PERFECT DAYSな作り置き。
たまには歴史以外のことでも妄想するか。
ということで名前だけが出てくる幻の料理を作りながら、不思議な味わいある映画に関する妄想。
小女子 1パック
山椒粉 小匙1
ピーマン 3個
胡麻油 大匙1
醤油 大匙2
味醂 大匙1
蜂蜜 小匙1
昨年末からロングラン公開されている日独合作映画『PERFECT DAYS』
役所広司演じる公衆トイレの清掃員の日常をドキュメンタリータッチで丁寧に追った映画。
観る前は正直な所、それっておもろいのん?大きなドラマがないと眠くなるかもと思っていましたが、案に相違してじっくりと見入ってしまい、観てからもジワジワと込み上げるものがある。
東京スカイツリーが間近に見えるので墨田区?と思われる古びたアパートに住む平山(役所広司)はうっすらと夜が明ける頃に起きて、身支度を整えて、育てている植物に水をやり、カセットテープで音楽を聴きながら車を運転して仕事に向かう。
黙々と仕事に向き合い、隅々まで綺麗に磨き上げる。
昼は神社の境内でサンドイッチと牛乳のランチを楽しみながら、最近では骨董品かもと思われるフィルムカメラで何かを撮影。
仕事が終わると銭湯、同じ店で一杯飲みながら食事。アパートに帰り、古本屋で購入した文庫本を読みながら眠りに就く。
毎日がこの繰り返し。
休日はコインランドリーで洗濯。カメラ屋でフィルムを現像に出し、前回、頼んだ現像済の写真を受け取り、古本屋へ。
スナック?或いは小料理屋?と言った風情の店で家庭的な料理と酒、ママの歌を楽しむ。休日もこの繰り返し。
ただ、ほんの少しの変化は日常に潜んでいて、平山はそれを楽しんでいる。
今回、作っている料理ですが、石川さゆり演じるママの店の黒板に書かれていた『ジャコとピーマンの山椒炒め』
但し書かれているだけで料理自体は登場しません。
名前だけに反応して、こういう物だろうかと想像しながら作ってます。
平山は無口で淡々としていますが、自分のペースを乱されそうになった時には感情が出て来ます。
例えば、一緒に仕事をしている若者の恋の騒動に巻き込まれたり、突如、訪ねて来た身内の存在とか。
感情が出るといっても激しいものではなく、ほんの少し揺れ動く程度で引きずらない。
身内の出現により、彼の背景がほんの少しだけ見えてくるのですが、それも仄めかす程度ではっきりとは開示されません。
わかりやすい話が好きな人には、この映画は物足りなく感じるのではないかと思います。
監督はヴィム・ヴェンダース。日本人ではない監督だからこそ、普通の日本人ではありふれたこととして氣に留めない些細なことを丁寧に拾い上げている。
小津安二郎を敬愛しているドイツ人監督ですが、小津が昭和の日本人を切り取って見せたように、ヴェンダースは令和の日本の都市生活者を見せてくれたようにも感じる。
この映画は役所広司主演だからこそ成り立っていると言える。
映画の終盤、三浦友和演じる人物との絡みがありますが、仮に友和が平山を演じてもこの味わいは出ない。いい悪いではなく三浦友和はイメージが限定されていて、どんな役でも出来るタイプではないということ。
役所広司は元は千代田区役所勤務。仲代達矢の無名塾に入り、俳優活動開始。
元は役所勤務ということと、役所(やくどころ)広しという意味を込めて芸名を役所広司とした。名は体を表すという言葉通り、ヤクザや戦国大名から平山のような市井の人まできっちりと演じ分ける。正に日本を代表する俳優。この『PERFECT DAYS』でもセリフは殆どなく、ほぼ表情のみで平山という人物を見せてくれます。
大きな何かを望むということもなく、今の生活を楽しみ、満足している平山。足ることを知る人生の達人とも言える。
勿論、初老というべき年代であり、今から大きなことを望むには人生の残り時間が足りないということも自身でわかっているのでしょう。それならば自分がすべきことをきちんとやり、楽しむべきことをしっかりと楽しむ。
だから自分のペースをしっかりと守り、人と比べることもないし、自分のペースを乱されることを嫌がる。
平成、令和という時代、多くの人々が急ぎ過ぎてきたように感じます。それについて行こうと必死に無理して合わせている人が多く、そのためにまた社会全体の進む速度が加速。ついてこれない者は落伍者、落ちこぼれとして切り捨てられる。
平山という人物は、そこから降りたのだろうと思います。語られない過去にはそんなことがあったのでは?
ピーマンは食物繊維、ビタミンAやC等、栄養の宝庫。小女子からカルシウムとタンパク質も補給。しかも低脂肪。
甘辛な醤油味に山椒のパンチが効く一品。冷蔵保存で三日位は常備菜として楽しめるかと思います。
令和の現代を描いているのですが、木造アパート、古本屋、銭湯、フィルムカメラ、カセットテープと昭和の遺物っぽい風物が幾つも登場。それらが味わい深い。
それと対照的に平山の仕事場である公衆トイレはどれも未来的なデザイン。普段は透明だけど、中に入って鍵をかけると曇るという仕掛けがあるトイレも登場。
この映画自体が東京トイレットという公衆トイレ刷新プロジェクトから生まれた。そのプロモーションも兼ねている。
平山のような清掃人のお陰でそうした施設は清潔に保たれているので、この映画を観た人がせめて自分は綺麗に使おうと思ってくれたらいいなあ。
マナーとか道徳を喚起してくれる一因にもなればとも願う。
終盤で又も平山の感情は乱されることになります。と言っても大嵐という程でもなく漣程度のことで、そのこと自体は収まるのですが、恐らくはそれを思ってのことか、泣いているとも笑っているともつかない表情で映画は終わる。
色んなことがあっても日常は続いていく。平山の表情からそんな言葉が胸に浮かびました。
エンドロールが終わったら、最後の最後に彼の謎が一つ開示された。