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次世代の子供や社会を育てるのに大事なこと

以前リリスの記事に載せていた

LGBTや子を産まない人々への偏見について私が個人的に思うことをこちらに記事として書き直しています。

(表現が難しいですが「子供を産まない」というところから発生する「次世代を生み出さない」という大きな勘違いについて書かれています)


現在日本では多様性を認める動きが活発になってはいますが、結局のところ同性婚が認められていなかったり、子を産まない人々への偏見があったりと、認識や理解が少々遅れているなと感じずにはいられない状況が続いています。

この記事は性というものの創造性から、今起きている偏見や差別が、今後の未来にとって悪影響であるという内容です。

私は、未来へ向けて次世代の人間を生み育てるという観点から、現在子を産まないと選択している人の存在や、LGBTQである彼らの存在が重要であると考えています。

もしお時間がある際はリリスに関する記事をお読みいただけると嬉しいです。


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昨今では多様性を認めようとする動きが進んでいます。


その中で「性と子供」に関して、同性のパートナーや養子を迎える人、また異性同士でも子供を生まない人々(時には望んでも叶わない人たち)の存在が増えてきています。

それらの人々の持つ「性」が、種の保存へ関わる創造性である「生むプログラム」と関わりが無いのかといったら、それは勿論大きな間違いです。

(リリスの記事の中で説明していますが、私たちは種の保存から生み出すということを本能的にプログラミングされて生まれてきています。それが、「性」というものなのです)


ですがまだまだその意味に気づかない人たちは多く存在していて、間違った差別や偏見が起きているのも事実です。

というよりは、国が同性婚を認めない時点で、こういった点に関する理解が進んでいないのだと感じます。

そしてその差別や偏見の理由に「命を生み出さないから」というものをよく目にしますが、本当にこれはどういう勘違いなのかと恐ろしくなるほどです。


この世に生まれた全ての人に、直接関わらずとも命に対する創造性があるということ、そして今差別や偏見の中にいる人たちは、この先の未来の社会を作り上げている重要な存在であることをここに記しておきたくてこの記事を書いています。


ちなみにですが、私は基本的に生まれの性は女性。性自認は女性、性的対象は男性なのですが、性格的に男性性の強い資質を根本的に持っていて、女性性の強い男性を好きになります。

子供の頃から女性へ恋心を持つことも普通にありました。

私の場合は精神的な傾向の話であって、肉体と脳が認識している性に違和感というものはありません。現在子供を産んで育てています。

(子供はASDの傾向が強く、私よりもうんと賢く繊細でありながら、こだわりの強さや苦手の偏りを持っています。)


私自身は自分が女性へ恋心を持つことに違和感も無かったので、子供の頃から今でいうLGBTQの人たちが、その当事者かどうかということにはあまり意識をすることがなかったと思います。みんなどこかそういう一面があるだろう、それが強いがどうかだろうという認識で育ちました。

悩まれている人にとっては、非常に繊細な問題なのですが。

いわゆるその性の区別に悩む人々や子供を産まないと選択する人々が、自分らしく生きる時に、この世界の未来はどんどん切り拓かれていくということを私は強く感じているのです。


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さて、私たちの生きている世界は日々進化し、変化しています。

現代では親子における血の繋がりは、全体的に見てそれほど重要なことではありません。(個人の中では大きなテーマであっても、この世の全てで考えるとそうではないということです)

悲しいことではありますが、地球全体の繁栄において人間の数が必ずしも重視されている訳では無い時代でもあります。

戦乱の世が過ぎたために、とにかく自分の子供を多くを生み出すという時代は過ぎたように感じます。


生活の様式や社会の在り方も、昔から続く種の存続方法の一連の流れとは離れつつあるでしょう。

そして昔の人々が気付かなかった部分の感覚は大きく進化し、世代が進むにつれ人間は本来のあるがままの感覚を取り戻しつつあるという、重要な変化が起きています。

つまり、自覚の有無に関係なく共感性の高い人間が増えているのです。


特にエンパス、サイキッカーと呼ばれる人々はここ数年で「自分がそうであると表明しても大丈夫な世の中」になりましたから、存在が次々と明るみに出るようになっています。

そして現在生まれてきている子供たちは親の世代とは比べ物にならないほど鋭く繊細な感性を持って生まれているのです。

こういった子供はよく「育てにくい子」と呼ばれることがあります。この表現のしかたというのは適切ではないのですが、実際は今までの育児の常識が全く当てはまらない子達であるのも事実です。

