【エッセイ】生と死は紙一重 ~生きたかった父と大好きだったhideが私に遺したもの~
今回は少しテーマが重めです。先に宣言しておきます!いつものあゆさんとは一味違います💦
でも大切な事でもあるのでどうしても書かなくてはと思い今この記事を書いています。たまにはこんなんも良いよね?(ダメ―って方はスルーを許可します🤡)←謎に上から目線w
父の命日
今月15日は父の命日でした。
4月って毎年何かと忙しく、正直な話、忘れてしまっていた年もありました。(父よ、こんな娘を許しておくれ💦)
以前の記事にも時折登場している父。
私がまだ幼かった頃は、とにかく可愛がってもらった記憶しかありません。
逆に母には可愛がってもらった記憶はあまり残っていない。
多感な年頃になるにつれ、両親は私に対してバイオレンスな教育方針?(一応オブラートに包むように言ってみました笑)に方向転換?
その頃から、私は両親から愛されていないのでは?いや、愛されてるはずがない、そう感じていました。
中学卒業からほどなく両親から離れ、まだ右も左もわからない子供がいきなり社会という大海に放り出され、泳ぎ方すら知らない私はもう溺れかけるわ、大怪我はするわ、挙句の果てに死にかけるわ…💦
それでもまぁ何とか生き抜いて今があります。
もともと父さんっ子だった私。
紆余曲折ありましたが大人になるにつれ、父の事はずいぶんと理解できるようになっていきました。
そして私が23歳の時、父はこの世を去りました。まだまだ働き盛りだった父。
今頃生きていれば…命日にはいつもそんなことを思います。
余命3ヵ月と言われ、2ヶ月余りでこの世を去った父。一体父は最期に何を見て、人生の最期の時何を思いながら目を閉じたのでしょう。
それは誰にも分らないし一生知ることはできないんですよね🥺
父が遺したもの
あっけなく逝ってしまった父。
あんなに元気だったのに…
この間一緒に飲んだばかりだったのに…
危篤の連絡を受けて急遽駆けつけましたが、父の最期に立ち会う事は出来ませんでした。
そのことが良かったのか悪かったのか。
病院へ駆けつけた時にはもう 既に息を引き取っていました。でも父の手はまだ温かった。
まるで眠っているかのように穏やかな顔をして目を閉じる父をもう亡くなってしまったのだと実感できなかった。
葬式が終わるころには事実としては”死”は理解できているけれど、もうこの世に居ないんだという事を実感するのには長い長い時間が必要でした。
まだ話したい事もあった。
親孝行だってしたかった。
もっと父を理解したかった。
長い時を経た今でもそう思う事があります。
誰でも平等にこの世に”生”を受け この世に今存在しているという事は逆を言えば誰しも必ずや
”死”は訪れるということ。
どれだけ生きられるかはわからないし、今日会えた人に、明日会えるとは限らない。
自分が今日死ぬかもしれないし、大切な人が明日死んでしまうかもしれない。
大袈裟ではなくそれは紛れもない事実。
多くの人はそんな当たり前のことになぜ目を向けられないんだろう。
どうして目を背けて今を大事に生きられない人がいるのだろう。
今日生きていて 大切な人と一緒に居られたら本当はそれだけで奇跡なんじゃないかな?
身近な人の”死”は痛いくらいその当たり前の奇跡を気付かせてくれる。
当たり前に今日を生きていて 当たり前に来る明日は無いのだから。
父が私に遺したもの
それは"私" の命そのもの
そして
幼い頃にはありったけの愛を。
子供の頃は心の痛みを。
大人になれば
人としての大切な事
人間の強さや弱さ、脆さを。
そして
身を持って教えてくれた
"命の大切さを"
父が生きられなかった今日を
私は今大切に生きている。
hideの命日
命日と言えば、5月2日はhideの24回目の命日だ。知らない人の為補足👇
私はソロ活動からのhideの曲がすごく好きでした。特にこのピンクスパイダーは若い頃の自分に向かって言われてるような歌詞が今でもめっちゃ心に刺さります🥹
ピンクスパイダー
歌:hide with Spread Beaver
作詞:HIDE
作曲:HIDE
君は 嘘の糸張りめぐらし
小さな世界 全てだと思ってた
近づくものは なんでも傷つけて
君は 空が四角いと思ってた
「これが全て… どうせこんなもんだろう?」
君は言った… それも嘘さ…
ケバケバしい 君の模様が寂しそうで
極楽鳥が 珍しく話しかけた
「蝶の羽根いただいて こっち来いよ」
「向こうでは 思い通りさ」
ピンク スパイダー 「行きたいなぁ」
