『鏑木清方展』
『鏑木清方展』
東京国立近代美術館、京都国立近代美術館
『好きなアイドルのライブで複数公演見るためにあちこち遠征行く人たち』の気持ち、すごいわかる。
それって「何回も本物をこの目で愛たいやん!」「幸せな気持ちになりたいやん!!」「ナマモノなんやから場所もタイミングも変われば内容や感じ方だって変わるやん!!!全部この目に焼き付けたいやん!!!!!」ってことですよね?!?!!
と、いうわけで、東京で2回見ましたが、京都にも見にきました鏑木清方展。
3年前、なんか珍しいやつが見れるらしいというミーハー心で『築地明石町』、『新富町』、『浜町河岸』の3部作を東京国立近代美術館で見たのが鏑木清方との出会いでしたが、そこから「あやしい絵展」「小村雪岱展」「福富太郎展」「上村松園展」などを鑑賞し、明治〜昭和初期にかけての美人画や挿絵などについて怒涛の勢いで学んでいく中であっという間に\清方先生推し/になりました。
【西の上村松園、東の鏑木清方】と呼ばれるように2人の美人画の巨匠は良く比べられますが、松園先生の描く美人を見てると吹き出しがふわ〜と出てきて、「緊張するなぁ」とか「あ、びっくりしたぁ」とか「楽しみやなぁ」とか「あの人どうしたはんにゃろう…」みたいなセリフや気持ちが手に取るようにわかってきゅ〜ん♡となるのですが、
清方先生の描く美人はセリフはあんまり聞こえてこないことが多いです。というか何を考えてるのかさえはっきりわからないことが多く、こちらがそれを想像するしかないのですが、なんかそういう女性って逆にものすごく知りたくなりません?「ミステリアスな人はモテるよ☆」みたいなティーン雑誌に書いてそうなこと言ってますが(笑)、私はまんまと清方先生の描く女性たちに翻弄されてしまったのです。
これは京都国立近代美術館にある松園先生の「舞仕度」(1914)余裕のあるお姉さまがたとは違ってドキドキしてる若いお嬢さん
本展は没後50年という節目の回顧展ということで、これでもか!!!というぐらい清方先生のいい作品が見れる気合いの入った展示です。あちこちから作品をお借りされてるので会期中に何度も展示替えがされています(東京では5回も…!)。
その中で【会心の出来】と先生が☆1個〜☆3個をご自身でつけられた作品がいくつかあるのですが、星3つの『ためさるゝ日』(1918)(両幅見られた♡)、『遊女』(1918)、『春の夜のうらみ』(1922)も全部見られました。
先生はこれが好きやったんやなぁ〜と思いを馳せながら見れたのが嬉しい。
そんな感じで一気に大量の良作品を浴びれて、くっ眩しい…!目が幸せ過ぎて潰れる…!とわけのわからない状態になりましたが、今回大きく学びになったのが美人画だけが先生の魅力じゃなかったという点です!
