音楽伝記映画3作、オスカー俳優たちのモノマネ競演のすごみ。
「ボヘミアン・ラプソディ」「ロケット・マン」「ジュディ」と
ミュージシャン伝記映画が毎年公開されてます。
どの映画も「本物に見間違うかと思うほどの渾身の演技!」
「完璧な体現」なんて評されています。
でも伝記となったモデル人物を
3人のオスカー俳優たちがどういうアプローチでのぞんだのか
けっこう違ってて面白かったので比較してみたいと思います。
以下、ネタバレはしてませんが、私の見方は偏りきってるかもしれません。
美しき虚構「ロケット・マン」
まず伝記映画の王道は
実際のモデル人物よりも、かなり美化されて画面に登場する描き方。
これは安心感安定感あります。画面に小汚いものが出てこない。
実物はどんなチンチクリンでも、演じるのは素敵な俳優。
「ロケット・マン」がまさにそう。
画面には補正されたエルトン・ジョンが現れて
歌って、踊って、落ち込んで、立ち直ってくれます。
ちょっとイケメンのエルトン・ジョン。
エルトン・ジョン自体そんなに小汚くないので
ほんのちょっとですが、ほんのちょっとだけ美化されています。
主演のタロン・エガートンはすきっ歯にしたり、突飛な衣装を着たり
「コンプレックスのあるエルトン・ジョン」を最大限に表現してますが
隠しきれないそのイケメン面。
まさにベーシックな映画としての在り方だと思います。
「ジュディ」役づくりへの情熱がほとばしる
「ジュディ 虹の彼方に」は亡くなる直前のジュディ・ガーランド47歳っていう設定です。
主演女優のレネー・ゼルウィガーは撮影時、奇しくも同じ47歳。
どうでもいいけど、私も47歳。
で、47歳視点から見るとですね、
薬物の影響はあるとはいえ、レネーが演じたジュディ、60代に見えるぞ?
レネー、同じ年の役なのに、シワをそんなに足す必要あったのか??
私はジュディ・ガーランドをそれほど知りません。
映画「オズの魔法使い」で少女ジュディを、
大人のジュディは「スタア誕生」で見ただけ。
ただ「スタア誕生」のジュディは元気な姉さんでしたし
それから15年でこんなシワシワボサボサ挙動不審ばあさんになるかな?
との疑問がよぎり、映画鑑賞後、YouTube検索。
晩年に近いカーネギーホールの動画を見つけました。
カーネギーホールでの公演のジュディは、たしかにちょいヤバ。
横から見ていた娘が予備知識なしに
「なんでこの人ぷるぷるしてるの?」と言うほど。
やっぱりレネー・ゼルウィガーは特徴をよくとらえてます。
すがるようにマイクを握る感じとか、猫背感とか、唐突に手を広げる感じとか。
ほほー。
モノマネを知ってから、本物を見る逆追体験。
コロッケのモノマネを見てから美川憲一を知る流れと同じです。
さらに晩年の資料として、亡くなる3か月前のジュディの画像を見ました。
この頃、ジュディはミッキー・ディーンズと結婚したので
動画はないのですが画像が多く残ってました。
47歳のジュディ。
もちろんシワやタルミもあるけど、市井の47歳よりどんだけきれいか。
さすが銀幕の大スター。
当時は写真も補正できないだろうに、キュートでかわいい。
これは・・・レネー・ゼルウィガー、やったな。やったんだな。
レネーさん、美化させるのではなく、悪化させてます。
モノマネ界で言うならば、鼻にセロハンテープを貼って谷村新司パターン。
面白い。けれども。
レネー・ゼルウィガーは「ブリジット・ジョーンズの日記」で
役作りのために13kgも体重を増やした、女デニーロ。
勝手な想像ですが、ジュディという「悲惨な末路の女優」像を追及
「もっとシワを!もっと痩せこけを!もっと薄毛を!もっとババアを!」と
盛り盛りにした結果、悲惨な実物よりさらに悲惨に誇張されるという結果に。
レネーの役者魂、ほとばしりすぎてます。
おかげでレネー、この作品でアカデミー主演女優賞をとってますけどね。
さすがです。
フレディの本質
「ロケット・マン」と「ジュディ」を踏まえたうえで
「ボヘミアン・ラプソディ」をふりかえると
ほんとこの作品はいろいろ独特。
フレディ役主演男優のラミ・マレックはオスカーを受賞して
「彼はまるでフレディが生き返ったかのよう」と評されてますが。
ですが、私は思ってました、ずっと。
劇場で見て、アマゾンプライムで見て、やっぱり思いました。
たしかに本物のフレディを忠実に再現しようとしている。
けど・・・フレディよりキモいくないか?
