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じゃがポター柔道一直線

大量に頂いたじゃがいもを消費するための料理をしながら、スポーツを通じて日本や世界を良くしたいと奮闘した人物を妄想した記録。


材料

ジャガイモ 大2個
大蒜    1欠け
玉葱    1/4
バター   20g
塩麹    大匙1
豆乳    300㎖
あおさ   好きなだけ

万延元年(1860)摂津國(兵庫県)に誕生した伸之助が後の嘉納治五郎。
柔道の祖です。
実家は酒造や廻船業を営んでいたが、父親の治郎作は入り婿。
武家は男子相続が基本でしたが、商人の家では見所ある男を娘の婿にして稼業を継がせる風習が関西にはありました。
ただ、次郎作は妻の弟、つまり実子に稼業を任せて、自身の事業。
灘の淸酒を江戸に送る樽廻船業、更に幕府の御用を務めて勝海舟の知遇を得る。
母の定子が主に幼少期の治五郎を教育。
人のために尽くすことを特に厳しく躾けた。
例えば、治五郎が友達を家に連れて來ると、一番いいお菓子を友達に出してやりました。自分のことより人のことを考えよということを実践。


圧力鍋でじゃがいもを茹でる。

九歳の時、母が死去。
その後、勝海舟の推挙で父は新政府に出仕。それに伴い、治五郎も東京へ。
後に柔道の創始者となるということから、脳味噌まで筋肉のような体育系かと思いきや、治五郎は頭脳系。
学業優秀でしたが、小柄だったことからよく虐められた。
小柄な自分でも強くなれる方法を探している時に出会ったのが柔術。
現代の柔道は投げる、固める、極めるが技の基本ですが、その基となった柔術は殴る蹴るもある。素手で人を殺す技術。
文明開化の明治時代、古い武術は廃れる一方。なかなか柔術の師は見つけられず。
幕府の講武所師範だった福田八之助という師をようやく見つけて念願の柔術修行。


大蒜と玉葱を微塵切り。

東京大学で学びながら、複数の柔術流派も学ぶ。正に文武両道。
柔術も修行している内に、人を負かすことなどどうでもよくなったようで技と自らを磨くことに専念。
その頃の話として、澁澤榮一の依頼で来日中の前米大統領グラントの前で柔術を披露。
東大卒業の翌年、明治十五年(1882)上野の永昌寺に間借りして自らの道場設立。これが有名な講道館。
殺人術としての柔術を自らを鍛える柔道に昇華させた。


茹で上がったじゃがいもを潰す。

武道家としてだけではなく教育者としても活動。
学習院講師、熊本の五高校長や東洋大学の前身、哲学館講師等を歴任。
五高時代には優秀な教師をということでラフカディオ・ハーンこと小泉八雲を招聘。
教鞭を取った学校では柔道に限らず、スポーツを教育に取り入れた。
空手やサッカーの普及にも一役。
そうした活動は海外にも聞こえて、明治四十二年(1909)にはクーベルタン男爵の招きでIOC(國際オリンピック委員会)の委員にアジア人で初めて選ばれる。
日本人選手をオリンピックに送り出すことを考える。早速柔道をと思いきや、今と違って世界中に競技者がいない柔道ではそうはいかない。
明治四十四年(1911)開催のストックホルムオリンピックにマラソンランナーとして金栗四三を送り出した。


バターで大蒜と玉葱を炒める。

晩年にはオリンピックを日本で開催したいと活動。
その頃は昭和初期。日本は中国での戦争により世界から爪はじきにされつつある時代。
それでも粘り強く活動。ついに昭和十三年(1938)エジプトのカイロで行われたIOC総会で東京オリンピック開催が決定。
その喜びをラジオで語った後、アメリカ経由で帰国の途につく。
横濱の山下公園に係留されている氷川丸は現役時代、太平洋航路を往復。
治五郎も氷川丸で日本に向かっていましたが、船内で肺炎を起こし、日本到着二日前に死去。享年は七十七歳。最後までオリンピック開催を氣にかけていました。


潰したジャガイモ投入。

日中戦争悪化のため、二年後に残念ながら日本政府は開催権を返上。東京オリンピックは幻に。
戦後の昭和三十九年(1964)に改めて開催され、令和三年(2021)に二度目の東京オリンピックが開催されたのは周知の通り。
治五郎が望んだ東京でのオリンピックが二度も開催。


豆乳、塩麹、胡椒を投入して伸ばしていく。

しかしと考える。
現代のオリンピックは果たして嘉納治五郎が望んだ平和の祭典になっているだろうか。
今年、開催されたパリオリンピックを思い出すにつけ、疑問を感じざるを得ない。
利権が絡んだ巨大な商業イベント、國威誇示、政治的主張の場と化していたように思われる。
そればかりか、國民にとって都合が悪いことを政府が進めるための目くらましに思えてしまう。つまり國民の目を逸らさせるための巨大なサーカス。
悪魔儀式を見せられているような開会式、性別に疑惑がある選手等が話題になったのも記憶に新しい。


いい感じ。

前回の東京オリンピックにも致命的におかしな点。
コ▢な茶番デミック最中ということで無観客開催でしたが、そもそも子供の運動會はやるなと言っていたのに何故、世界中から人が集まるオリンピックは開催出来た?根本的におかしいだろ。
世間の人が忘れたような顔をしていても、私はあのコ▢ナとかワクワクの馬鹿騒ぎは絶対に忘れないし、いつまでも言い続ける。
もっとも、儲かるから今でも病院はコロコロ騒ぎを続けたいようですが。


じゃがポター柔道一直線

あおさを振りかけて完成。
塩麹の甘さとしょっぱさがよい味わい。あおさの風味も加わり、和なポタージュに仕上がった。
私の好みでジャガイモは粗目に潰してあるのですが、滑らかな方が良ければしっかりと裏ごしした方がいいかも。
豆乳のタンパク質、ジャガイモのビタミンC等、栄養も味も金メダル級。

嘉納治五郎は多くの名言も遺しています。
中でも講道館に掲げられたのは「自他共栄」「精力善用」
柔道を始め、日本の武道はただ勝敗を決するだけのものではなく礼に始まり、礼に終わる。勝者は決してガッツポーズなどするものではなく、敗者も負けたではなく参ったという。寺や神社に参ったということと同じ。相手の強さに敬意を払うということ。共に称え合うということが自他共栄に繋がるのではないかと考えています。

教育者として治五郎は自身が関わった学校に多くの留学生を迎え入れた。これも自他共栄の一環。
現代の大学も特にC國の留学生を優遇して受け入れ、自国の学生は奨学金を使ってもなかなか学問が進まないのに、留学生には返済無用の奨学金。これでは他他共栄ではないか?

二極化と分断が進む現代では、スポーツを通じて世界を平和にという嘉納治五郎の理想はどんどん遠いものとなっているように感じてしまう。
柔道一直線と題名を付けたものの、それ以外のスポーツの普及にも尽力した嘉納治五郎を妄想しながら、じゃがポター柔道一直線をご馳走様でした。

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