ピンク スパイダー 「翼が欲しい…」
捕えた蝶の 命乞い聞かず
君は空を睨む
「傷つけたのは 憎いからじゃない
僕には羽根が無く あの空が 高すぎたから…」
(セリフ)「私の翼を使うがいいわ,スパイダー。
飛び続けるつらさを知らないあなたも,
いつか気が付く事でしょう。
自分が誰かの手の中でしか飛んでいなかった事に。
そして,それを自由なんて呼んでいた事にも…。」
借り物の翼では うまく飛べず
まっさかさま 墜落してゆく
ピンク スパイダー 「もうダメだ」
ピンク スパイダー 「空は見えるのに…」
ピンク スパイダー 「失敗だぁ」
ピンク スパイダー 「翼が欲しい…」
わずかに見えた あの空の向こう
鳥達は南へ
「もう一度飛ぼう この糸切り裂き
自らのジェットで あの雲が 通り過ぎたら…」
ピンク スパイダー 空は呼んでいる
ピンク スパイダー ピンク スパイダー
桃色のくもが 空を流れる…
ある日突然
ある日、想像もしてなかった訃報が飛び込んできました。それは大好きだったhide の思いがけない最期…
訃報は突然に
その時の衝撃は今でも強く心の奥に残っています。ドアノブにかけたタオルで首を吊った状態のhideを同居していた婚約者が発見し病院へ搬送されましたが、発見された時点で既に呼吸は停止状態。そのまま死亡確認。
享年33歳の若さでした。
彼は生前自殺をほのめかすような発言や行動もなかったと言われていて真相は不明。
てか今後もそれは明らかになることはないでしょうね。
当時は”自殺”という衝撃的な最期だった為、いろんな憶測が飛び交いました。
そしてファンの”後追い自殺”を助長することにもなりました。
当時の自分を振り返ると超熱狂的、盲目的にファンとまではいかなくてもやはり大好きだったしすごく悲しくて悲しみのやり場がありませんでした。
ファンが後追い自殺までする気持ちがわからなくもない。
ま、でもあくまでも気持ちは理解できるって意味ですけどね。
死因が”自殺”
同じ”死”でも”病死”や”事故死”とは違い、残された人にとって最もダメー大きいのが”自死”なのではないでしょうか。
ここで少し自身の話を。
※このてのネガティブなお話は苦手と言う人はどうぞここからスルーしてね👇
うつ病を経験して
以前の記事で自身のうつ病に関して書きましたが、私の場合 原因は複合的だったと思います。
何が原因にしろ うつ病と言うのは本当に厄介。
自分で自分の心や気持ちをコントロールできないんです。
そしてうつ病の診断基準の中には「死について繰り返し考える」という項目もあるくらい、割と”死”と直結してるのが”うつ病”なんです。
私自身、通院しながらカウンセリングや投薬治療を続けたけれど、一時期は よくなるどころか、症状は悪化するばかりでした。
今でも当時の記憶はかなりの部分が抜け落ちています。
その分逆に覚えていることはすごく鮮明で、どん底の時にいつも心を占めていたのは”不安”と”絶望感”だったんです。
しかも何かが起きたとか、言われたとか、何のきっかけもなく漠然と”不安感に襲われる恐怖”は相当なものでした。
この不安感に襲われると、食べることも眠ることも、動くことさえままならなくなり、薬を飲んでも気分をコントロールすることも出来なくなり、行きつくとこ
「死にたい」
「死ぬしかない」
この心の叫びが結果、自殺未遂を繰り返すことになったんです。
何度も何度も薬を大量に飲んで。
そして病院へ運ばれ、胃の洗浄をされることもあったし、眠ったまま数日間目を覚まさないことも何度かありました。
遺書
何度か大量に睡眠導入剤やら抗うつ剤など手あたり次第薬を飲むという未遂を起こしちゃってたけど、その時のことを思い返せる範囲でいうと、
「死にたい」と意識しだした時から「どうしたら楽に死ねるか」といつも考えていた気がするんです。まぁそもそもそれが病気のなせる業でして。
今思うとその「どうしたら楽に」ってのがまたミソで。
結局”死ぬ”という事は怖くて、だからこそ痛くなく苦しまないで死にたいという なんとも都合のいい思考だったのではないかと思うんです。
これはのちにわかったことですが、薬を大量に飲んだ時、朦朧としながら何通もの”遺書”を書いていたことがあったんですね。
お世話になった人や家族、友人、へ。
そしてその誰に対しても書いていたことと言えば
「ありがとう」
「ごめんなさい」
だったんです。
だって誰かを恨んでもいなかったし、何よりそんな状態から抜け出せない自分を許せなかったから…「ごめんなさい」だったのかなと。