まず明らかな入れ歯。
気になって仕方ない。口元がおかしい。
あれのせいでモゴモゴしてませんでした?
フレディはたしかに出っ歯だけどモゴモゴはしない。
ちょっとしたラブシーンもあの口元へと目線が集中してしまう。
さらに、体の縮尺が間違ってる。
身長があんなに低くないし、からだつきがどうにも薄っぺらい。
フレディってもっと筋肉質でしたよね、特に後半は。
ラミがタンクトップを着るとピッチリしてなくてぶかぶか。
単体で出てるときはまだいいのですが
他のバンドメンバーも一緒に映っていると
元気でちっこいおじさんが一番前でチョコマカはりきってて
フレディというより池乃めだか。
縮尺の狂ったビックリハウスで出くわしたフレディ。
一生懸命、似せようとしているのは伝わります。
美化でもないし、露悪でもない。
そこに意図はない、ゆえになんか雑・・・で、結果的にキモい。
キモいよ~。
いや、待てよ。
そういえば、フレディってキモくなかったか?
かっこ良いしカリスマ性もすごいあるんだけど
隠しきれないキモさがある人だった。
そのキモさがクセになる魅力を醸し出してたりする人だった。
観る側に居心地の悪いむずむずモゴモゴブカブカ感を提供してくる感じは
本物のフレディも、ラミが演じるフレディも、同質なのかもしれない。
そう考えると、ラミはフレディの本質を完璧なまでに再現しているのか。
モノマネにたとえるなら、ロボ五木ひろしなのかもしれない。
その人の本質を概念的に似せて表現している。
そうか!
それならすごい絶妙な演出!超絶技巧!
・・・だったのかもしれないけど
いや、でも、やっぱり、あれは演出じゃなくて偶然の産物の気がする。
フレディという稀有なカリスマだから成立したんだろうし
クィーンがいつの時代も
……ん?
を提起し続けるバンドだから、ミラクルに着地した気がします。
映画の制作が右往左往した経緯もあったみたいですしね。
口パクか。俳優歌唱か。
この三作のうち
タロンとレネーは「壮絶トレーニングで歌声を再現」しています。
お二人とも、とても上手です。すごい似てるし。
でも。でも。でもでもでもでも!
やっぱり元歌の方がいい・・・
映画内で聞いていると
正直、どの辺がどう違うとかわからないんですが
やっぱりエルトン・ジョンが歌うYour Songの方がいい。
プロのミュージシャン、スーパースターである彼らの歌って
どれだけ真似しても真似しきれないグッとくる何かがあると思う。
単純に耳慣れてるだけなのかもしれないけど。
しかし「ボヘミアン・ラプソディ」のみが実際の音源を使用しています。
つまりラミは口パク。
「おれ、口パクでいいっす!」と開き直ったラミは偉いと思う。
役者魂を変に発揮しないでいてくれたのは大正解。
役者がどんなに似せてきたとか努力してきたかも見どころですが
観る側は単純にいい音楽が聴きたいときもある
特にミュージシャンの伝記映画は、後者を求める気持ちが強いです。
「ボヘミアン・ラプソディ」大ヒットの要因は、その辺の割り切りもあるのかなぁ。
そんなわけで、あらためて音楽家伝記映画の三作を比べてみたら
やっぱり「ボヘミアン・ラプソディ」は怪作だと認識した、という結論です。
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