鬱になってから

鬱になり寝込んだりすることが多くなってからというもの、必然的に己の内側との対話に近い思考を繰り返すことが増えました。
そうするとそれまで漠然とした「社会」や「世間」といった概念への憎しみと呼べるものでしかなかった曖昧な感情のディテールが少しずつ鮮明になってきています。
似たようなことを繰り返し考える中でそうした大きな概念に対して抱く負の感情が少しずつ切り分けられていくと、本当は負の感情を抱いていた対象はもっと小さな概念であったり、あるいは個々人のような存在に過ぎなかったりしたとわかることもあるわけです。
それが一概によいこととは言い難いですが(鬱になっているわけだし)、web上に溢れている「ヒトの正義感・義憤といった感情に訴える」タイプの言説と以前よりも少し距離をとって物事を考えるようになりつつあるのは悪いことではないのかもしれないと思っています。

やがて魔女狩りに通じる道

もともと俺が主にweb上でバズるタイプの「善悪の概念」や「加害・被害の関係」に対する向き合い方の「正しさ」に懐疑的であることはnoteでもたびたび書いてきました(記事の末尾に関連記事へのリンクも貼ってあるのでそちらもよろしくお願いします)。
ある事柄について個々人が感じている被害感情はその人と一対一の対話をする上では決して蔑ろにしてはならないものですが、その被害感情による連帯については慎重にならなくてはいけないのかもしれません。それは俺自身がweb上で同じような被害感情を抱えた人々と関わり、最終的にその関係が破綻するに至った経験の中で学んだことでもあります。
特に「『被害者』である自分たちは常に正しく、『加害者』である相手は常に悪い」とするような考え方を煽る言説には少なからぬ危険性があると考えていますし、俺はそうした考えを支持することはできません。それはやがて魔女狩りに通じる道だからです。

主な関連記事
きずとも通信#8 実録!Twitterストーカーの恐怖
きずとも通信#9 「加害・被害」の関係について
「善なる『若者』と悪しき『老害』」という世界観の危うさ
現実を勧善懲悪の世界にしたくない
「法で裁けぬ悪」など幻想だ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?