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分福茶釜飯

むかーし、むかし、まんが日本昔話というアニメがあったそうな。
「かぐや姫」「笠地蔵」等、割とよく知られた話から、初めて聞くような地方の昔話まで様々な話を味わいあるアニメーションで見せてくれていました。今はそういう良質なアニメってない気がします。アニメは子供向けではなくオタク向けになってしまったように感じる。
時々、Youtubeにupされている動画でまんが日本昔話を懐かしく鑑賞。先日、分福茶釜を見た。ということで分福茶釜を妄想しながら、釜飯を料理した記録。


材料

米   2合
油揚げ 1枚
そば茶 大匙1
鰹節  好きなだけ
醤油  大匙1
昆布  5センチ四方

山奥に和尚さんと小僧さんが住む寺。
訪れる人もなく寂しいので、お茶を沸かして村の人達を招こうと思い立つ。和尚さんは町の古道具屋で、安いけれど不思議な茶釜を見つける。
道具屋の主人によると、夜になると踊り出すので縛ってあるという。
購入して早速、茶を沸かして村人を招く。
「こんな美味しい茶は飲んだことがない」と評判になる。しかも幾ら沸かしても茶は湧き出てくる。


油揚げを短冊に切る。

その夜、寝ていると本当に茶釜が躍る。見ると狸の頭と手足が釜から出ている。
話を聞いてみると、狐と化け比べをしている時、犬が現れ、慌てて逃げたら元に戻る術を忘れて胴体が釜のままになってしまったとのこと。
哀れに思った和尚、茶釜の胴を持つ狸を寺に置いてやることにする。
感謝した狸は、様々な芸を見せるようになり、それを見る人々が寺に集まるようになり、寂しかった山寺も賑やかになり、和尚と小僧、狸は楽しく暮らしましたとさ。というのが概要。


材料と調味料を炊飯器に入れて浸水後、炊飯。

昔話とか伝説は教訓を含んでいることが多い。
この話の教訓は狸のような動物でも恩を受けたら、それに報いると言うことでしょう。
ましてや人であれば、恩返しを忘れてはなりませんと、昔の人々は子供達に語って聞かせていたことでしょう。
実は文福茶釜、実話なんです。
その舞台は群馬県館林市の茂林寺。


狸がいっぱいな門前。

昔話とは異なり、山奥ではなく平地にあります。寺に伝わる話自体も昔話とは異なる。
物語というものは人づてに語り継がれる内に、わかりやすくアレンジされたり、面白おかしい風が加えられたり、子供に聞かせるためにソフトな話にしたりということはよくある。
日本の話ではないけれど、グリム童話が原話から毒を抜いた形で広まったのがいい例。


台座に色んなことが書いてある。

応永三十三年(1426)に伊香保から来て、茂林寺の代々の住職に仕え始めた和尚。名前は守鶴。
守鶴和尚、代々の住職に仕えていましたが元亀元年(1570)に千人法会を行うことに。しかし集まる人々に茶を給する茶釜がない。そこで守鶴和尚はどこからか不思議な茶釜を持って来る。
この時の住職は七代目。既に100年以上経過しているのに、守鶴和尚はまだ存命。
ところで住職と和尚ってどう違う?
住職は寺のトップで和尚はナンバー2以下?
守鶴和尚が持って来た茶釜、いくら沸かしても湯が絶えず、無事に千人の客人に茶を振舞うことが出来た。
守鶴はこの茶釜を紫金銅分福茶釜と名付けた。


てなことを妄想していると、炊き上がった。

その後も守鶴は代々の住職に仕えて、天正十五年(1587)二月二十八日に
寺を去り、その後は行方が知れず。
その時の住職は十代目。寺に居た年数は161年。
誰が言うともなく、守鶴は狸の化身だったに違いないと言い始めた。
狸みたいな風貌だったのか?名前は鶴だけど。
以上が茂林寺に伝わる話。


昆布を取り出して細かく刻む。

この話に出てくる分福茶釜、茂林寺に現存。
福を分けるという意味か?或いは湯が沸く擬音に漢字を当てた?
161年も居たというのは盛っている話かもしれませんが、かなりの長命な人だったか、或いは本当に狸の化身?
元は伊香保から来たという話ですが、温泉地で有名な伊香保の石段街の頂上には伊香保神社が鎮座しているので、伊香保の神様の使い?


刻んだ昆布を混ぜる。底の焦げ目も釜飯の美味しい所。

茂林寺の話は昔話とは異なり、茶釜は狸が化けたのではなく、狸の化身だった?と言われた人が持って来たとなっています。
わかりやすくするために翻案され教訓を加えたのが、昔話の文福茶釜。
この分福茶釜、茂林寺に現存。
勿論、狸の手足も頭も出ていません。


分福茶釜飯

韃靼そば茶を使用したことで、そばの香ばしさが漂う。韃靼そばにはポリフェノールの一種、ルチンが豊富。血圧や血行の改善ばかりではなく、シミや皺の予防と美肌効果。昆布のフコイダンで免疫力強化と健康飯。油揚げで良質なタンパク質も。
割と薄味ですが、香を楽しむご飯と思うべし。
醤油味に昆布と鰹節、そばとなると、これは釜飯というだけではなく、そば飯とも言える?

私が住むド田舎では、近所のお宅でお茶を頂くという風習があります。正に農村のアフタヌーンティー?
それまで喧々諤々の議論していたり、それこそ殺しそうな勢いで文句言っていても時計を見て、
「もう三時か。お茶飲むかい?」と急に優しい声になる老婆も珍しくないとか。田舎の皆様にとってはお茶の時間は大事ということか。
昔は当たり前の風習だったので、昔話の文福茶釜もそれを踏まえて、和尚さんはお茶を沸かして村人を呼ぼうと考えたということですね。
何十年か前には、お茶の時間に
「手を出して」
と言われて出すと、掌に砂糖を乗せられたとか。甘いお菓子が珍しい頃、精一杯のおもてなしだったということ。
そういう温かみある人の触れ合い、コ▢ナ等という茶番デミックのせいで密になるとか言われて、どんどんなくなっていくのだろうかと思うと寂しい。

分福茶釜の御伽噺と伝説を妄想しながら、分福茶釜飯をご馳走様でした。

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