後日知ったことですが、最後に未遂を起こした時、私は大量の薬を飲み意識を失っていらしく その時眠ったまま大量に嘔吐し、むせて激しく咳込み それで家族が私の未遂に気が付いて救急車で病院へ搬送されました。
意識をはっきり取り戻したのは3日後。
何度もまどろんで目は開けていたようだったけど、意識が戻りはっきりと病室の天井が見えた時
「あ、私、死ねなかったんだ…」
そう思ったことをいまも鮮明に覚えています。
生と死は紙一重
その後、私は大量に薬ばかり投与する医者に不信感を持ち、無謀にも自己流での“断薬”を決意。
それは簡単に言葉では言い表せないくらい無謀で大変な事でした💦マジで😭😭😭
しかも心は風邪をこじらせたまま。
しかし私の長所でもあり短所でもあるブレない性格が幸いして、離脱症状も死に物狂いで克服し”寛解”と呼べる状態までになり、今に至ります。
あくまでも自身の経験でしかないし、うつ病を患うまでの経緯や経過は人それぞれ千差万別という事を踏まえてお話したいこと。
それは…
”自殺”にも色々あるってことです。
”死にたい”と”死のう””死ぬ”は似ているようで持つ意味は全く違う。
私の中では多分”死にたい”は”生きたい”の裏返し。そう心の奥底で思ってるからこそ出た”SOS"だったんじゃないかって思うんです。
それでも吐しゃ物をのどに詰まらせ窒息死していたら…不運にも誰にも気が付かれずそのまま死んでいたら…
"生と死は紙一重"
私はまぎれもない”自殺者”になっていた。
どれ程の悩みがあり苦しんでいるのか。
どのように心を病んで正常な精神状態ではないか。
どんな理由にしろ、”生と死の紙一重”の所で私は運よく生き延びることができました。
だからこそ今、失くしていてもおかしくなかったこの命を大切に生きて来れてる。
それはきっと、そんな経験があったからだと思っているんです。
父はまだまだやりたいことを残し”病気”でこの世を去りました。
大好きだったhideは”自殺”という思いも寄らぬ形でこの世を去りました。
どちらも”死と言う意味では同じだけど、父の死はある意味不可抗力による死です。
父が私に遺してくれたもの。
それは”今この命を生きていられることの素晴らしさ”なんだと思うです。
当たり前の奇跡を教えてくれたのかなって。
そしてhideの死は”生と死は紙一重”と言う事。
本当に死にたいと思っていたとは思えないからこそ、”運悪く”亡くなってしまったのではないかと思っているから。
紙一重運よく生き延びてくれていたら彼は今57歳。
ピンクスパイダーでは
”世の中そんな甘くねーぞ”
”自分の力で生きて抜いて行け”
そんな意味を思わせるような詞を書いていた彼は今生きていたらどんな詞を書いただろうな。
命日が目前の今そんなことを思います。
そして紙一重生き延びた私は逝ってしまった人達が遺してくれた物を
”誰かに遺したい” ”伝えたい”
そう思って今回の記事を書きました。
あとがき
今回の記事。
一見”死”と言うテーマのように見えますが死を通して”生”を改めて考えるきっかけになればと思いました。
大切な人
身近な人
どんな人でも人の”死”は悲しいものです。
それが突然であればあるほど。
父は”病死”で宣告されたよりうんと早くに亡くなってしまったけどまだ、周囲は少なからず心の中で覚悟が出来ていてまだ少しは気持ちが楽かなと思います。
しかし”自殺”となると話は変わります。
自身の経験から自ら死をを選ぶという事は紛れもなく誰よりも本人が苦しく辛いんです、死にたいと思うほど。
でもやっぱりそれは決して肯定してはいけない行為だとも思うんです。
だって悩み苦しんだ結果死んでしまったら・・・その瞬間からその苦しさは残された今を生きる誰かへ引き継がれてしまうから。
これを読んでくれている誰かがもし”死にたい”そう考えていたとしたら、明日生きたくても生きられない人がいることを思って欲しい。
そして残された人が今のあなた以上に苦しむことになるかもしれないと言うことを。
そしてもし自殺によって大切な人を亡くした人がいたら思って欲しい。
あなたを苦しめたかったんじゃないって。
どうしても苦しくて辛くて”死”選んでしまったけど きっとそれは過ちだったんだって。
生と死は紙一重
亡くなってしまう人もいれば 生き延びる人も居るという事。
それでも悲しみから抜け出せないなら思って欲しい。
”死”もってして
”生きることの素晴らしさや”
”誰かの為に生きる大切さ”
を教えてくれたって事を。
それが亡くなってしまった人への一番の供養になると思うから。