キュレーションが東京と京都では全然違ったのですが、東京の方では特に「鏑木清方は【生活】を描く画家だ」という点が強く押し出されていたおかげでそれに気づくことができました。
先生はご自身が生まれた明治時代に対して強い思いがあって、関東大震災や太平洋戦争や近代化によって失われてしまった古き良き明治の文化を悲しみ、それを残したい!という思いが絵を描く原動力になっていたそうです。
「需(もと)められて画く場合 いはゆる美人画が多いけれども、自分の興味を置くところは生活にある。それも中層以下の階級の生活に最も惹かるる」
(「そぞろごと」昭和10年4月『鏑木清方文集ー制作余談』より)
という言葉や
「風景画に向ふ時は、何か窮屈な家の中をはなれて、ほんとうに野びろいところへ出たやうな気がする。殊に生活をもつ風景に接する時、今の私は一ばん生き生きとした制作慾を感ずるのである。」
(「そぞろごと」より)
というところからも先生がどれだけ生活を描くことに重きを置いていたかがわかります。
『金沢絵日記(1919)』『夏の生活(1923)』のような家族と旅行に出かけた時の写生作品を見ていると肩の力が抜けてどの絵よりも描くのが楽しそうなのが伝わってくるし、優しさに溢れた何気ない日常の尊さみたいなのも感じて、うわ〜それが一番大事なやつ〜と思わぬところで泣けました。モーリス・ドニみたいやった。
3部作も先生の生まれ育ったゆかりの場所が描かれていますが、事前に当時の地図や街の特色や先生の幼少期について調べてから鑑賞したのもあって、それぞれの女性の物語がありありと目に浮かぶようで(町の擬人化みたいな)、清方先生が残したかった明治の美を追体験しているような気持ちになれました。
『築地明石町』の女性は何か未練があるような振り返るような姿で描かれていますが失われ行く明治の姿をしっかりと目に焼き付けているようにも思えるし、『浜町河岸』の町娘はこれから変化していく時代に不安がありつつも好奇心も感じられるようでもあるし、『新富町』の芸者は変化していく時代に強く立ち向かっていくようにも感じられました。清方先生はどういう思いでこの姿を描かはったんやろなぁ。
そして京都ではなんと「下絵」も見ることができたのですが(京都だけ!♡)、『新富町』には本番には無い花売りが描かれてて、わー!ってなりました。
バランスを見て消されたのだと思うのですが、なるほどこの絵は今ちょうど雨が降ってきたところやったんかと、雨が降ってしばらく経っているのなら花売りはどこかの軒先で雨宿りしているはず。芸者さんは急いで傘をさしたところやったんやということに初めて気づけました。
少し風が強くてそれに向かって傘を斜めにしているのかと思ってたけど、傘をさしている仕草だと思うとまた見え方が変わってくる。いずれにしても所作の美しさが際立つ作品。ほんまに綺麗な絵や。
先生の
「かをりの高い絵を作りたい、作りたいより自ら生れるやうになりたい」
(「かおり」昭和9年1月『鏑木清方文集八 随時随感』)
って言葉、素敵すぎません?先生のルーツから生まれたこの3部作はまさにそんな言葉を体現した作品だと思いました。
ちなみに京都では『新富町』の横に樋口一葉を描いた『一葉』(1940)が展示されてたのですが、この作品には「たけくらべ」に出てくる美登利が信如に切れた鼻緒の代わりに使いなって投げつけた紅葉柄の友禅の古裂を彷彿させるような布がしれっと描かれてるのですが、『新富町』の芸者の襦袢も同じ柄じゃない!!?!なにこれ意図的なん?!
美登利は吉原の遊女になったから芸者とはまた違うし…ということは樋口一葉ラブの清方先生的にこの新富芸者に一葉みたいな強い女性像を重ね合わせたんやろうか…。
妄想は膨らむ。。オタク歓喜のいい並びでした(笑)
と先生が「生活」が好きなのは分かりましたが遠藤はやっぱり物語、歌舞伎を描いた絵が好きなのです!!!!!!!!!!「安珍清姫伝説」が大好き!!!!!「娘道成寺」が大好き!!!!!とことあるごとに叫んでいますが、先生、いっぱい描いてくれてる!!!!!!嬉しすぎて死ぬ!!!!!!先生と遠藤は仲良し!!!!!(違う)
