ガドガ堂森に隠棲した前田慶次
漫画の主人公、前田慶次が晩年を過ごした地ということから、米澤市は『花の慶次』推し。
観光パンフレットには主要キャラクターの絵、そればかりではなく市内にはラッピングバスも走っている。
慶次が暮らした地を訪れたことを思い出し、漫画では描かれなかった晩年の暮らしぶりを妄想しながら、何故かインドネシア料理を作った記録。
ピーナッツバター 70g
ココナッツミルクパウダー 大匙2
チリパウダー 小匙半分
塩 小匙1/4と適量
水 100㎖
醤油 大匙半分
レモン果汁 小匙2
キャベツ 1/4
人参 半分
厚揚げ 1枚
インゲン 5本位
ピーマン 2個
前田利家の甥であり、天下御免の傾奇者という前田慶次を一躍有名にしたのは隆慶一郎の『一夢庵風流記』を原作として原哲夫が作画した漫画『花の慶次』
パチンコ台にもなったことで更に有名に。
実在の人物なのですが、実像はよくわからず、伝わっている逸話もどこまで本当かはわからない。
秀吉死後、天下人の座を狙う德川家康は上杉家討伐を名目に軍事行動。
慶次が仕える上杉家は迎え撃つ準備をしていたが、西で石田三成挙兵ということで家康率いる軍勢は引き返す。
しかし上杉家が家康の敵になったことは変わらないので、家康側についた隣国の最上家を攻撃。
最上家との長谷堂城の戦いで劣勢になり、上杉勢は撤退。慶次は殿軍を務めて見事に味方を転進させて、大将の直江兼続を切腹の危機から救った。
戦後、上杉家が會津から米澤へ転封になると、慶次もそれに従った。
米澤駅東口から真っ直ぐ行った所が堂森という地区。
慶次は此処に無苦庵と名付けた屋敷を構えた。現在は民家が建っていますが、当時の溝の跡が確認出来ます。
生活に欠かせない水は、道の反対側の湧き水を使用。今でも清水が湧き出ている泉は『慶次清水』と呼ばれています。
上杉家家臣の家に招かれて食事を馳走になった時、炊き立ての飯が出された。
「飯が熱いから、水をくれ」と慶次。
「香の物を食べれば、熱さが和らぐ」と主人。
先日の礼にと、今度は慶次が相手を屋敷に招いて風呂を沸かしてやった。
それがグラグラに煮立った熱湯風呂。
「熱くて入れん。水をくれ」
すると慶次は香の物を差し出したとか。
こんな悪戯とか諧謔が大好きな人物で、息子の正虎も
「父は悪戯者でした」と語った。
近隣の住民とも積極的に交流したようで、月見の宴を催したと言われる場所は月見平と呼ばれている。
隠棲というと静かな独居と思いそうですが、傾奇者だった慶次は賑やかなことが好きだったと思われる。
それを偲ばせる場所が堂森善光寺。
横柄な住職を囲碁の勝負にかこつけて、思い切りぶん殴ったという逸話があります。詳しくは↓
調べたら林泉寺でのことなので、この善光寺ではなし。
大石の持ち上げ比べを住民とやっていたという。
退屈なことが嫌いだったのでしょう。武士だからとお高く止まることもなく、和気あいあいとした風情を感じる。
住民達も面白いことをしてくれる人物と期待していたと思われる。それを感じさせる逸話が『兜むくり』
日にちを予告して、善光寺境内にて『兜むくり』という藝をお目にかけると慶次は近隣に触れて回った。
どんな藝なのかは当日のお楽しみとして、詳細は言わない。
慶次がやることだから、きっとすごい藝当に違いないと人々の期待は高まる。
当日、急に腹痛になったので、日延べしたいと慶次は詫びる。
待たされることで、期待値はうなぎ上り。
いよいよ延期された日。
慶次は兜を臺に置く。
「ようく御覧じろ」
正面を向いていた兜を慶次はゆっくりと回して反対に向けた。
「これで終わりでござる」
ポカーンとする人々。
がっかりするやら失笑するやら。
何が面白い話なのか?と思ったが、よく考えると現代とは違って娯楽が少ない時代であり、面白いことをやってくれるだろうと過剰な期待を抱いていた人々に肩透かしを食らわせたということでしょう。
面白いことは人に期待するのではなく、自分で探せという慶次の深いメッセージも込められていたかもしれません。
ガドガドというのはソース。温野菜にかけて頂く。
ココナッツ風味に甘味と辛みが絶妙に絡み合った味。野菜から食物繊維、厚揚げからタンパク質と温野菜サラダというよりも立派なおかずになります。
今回、使った野菜や厚揚げだけではなく、他の食材でも美味しく頂ける。
残ったガドガドをポテトサラダに混ぜてみたら、これも良かった。
今回、使ったピーナッツバターはクリーム状ですが、クランチタイプもいいかもしれない。
「孝を積むべく親もなく、どうしても極楽往生したいと願うこともなく、地獄に堕ちる程の罪もない。
生きるだけ生きたならば、後は死ぬべしとぞ思う」
そんな言葉を慶次は遺した。
慶長十七年(1612)に慶次は亡くなったという。
葬られた寺は廃寺になったので墓の所在は不明。しかし善光寺には供養塔が建立されています。
煙管や煙草が供えられていたのは、花の慶次で煙管を燻らせる場面があったからと思われる。
生きる達人だった傾奇者は最後まで人生を楽しんだ。そんな妄想をしながら、ガドガ堂森に隠棲した前田慶次をご馳走様でした。