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土佐煮っ記

先月、福岡に帰省時、数年ぶりに会った伯母は話好きな人で近所の夫婦のことを話す。
「何が食べたい?」
「何でもいい」
その日の食卓には生卵と醤油。仕方なしに御主人はTKG。
「女が食事の世話するのが当たり前と思ってるけん、逆襲されたとよ。あんたも耳が痛かろ?」
私の返答は
「私が料理してます。妻は食べ物に拘りがないので、それをやっても不満は言わない」
話に出た夫婦も伯母も料理は女がするという概念。

「女がすなる料理なるものを男もするらん」と頭に浮かんだ。
「男がすなる日記なるものを女もするらん」で始まる土佐日記のパロディ。
ということで、仮名で書かれた日記文学の嚆矢を妄想しながら、旬の筍を料理した記録。


まず筍の下処理。

筍   小2本
米糠  大匙3
唐辛子 1本

歴史の教科書にも出てくる『土佐日記』ですが現在の歴史教育は用語や年号を暗記するだけのつまらないものになっているから、内容について知っている人は多くないのではないかと思われる。
著者は紀貫之。

冒頭の文からすると女が書いたとなっている『土佐日記』ですが、この名前は普通に考えて男。
そのことの検証は後にして、まずは紀貫之の基本スペック。


皮を剥いた筍を鍋に入る大きさに切る。

貞観年間(西暦800年代後半)という平安時代前期に生まれた紀貫之。紀氏は竹内宿祢を遠祖とする貴族ですが、平安朝は藤原氏が牛耳る世。
それ程高い官位や官職に就けず。しかし彼には優れた歌の才能があり、最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の選者となり、仮名序を執筆。
延長八年(930)土佐守に任じられて赴任。五年の任期を全うして都に戻る。55日に渡る帰路の船旅での体験や見聞、思ったことを記しているのが『土佐日記』


圧力鍋で煮て、一晩放置。

旅立ちの場面から始まるが、餞別にと様々な人が馬を贈ってきたという話。
船旅なのに馬を贈るとは奇妙なことと記されていますが、これは本当に馬が来たのか疑ってかかる必要あり。
当時、餞別に馬を贈るという習慣。旅は基本的に徒歩か騎乗なのが理由。
そこから転じて餞別を渡すことを比喩的に「馬を贈る」と言うことがあったようです。口では「馬(餞別)を贈る」と言っていても実際には金銭とか米だったかも?面白く反応したということかもしれず。

宴の場面では、子供までもが飲酒。
「一という字すら書けない者が足で十の字を書いている」と揶揄。
千鳥足になっているということ。

土佐煮の材料

筍    1本
醤油   大匙1
味醂   大匙2
出汁つゆ 100㎖ (二倍希釈)
鰹節   一掴み

少しばかり変態チックな内容も。
船中、食事に出た鮎の塩焼きを皆が頭から齧り付いているのを見て、鮎と人が口づけしているようで鮎もおかしな気持ちにならないかとか。

船中では女性は海神の怒りを買わないようにと、派手な装いはしない習わし。しかし水浴びしている時には派手な鮑を海神に見せているではないかとか。


筍を食べやすい大きさに切る。

当時の船旅は死と隣り合わせ。瀬戸内海には海賊が出没。
そればかりか、陸ではお貴族様として大きな顔をしている一行も、船では船頭達に命を預けざるを得ない。
万一、船頭達の下剋上でも起こったらという恐怖が心の何処かにあったのではないか。皆、早く都に帰りたいという気持ちが見え隠れ。

船出してから十一日目、羽根という所の近くを通った時、船上で女児が
「羽根という所は鳥の羽根みたいな所なのかなあ」と言った。
無邪気な言葉に皆、笑ったがもう少し年嵩の少女が詠った。
「まことにて名に聞く所、羽ならば、飛ぶが如くに都へもがな」
本当に羽みたいな所ならば、羽ばたいて都に飛んで帰れるのになあという意味。


調味料と筍を鍋に。沸騰したら弱火にして落し蓋をして20分煮る。

都に戻る船には子連れの人々もいた。
「なかりしも、ありつつ帰る人の子を、ありしもなくて帰る悲しさ」
という歌を著者は読む。
貫之に随行した中には、五年の任期中に子が出来た者もいた。
貫之は娘を連れて土佐に赴任。しかし理由は不明ながら任地で娘を亡くしていました。亡くなった子への哀惜も『土佐日記』には込められている。
「あるものと忘れつつなほ、なき人をいずらと問うぞ、悲しかりける」
亡くなったことも忘れて、あの子は何処かとつい訊いてしまう悲しさ。
そんな歌も。


20分後、鰹節投入。

都に帰る貫之一行に随行している女が書いている体裁で始まっているのですが、いつの間にかというか意図的に男である貫之本人が書いていることが見え隠れ。
どうして女のフリして日記を書いたのか?
ネカマ?LGBTQ?

冒頭に自ら書いてある通り、日記とは男が漢文で書くものという常識があったので、それに対する諧謔があったのではないか。
女が仮名で書いてみたという体裁で、漢文で堅苦しいことを書くよりも面白みあることを書いてみたということか。


土佐煮っ記

筍はタンパク質やアミノ酸が豊富。特筆すべきはチロシン。この成分は脳を活性化。
食物繊維やビタミンも含まれる筍に甘めな味がよく沁み込んだ。シャキシャキ食感も素晴らしい。
土佐と言えば鰹。ということで鰹節を絡めた煮物を土佐煮という。
程よく煮汁を吸い込んだ鰹節もよく筍に絡む。

旅日記というだけではなく根底には子を失った悲しみがあり、自分の心情や心の機微を表現するにはやはり日本語の方が豊かな感情を表現出来るとわかっていたのではないか。
優し気な仮名文字に精通していたからこそ、微妙な感情表現には仮名、そして女に仮託した方が表現しやすいと紀貫之は思ったのだろうと思います。
もしかしたら本当に女だった?というのは単なる妄想です。


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