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【エッセイ&映画レビュー】いまを生きるを観て

ずーっと見たかった作品。

というか、すんごい昔に観たのにほぼ覚えてないという。。🥴

昔から映画は好きだったけど私の中では

『良い映画』
『うーんな映画』

というほぼ2択しか無かった気がします。

というか、どんなことも『白か黒』みたいな考え方してたからなのかもしれませんね😅

今や歳を重ねて『白か黒』に加え中間の『グレー』が増え、さらに『黒寄りのグレー』『グレー寄りの白』まで😂
カラーバリエーションが増える始末w

しかしカラバリ増えたことで、自分自身楽になった気もするんです。

『白か黒』『善と悪』の二極化で考えると答えの出ないこともカラバリを応用すれば

『まぁこんな色もアリかな』

なんて そう思えたりする。

この柔軟さって若い時にはなかなか持ち得ないものなのかなって思うんですね。

年齢を重ねていく中で培ってきたもの。

だから若い時は分からなくて当然だし、だからこそ、その道標になるものが必要なのかなって。

その道標のひとつが、親であり教育であり大人なのかもしれません。

そして、そこでどんな親元で育ちどんな教育を受け、またどんな教師や大人と出会えるかで、多感な年代は特に大きな影響を受けるのかなと思います。

いい意味でも反対の意味でも。

そんな事を少し頭におきながら読んで頂けたらと思います。

いまを生きるはどんなお話?
(※ネタバレあり)

いまを生きる“(原題: Dead Poets Society)は、1989年公開のアメリカ映画で第62回アカデミー賞では脚本賞を受賞しています。

主演は大好きな俳優ロビン・ウィリアムズ

伝統や厳格な規律を重んじる全寮制の名門校に新任の英語教師ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してきます。

キーティングの授業は、詩の美しさ、人生の素晴らしさ、数字や型では決して測れないものの大切さを説き、生徒たちはそんなキーティングの授業に少しずつ惹かれてゆきます。

ある日の授業のこと。
キーティングは突然机の上に立ち

「私はこの机の上に立ち、思い出す。常にものごとは別の視点で見なければならない。ここからは世界がまったく違って見えるんだ」

と話しました。

そして生徒を同じく机の上に立たせ、

「そこからは見えるものはきっと違うはずだ。ものごとは違う角度から見ることも大切だ」

そう話しました。

キーティングの風変わりで型破りな授業に、初めは戸惑っていた生徒たちでしたが、やがて刺激を受け、新しい考え方や、自由な生き方があることに気付いてゆきます。

同校のOBでもあるキーティングが、学生時代につくった秘密組織“死せる詩人の会”を復活させ生徒達は自らを語り合う中で“いまを生きる”ことに目覚めてゆきます。

やがて彼らは自分がやりたいことは何か、どう生きたいのかを自覚してゆきます。

ある生徒は偶然知り合ったクリスという女の子に恋をし猛アタック。

またある生徒は

『女子学生を学院に入学させるべきだ』

と学校に訴えました。

そしてニールという生徒は演じることの素晴らしさに目覚め、俳優を志したいと“真夏の夜の夢“の舞台に主役として立つことを決めました。

しかし、父親はニールの思いには全く耳を貸さず、舞台に立つことも大反対します。

舞台当日。

父親はニールの芝居を見に来ましたが、拍手はおろか、笑顔ひとつ見せることなくニールを自宅に連れ帰り話をしますがニールの考えなど一切聞き入れることはありませんでした。

ニールは親の言いなりにしか生きられない未来に絶望し、拳銃を手にとり自らの生命を絶ってしまいます。

ニールを含む、生徒達間違った方向に導いたとして、キーティングは責任を取らされ、学校を追われることに。

別れを告げに教室にやって来たキーティングを、何人かの生徒が机の上に立ち前とは違う角度から笑顔で見送ったのでした。

感想

原題“Dead Poets Society“は物語の中に出てくる「死せる詩人の会」を意味します。

邦題では「いまを生きる」これは劇中キーティングが口にする

Carpe Diem(カーペ・ディエム)

これはラテン語の日本語訳だそうです。

この物語に出てくる生徒達。

初めは風変わりなキーティングに戸惑っていた生徒達でしたが、詩の美しさ、想いを言葉にすることの素晴らしさ、行動することの大切さや何にも縛られない自由な心を教え説くキーティングを見る目がどんどんキラキラと輝いていきます。

伝統と規律を重んじる名門校。

将来を期待され、多くは親にレールを敷かれる彼等。

中でもニールはやりたいことを見つけたのに頭ごなしに父親に全否定されてしまいます。

そして

期待を裏切るな

これが子供にとってそれがどれだけ重い言葉なのか。

彼は夢への第一歩を踏み出し、演劇で『主役』務めましたね。

しかし…

芝居の後、全く理解を見せない聞く耳も持たない父親に絶望し、ニールは拳銃で死を選んでしまいます。

あまりにも悲しい。

まだ高校生の彼。
自分の思いだけで生きられるほど強くはない。
けど死を選んで欲しくはなかった。

ただ彼はキーティングに出会ったことで一瞬でも“いまを生きた“んじゃないかな…というかそう思いたい。

だって主役を演じる彼、とってもキラキラしてましたから。

彼の死はキーティングの影響によるものだったと思う人もいるでしょう。

しかし、まだ人生経験のない若者に、規律や伝統を重んじることを教え説いたとして、それがこれから生きてゆく上で、一番に教えるべきことなのか。

親として、教師として、大人として。

確かに生きてく上で大切な部分もあるかもしれません。

しかし、そのことに対してなんの疑問も持たないことって逆に怖いことかなって思うんです。

だって時代は変わってゆくものだし、伝統は残るべくして残ってゆくもので、守らなければ無くなってしまうものなら、それはもう必要とされてないからじゃないかな?と私は思うから。

自分で考えること。
行動することの大切さ。

ニールは亡くなってしまったけれど、残された生徒達の心には大きな何か残ったはずです。

学生時代。

どんな教師に出会えるかは運みたいな所ありますよね。

私はあまり心に残るような教師には出会えなかったけど、もしキーティングのような先生に出会えていたら、、もう少し生きたいように生きられたかもしれない…なんて思ったりもしました。

最後に

私には子供達がいますが、決してお手本になるような大人でなかったし、立派な親でもなかったと思っています。

ただ、言えることは必死に生きてく姿を今までも子供達は見て来たし、今も見ていると思うんです。

ダメな所、弱い所もたくさん見せてしまったけれど、それも私。

完璧な人間はいないし、欠陥だらけの私のような大人もいる。

それもまた悪いお手本ってことで反面教師になればいいと思うんです。

これまで子供達に成長させられて来た所は大きいし、それは現在も進行形。

親だから、大人だからといって全て正しいのかと言えばそれは違うし親の言うことが全てではないし、大人が言うことが必ずしも正解ではない。

だからこそ自分で考えることの必要性や、行動することの大切さを、親や周りの大人が一番に教えていかなければならないことのような気がします。

いまを生きる“

誰のものでもない人生を

大切に生きたいと思うし

大切な人には
思うように生きて欲しい

そう心から願わずにはいられません

ひとりの親として

ひとりの大人として。

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