『春の夜のうらみ(1922)』、『京鹿子娘道成寺(1928)』、『道成寺 鷺娘(1929)』、『鐘供養(1934)』、『春宵怨(1951)』全部見たったで…ぜぇぜぇ…。
そして一番のお目当て、福富太郎コレクションの『道成寺(山づくし)鷺娘(1920)』よ…。ねぇ、これほんまにすごかった…。
私が大富豪でこの絵を所有できたとするならばこの屏風絵の前でお酒を呑みながら一生もう家から出ない。絵にとり憑かれた狂ったコレクターが発見された時には骨になってたみたいな怪奇小説に出てきそうな登場人物になりかねないほどの魔力があるように思いました。
白拍子花子自体がやば中のやばキャラクターなのですが、それをこんな風に描けるのもうやばすぎるよ…(語彙力)。蛇のように振袖の袂や裾が波打ち、羯鼓を打ちながら体を反らせているポージングで何作か描かれてるのでより良い表現を模索されていたと思うのですが、ジロリとこちらを見るこのやば目で描かれたのはこの作品だけ。
先生の他の作品で『妖魚』とか『微酔』とか目にぐっと惹き込まれるものもありますが、この白拍子花子の目には特別驚かされました。
凄まじい怨みと愛、そして若い女性から大人に変化していく片鱗までもが感じられる。先生の黒目ってはっきり描かれてなくてぼわ〜って滲みで表現されてるのですが、そこに潤みが感じられるのでなんだかもうドギマギしてしまうんですよね…。
はぁ、もう虜です。清方先生の作品の中で一番好きな作品になりました。
ちなみにこの屏風絵、2曲1双で鷺娘と対になってるのですが、鷺娘の方は白い雪がしんしんと降り、娘道成寺の方は白い桜の花びらががはらりと舞い散っていてその共鳴も素晴らしいです。贅沢な作品だ。
さて、清方先生といえば泉鏡花の『高野聖』などをはじめ、井原西鶴の『好色五人女』、尾崎紅葉の『金色夜叉』そして樋口一葉の『たけくらべ』などの物語をもとにした絵も多く描いてるのですが、今回、上田秋成の『雨月物語』の中の「蛇性の婬」を描いた8つの連作がすごく見応えがありました。
蛇だとバレて滝に飛びこんて逃げる名シーンを描いた般若顔になってしまってる女のやばさはもちろん、1枚目の女の全身を囲うように金のもやがかかっていて、この世ならざるものの表現が面白い。絶対やばいやつやんって見ただけでわかる。
今まで日本の古典文学全然機会がなくて未履修なものがすごく多かったのですが清方先生の絵をきっかけに色々読んでみることが増えました。
ギリシャ神話、聖書、アーサー王伝説、神曲、古事記なども芸術作品を理解したいがために手を出していますが、知らなかった新しい世界が広がっていくし、想像もしてなかった面白さがあることに気づけてとても嬉しい。
いろんな物語に出会うきっかけになるし、解釈の違いやそうきたか〜!と楽しんだりするのが面白くて物語絵が本当に好きだなぁと改めて思いました。
というわけでまだ語りたい作品はいっぱいあるのですが、とりあえずこのぐらいにしておきます…!くっ…!
最後、東京会場の出口に書いてあった言葉に考えさせられました。
「願はくば日常生活に美術の光がさしこんで 暗い生活をも明るくし、息つまるやうな生活に換気窓ともなり、人の心に柔らぎ寛ろぎを与へる 親しい友となり得たい」
(「美術の社会に対へる一面」昭和2年2月 『鏑木清方文集七 画壇時事』より)
芸術の力ってすごいなぁって思うのが、自分の作ったものが誰かにとっての安らぎになるという場合と、作りたいものを作ると自分自身をも喜ばせてあげることができるっていう、みんなにとって嬉しい力があるところだと思います。
戦争画を一切描かなかったというインタビュー動画や清方先生のいろんな作品を見てるとその両面を強く感じることができたように思いました。大地震と戦争という時代が目まぐるしく変わっていく過酷な背景がある中でそれを乗り越えるために絵画はもちろん文学や芸能の点から見ても芸術の力、美の力が大きな役割をはたしていたということも今回の清方先生の回顧展では感じることができました。
蛇足ですが、京都国立近代美術館では4Fの常設展に清方先生にちなんで同時期の京都画壇の作品が展示されてるのですが、プチ「あやしい絵展」ばりのラインナップになってて大興奮www
ここの美術館、デロリ作品豊富すぎてさすがとしか言いようない。京都ってやっぱり大好き。