ですから親の育児ノイローゼは必然的に増えてしまいますし、その辛さや大変さが先人たちには理解できない部分も多いという、難しい問題が確かに起きているのです。


知識の浸透が充分では無いために、勘違いや、虐待、親の育児放棄、親の自殺などの問題は深刻化している現状があります。

子供の鋭く繊細な感性が引き金となり虐待や放棄が起き、子供が施設に預けられる事も現実として多いでしょう。

親自身がエンパスであるのに自分で認識できておらず、自分の感覚を虐げたまま生きている場合もあり、結局子を育てる事が苦しくなって出来なくなってしまうという場合もあるでしょう。


こんな世の中で、繊細かつ感覚の鋭い子供たちを、潰してしまわずに一人でも多く次世代に送り出していくには、親以外にも経験豊富な大人たちが、こちらも一人でも多く必要なのです。

実子のみを両親もしくは片親のみで、限定的に育てる様式は、正直この星の繁栄には適さない部分が多いかもしれません。


文字にする少々衝撃的に見えてしまいますが、現在の世の中では一人が多くの子を生み育てるのは正直とても困難であることに間違いはありません。(一人で育ててる人、本当にすごいことなのですよ、、、)

ですから保育や福祉がより身近になっていますし、ここに関わる大人たちへの保証や待遇も変化必須になるわけです。


こうして親世代よりも感覚の鋭い子供たちを育てていくには、親の進化、そして社会の進化、人々の価値観のアップグレードも必要になってくるのです。


現在の親世代の人間が、出産適齢期に至るまでの間に、この新しい感覚の人間を育てられるように経験と進化が終わっているかといえば、それは正直難しい話です。

どの時代でも、同じように親は子供によって学ぶことばかりですが、今のこの時代の変わり目においては急激な変化や成長が求められ続けています。


種は学習し進化し続けています。

感覚の鋭さを理解されず抱えてしまった孤独や怒り、そして抑圧によって起こった争いや悲しい結末を、この星は繰り返すわけにはいきません。


子を血の繋がりによる関係のみで育てていく存続方法では、限界が来ているのでしょう。

それをDNAは既に予期していたのか、察知したのか。本来そうなるべくしてなったのか。

結婚し子を産む人も、産まない人も、また家庭自体を形成しない人も、LGBTQの人々も。

次世代に興味のない人も。

直接関わらずとも、全ての人がある意味一つになってこの世界の子供や社会そのものを次世代に育てていく時代が来ています。


私たちは、自分の子供以外の子供を育てる「命と心を育む社会、世の中」を、今世に生み出している途中です。

これは大きな「創造」のひとつなのです。


血のつながりの無い子供を迎え入れるカップルや夫婦が、当たり前に存在できるような世界を作っていますし、その社会を構築する現代に生きて向き合っている人たちは、皆この創造の一部です。

一人ひとりに違った大きな役割があるのですから、子を産まない人が「生命を生み出さない」という考え方は大きな間違いであり、命や心を救う可能性を著しく低下させる危険な考え方なのです。

現在、現実的に「子供を生み出さない」という理由で否定的な扱いを受ける人々がたくさんいますが、本来は当たり前にこの世界や未来にとってとても重要な存在です。

次世代を育て上げていく上で、人間を教育し心を育む社会を生み出す上で、とても大きな創造をしてくれている人々なのです。

社会を作り上げていく役割の形が違うだけという言い方の方がわかりやすいかもしれません。



私たちは全ての人が、未来へ命を紡ぐ為の創造性で溢れているのです。


つまり今こうした偏見や差別があること、性別によって結婚が認められないというのは、未来にとっては大きな障害でしかありません。

これを無くしていくのが大事なことなのです。

性により生を受けた人々は、生み出す力の「性」を発揮して、こうしてこの星で創造を繰り返しているのですから

関係がない人は居ないということ。


次世代の子供たちが

迷うことなく、苦しむことなく生きていける世の中になるように

私たちは、日々価値観を新たにし、今出来ることを一人一人がやっていくことが大事なのです。


私はいつか必ず、

この世界が個を認め合える世界になると信じています。

だからこそ、自分に出来ることを。

日々少しずつ進めていくことを誓って生きています。

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