ウルトラマンハッタンチャウダー
クラムチャウダーと言えば、貝が入った白いスープですが、これはアメリカはボストンで好まれる。一方、トマトベースの貝のスープはマンハッタンチャウダーという。文字通りマンハッタンで好まれるスタイル。
マンハッタンチャウダーを作りながら、誰も見たことがない超人を0から作り出した人達を妄想した記録。
牡蛎 5,6粒
トマト 2個
ジャガイモ 3個
大蒜 1欠け
人参 1/4
玉葱 1/4
生姜 1欠け
オリーブ油 大匙2
タイム粉 大匙1
白ワイン 大匙3
塩 小匙2
胡椒 少々
ビーガンバター 大匙2
黒胡椒 少々
昭和三十九年(1964)東京オリンピックが開催された年、フジテレビは特撮の神様と呼ぶべき円谷英二をテレビ界に招き、新たな特撮ドラマを企画。
円谷英二についてはこちらをどうぞ。↓
『WoO』というタイトル。
しかし円谷英二が発注した当時世界に二台しかなかった高額な光学合成機オプチカルプリンターをTBSが肩代わりして購入したことから、そちらで番組制作ということになり、フジテレビの『WoO』は制作中止。
これは英二の長男、円谷一がTBSに居たことが原因?
こうした経緯でTBSで製作、放送されたのが『ウルトラQ』
現在まで続くウルトラシリーズ原点。
『ウルトラQ』放送終了後の後継番組企画が『科学特捜隊ベムラー』
正義の怪獣ベムラーが科学特捜隊と協力して悪い怪獣と戦うという内容。
デザインは烏天狗か河童?という姿。
しかし怪獣対怪獣ではどちらが悪者か判りにくいということもあったのか、
『レッドマン』に企画変更。
『レッドマン』デザインも頭部は怪獣っぽいが、体は白地に赤のライン。
『ウルトラQ』後継番組ということから『ウルトラマン』と変更。デザインも現在の我々が知る姿に。但し成田亨デザインの姿にはカラータイマーなし。令和四年(2022)公開の『シンウルトラマン』の姿です。
ウルトラマンのメインライターとして重要な回の脚本執筆、更にシリーズ全体に目を通していたのが金城哲夫。
大東亜戦争で日本で唯一、地上戦が行われた沖縄出身ですが、本人はそのことにあまり言及することはなかったとか。しかし手掛けた脚本の幾つかには戦争や平和に関する思いが感じられます。
円谷一がTBSに在籍していたことから、そこから優秀な演出家が監督として参加。特筆すべきは実相寺昭雄。
魚眼レンズを使ったり、ストップモーション多用等、独特の映像や演出で知られる。
名前を挙げた人々以外にも多くの人々が子供達に夢を、新たな番組を作ろうと情熱を持って『ウルトラマン』を製作。
今見ても、古びていない素晴らしい作品となった。
特に感じるのは明るい未来に向かって進もうとする時代の日本。
ウルトラマンと共に戦った組織は科学特捜隊。
これも科学が明るい未来を切り開いていくという昭和四十年代の空気を体現している名前。
戦後復興を成し遂げ、東京オリンピックを経験、そしてウルトラマンが放送された昭和四十一、二年(1966,67)から三年後には大阪万博が控えていた。
ドラマでも『怪獣殿下』の回では万博に展示されるために搬送されてきたゴモラが暴れる。
金城哲夫脚本、円谷一監督の『さらばウルトラマン』ではヒーローが敗北、死ぬという当時としては斬新な話。
これも型破りですが、そもそも怪獣と戦う身長40メートルの巨人など誰も見たことがなかった。
大好評を得たことから後継番組として『ウルトラセブン』製作。
ウルトラシリーズを製作した人々、職人というべき人が多かった。凝った演出やセット等々、つまり制作費が高騰。局から受け取っていた製作費の倍以上がかかり、作る度に赤字累積。
ついにウルトラセブン終了を以てウルトラシリーズは一旦終了。
円谷プロも事業縮小。その時に金城哲夫は『故郷は地球』ではなかった。故郷の沖縄に帰る。
沖縄でラジオのパーソナリティや海洋博覧会の構成、演出を担当。
その後、復活した『帰ってきたウルトラマン』で一本、脚本。
旧日本軍が遺棄した毒ガスを吸収した怪獣が暴れるという内容は、やはり戦争に対する複雑な思いを象徴。
昭和五十一年(1976)金城哲夫は沖縄で事故死。享年37歳。
ウルトラの名前に相応しい貝はやはり牡蛎だろう。出汁がよく出ている。
牡蛎には肝機能を高めるタウリン、亜鉛や貧血予防の鉄分。ビタミンB12等々の豊富な栄養。
トマトのリコピン、人参のβカロテン、大蒜や玉葱からはアリシン。疲労回復効果が期待出来る。生姜のお陰で体も温まる。
ちょっと薬草っぽいタイムとトマトの風味で食も進む。
金城に先立つ昭和四十八年(1973)に円谷一は41歳を一期として脳溢血で死亡。
実相寺昭雄はその後もウルトラシリーズに関わり続ける。
『帰ってきたウルトラマン』でも脚本執筆。
『ウルトラマンタロウ』でも脚本を書いていますが、これは映像化されず。
その後、平成に蘇ったウルトラマンティガやダイナでも実相寺は演出。
『星の林に月の舟』という実相寺の自伝はウルトラマン製作の様子を今に伝えている。この自伝は『ウルトラマンをつくった男たち』としてドラマ化。
平成十八年(2006)に死去するまで、ウルトラシリーズの語り部としての役割も果たしたと言える。勿論、ウルトラシリーズ以外の監督作も数多い。
ここに挙げた人々以外にも多くの人々が誰も見たことがないヒーロー、ウルトラマンを作り上げ、今では日本だけではなく世界にも名前も知られる存在にした。
ウルトラマンを作った男たちを妄想しながら、ウルトラマンハッタンチャウダーをご馳走様でした。