされているという感覚」と共通のレスポンスをしてくれています。精神分析を現場で生かそうと考えているというよりは、「やれることをやって、後付けで精神分析を使っていたと気づく」という感覚だそうです。日置先生は、精神分析の視点を使うと、「何がなんだか分からない」という状況の理由は理解することができるようになり、そうすると少し余裕ができ、面白みも出てくるとのことでした。一方、「学校臨床は大変でもある。帰り道に頭が痛くなることも(笑)」と素直な実感も口にされていました。坂口先生は、精神分析の見方というよりは、子どもたちと向き合う時の態度や関わり方に精神分析が活かされていると感じることがあり、関わりの中で子どもの成長を経験できることがやりがいに通ずるとレスポンスされていました。
<フリーディスカッション>
フリーディスカッションでは、フロアからチャットでたくさんご意見・質問をいただきました。コメントしてくださった皆様、本当にありがとうございました。当日いただいた質問内容とディスカッションを簡単にご紹介します。
最初の質問は「自分の意図が他職種に的確に伝わっていないと感じた時、どのように考えていますか?」というものです。ディスカッションでは「まず自分のニーズの把握が間違っていたのでは?」と考え、相手の立場や状況を理解したりすることが重要であることが話されました。
次の質問は「職場に支えてくれる人がいない場合、どのように自分自身を支えていくのでしょう?」という質問です。この現場からの切実な問いに対しては、「SVでもいいし、職場で一人でも支えてくれる人がみつけられると良い」「専門職ではなく清掃の人などでも支えになってくれることがある」「地道なことの積み重ね(しぶとく主張する、事務作業などに取り組む)が重要」など様々な意見が出ました。一方、どうしても仲良くなれない人はいるので、みんなと仲良くなれると万能的にならない方がいいという実践的な話も出てきました。
「アドバイス(助言)は、ユーザーの外側にある知識を伝達しているのではなく、ユーザーの中にすでにありがながらも、未だ目を向けられていない思考や心的部分に着目したうえで、アドバイスをしているのではないかと思いました」というコメントもいただきました。たしかに心理職の助言は解決策を押し付けることではなく、相手の中にあるものを引き出す側面が強いと言えそうです。
「『助言をする・しない』という話題を聞いて思うことは、精神分析・精神分析的心理療法・支持的精神療法・マネージメント・コンサルテーションの区別や使い分けがはっきり理解されていないことによって生じているのかもしれないと感じました。助言に限らず、目の前に起こることにどう働きかけていくか検討する際に、そもそも精神分析的心理療法はどういう場や対象が適応なのか、何でもかんでも精神分析理論で考えられるものなのかについて考えなければならないと思いました」という意見もいただきました。このコメントから「精神分析的な視点をどこで生かすか?」という話題に派生しました。最初に精神分析を学んだので何を考える時も分析的な思考になるという人もいれば、精神分析というより臨床家としてその人に必要なことを考えることを重視し、その見立てに分析的なものが入っている、という人もいました。
最後に「自然とそのような考えになっているというのがうらやましいと思いました。違う流派?から来た身なので精神分析的な臨床、態度、思考って何だろうって常に思っている自分がいて、発表者の皆さんはすごいなと思いました」というコメントから、「二人の先生が10数年でどうやって今の状況になったのか?」という話題へと移りました。「実はみんな精神分析的セラピストにはなれておらず、なっている途中」であり、このように発表するためにまとめると「分析的セラピストになっているように聞こえるが、実際はみんな暗中模索の状態である」というのが率直な感覚なのではないか、という発見がありました。
以上がシンポジウムの様子でした。シンポジウムのアンケート結果については次の記事でご紹介したいと思います。
改めて参加していただいた皆様、ありがとうございました。オンラインだったこともあり、フロアの意見を十分に引き出せなかった部分もあったかと思います。今回の反省を次の自主シンポジウムの運営に活かしていきたいと思います。
また、私たちはシンポジウムの他にあざみのカフェなども企画していますので、そちらもぜひご参加ください。