『マティス展』 東京都美術館
今までマティスの作品を扱った展示では「窓」や「切り絵」、「オダリスク」など断片的な面からしか見てきてなかったので、今回初期から晩年までの流れがわかるキュレーションになっていたことで、マティスって人生かけて1つのことを追求してきたんやってことに初めて気づけました。
「色」と「線」。この2つをどうすれば響き合わせることができるか。それをずっと、もうずっと、あれやこれや手法を変えてやってきてたんやなって。
これ個人的にかなり胸熱トピックで、たった1つの元素を一生かけて見つけ出す科学者のように、彼も大きな1つの問いに向き合い続け、そして最終的にその表現方法を見つけることができたのって、投げ出さずに挑戦し続けたからで、好奇心の旺盛さ、探求心の強さに感激しました。
私てっきりマティスはその時々に好きな手法でまたは戦争や病気など制限のある中で出来得る限りの表現を自分なりにのびのびやってきた人やと思ってたので、ここに1本の筋が通ってたなんて!見直したでマティス!(何様)「みんなを癒すひじ掛け椅子のような絵を描きたいのじゃ」とかほわほわしたこと言ってたので、癒し系画家目指してたんかなって思ってましたが(雑)、最晩年に手がけたロザリオ礼拝堂をつくるにあたって『神を信じているかどうかにかかわらず精神が高まり、考えがはっきりし、気持ちそのものが軽くなるような場』を目指していたと知り、マティス、あんたすごいやん、最初からずっとあの時代にはまだないヨギボー級に全人類を癒せる椅子をイメージしてたんやん、壮大な宣言やったんやんってその一貫した姿勢に心打たれました。
というわけでマティスの探求の道のりがわかる気になった作品の感想を。
『豪奢、静寂、逸楽(1904)』
初期の点描作品『豪奢、静寂、逸楽(1904)』。やっぱりシニャックに比べると輪郭の表現が圧倒的にマティスのは未熟で。線描いてもうてるし、その線も居所が悪くて色とも呼応してない感じが伝わってくる。最近改めてシニャックの描き方ってほんま凄いなぁと思っていたとこで、ほぼ線はなくて「色」と「面」で形を描いてるので相性のいいそれらが共鳴し合って絵から心地いい風が吹いてくる。マティスはそうじゃなくて「線」を重要視していたからこそここで躓いたんやなぁと思いました。
「こんなはずじゃないんやけど?どうしたら?」みたいな実験段階の「???」がこの作品からは見えてよかったです。
『DESSINSー主題と変奏(1943)』
あとから「わたしの線画はわたしの感動の最も純粋な翻訳である」って「線」について話したはるんですが、初期衝動の「線」っていうよりは何度も書き直してやっと到達する「線」のことをマティスは言ってると思ってて、それがわかるのが「DESSINSー主題と変奏」っていう1冊のドローイング集なんですが、これに載ってる素描の描き方がもうめちゃくちゃおもしろかった。
マティスは「感覚映画」って呼んでるらしいんですが(しゃれおつ)、まずモデル(主題)とおしゃべりしながら木炭で1回3時間ほどのセッションを3,4回繰り返して書き直してやっと線を決めるんですって。すごっ。ほんで2枚目以降はモデルはほとんど見ずに30分~1時間の短い時間でペンとか使って勢いよく描いていくらしい。3枚、4枚って描いていくうちにどんどん単純化されてモデルの内面が浮かび上がってくるんとちゃうかって。
マティスの線って一見落書きみたいに見えるからまさか何度も練磨してる選び抜いた線とは思ってもみなかったんですが、描いて描いて描いていく先に初めて生まれる何かを追い求めていくっていう姿勢まじで推せるなって。もう休んでもいいよ?って思うのに飛行機から飛び降り続けるMIPのトム・クルーズみたいなもんじゃないですか?自分どこまでいけるのか試してみたいっすてことだと思います(違う)。
実際いくつかの素描が展示されてるのを見て、確かに線みただけでその形、個性、匂い、色まで浮かんできました。あとマティスの線って全部踊ってる。動きとか動作っていうかリズムのような。人間の本質には音楽があるのかもしれませんね。線、侮るべからず。
ほんでまたそれを音楽の変奏曲に例えてて、これはやられたって思いました。
遠藤は小学生のころMAXのオタクやったので(え)原曲はもちろんハイパーノンストップメガミックスみたいな強そうな名前のリミックスとかも嗜んでたわけですが、やっぱ印象が変わるわけです。また違う世界が見えてくるんです。あぁこの曲こんな気持ちにもなるんやって。ドローイングも一緒やなって(例えわかり辛過ぎるやろ)
彫刻
ほんで話変わりますが彫刻よ。これもほんまにおもしろかったです。絵画の中で形を単純化させていく過程って結構感覚的にやっちゃって本質が失われてしまうものって多いと思ってて、マティスもそれを感じたのか粘土彫刻で写実的な彫像をまず作ってそれを単純化させていかはるんです。
立体としてやっていくから「形」がそこにあることによって線が曖昧になったとて強度が残る。その感覚を絵に応用していくっていう流れがめちゃくちゃわかりやすくてわぁ!♡ってなりました。
抽象化・単純化とはなんのためにするのか?形を変えたとて残り続けるものがある、際立つものがある。それが本質なのでは?ってのがこの彫刻群にすべて詰まってる感じがして抽象化のおもしろさに初めて気づけた気がします。
マティスめちゃくちゃおもしろい実験いっぱいやってたんやな、もぅ、もっと早く教えてよ~(誰)
「立っているヌード(1947)」
それと「色」の話でいくと「立っているヌード(1947)」。色以外にもマティスのしたいことがてんこ盛りないい絵やなぁと思いました。
厳選された色数だからこそなのか、赤、青、緑、黄色といった色がもともと持ってる力がダイレクトに目というより心に入ってくる。
よく赤からは「情熱」を感じるみたいに色に意味を見出すような見方をすることがあるけど、マティスの作品の場合、特にそういった意味は感じられず、ただその色が持つ美しさを味わうことができる気がします。
ついつい脳みそが分析モードになっちゃうと意味とか見出しがちなのですが、没入モードには入れれば純粋に色を味わうことができたりするのかなと思うと、やっぱりマティスの作品はヨギボーに座って見(省略)
あと「赤の大きな室内(1948)」、これめちゃくちゃおもしろい絵だと気づいたので、これもっとじっくり何度も見たいと思いました。対話型鑑賞したい。
最後に
というわけで、最初はマティスの元気な絵みて休憩しよ~とか思って行ったのですが、なんか結果すごい励まされました。
音声ガイドの最後に「自分の表現方法を見つけたら、自分が求めているのはなにかと自らに問いかけ、それを見出そうとする探求の中で簡単なものから複雑なものへと挑戦すべきだ。自分の深い感動に対する率直さを持ち続けることができるなら、興味は衰えずいつまでも製作の熱意を持ち、若い頃の自分から学ぶことをやめることはないでしょう。これに勝ることが他にあろうか。」とマティスの言葉を添えてくれたはったのですが、もうこれ、マティスからこんなこと言われると思ってなかったのでぐっときちゃうやつ。
うちもやりたいことブレずにとにかく継続し続けようがんばろうって思いました。
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