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topics4 深層心理学への憧れ

学生時代から、フロイトやユングの本はかじっていた。「フロイトは何でも性欲」とか、「ユングはオカルトだ」とか、「科学的じゃない」という批判もあったけど、科学ではダメだろうと思っていた。科学は普遍性と再現性を求めるもので、条件を統制すればだれが何回やっても同じ結果になる。だけど心理療法ではクライエントもセラピストも、ひとりひとりが異なっている。条件だって、統制し切れるものではない。それに何といっても、「こころ」をどう理解すれば良いのか、深読みしていく方法を開発していったのは、フロイトやユングだった。ちなみに最近になって流行したアドラーには、惹かれなかった。

フロイトはもちろん、アンチ科学を目指していたわけではない。もともとが医学教育を受けた人だったし、学生時代に書いたのはヤツメウナギの神経系に関しての、実証的な研究論文だった。かつて解剖によって神経系の仕組みを明らかにしたように、自由連想によって心の仕組みを明らかにしようとしたのではないだろうか。理論化された「リビドー」(性的なエネルギー)や、カタルシスによる解放、超自我・自我・エスの局所論、自我の防衛機制などはメカニカルだ。19世紀末に発展した、熱力学の影響を受けたという人もいる。

フロイトは憑きものや魔法、呪い、生まれつきなどと考えられていた精神疾患に、合理的な理解と治療の道筋を示した。祈祷ならまだましな方で、拷問や監禁など、全く根拠のない治療から患者を解放する先がけだったとも言える。条件統制と統計処理に頼る現代的な科学ではなかったけれども、精神分析は科学的な探求に始まって、福祉にも寄与する試みだったと言えるだろう。

フロイトやその後継者にとっての不幸は、精神分析が思想史に与えたインパクトが大きかったことだろう。神の創造物たるべき人間が、猿の末裔であることを示したのがダーウィンだった。その人間を動かしているのが性欲動だと論じたのがフロイトで、労働の搾取を説いて資本主義の終焉を予言したのがマルクスだった。この三人によって二十世紀の西欧の人間観、社会観が決定づけられたと言っても良いのかもしれない。フロイトは歴史や文化、宗教に関しても造詣が深く、自ら著書で論じていた。だから余計に思想として扱われて、哲学の領域まで引き入れられてしまった。「精神分析って、思想でしょ」ということにもなった。

精神分析にはたしかに思想的なところもあるし、欺瞞的なビクトリア朝文化への異議申し立てという側面もあった。学生時代に教わったのは、フロイトが生きた世紀末のウィーンには、まだビクトリア朝の風習が残っていたらしい。上流階級の人々は、政治的・経済的な結びつきで結婚していたので、浮気が日常的だった。それでもパーティーでエロい話が出ると、女性はたしなみとして気絶のフリをしていた。あるはずの性欲をないことにしても無理が出るだろうと考えるのは、近代科学の隆盛とキリスト教の形骸化という土壌があってこそだろう。

フロイトが犯した間違いの一つは、子どもでも性的な願望を抱くことがあり得る、としたことかもしれない。初期には子どもへの性虐待があるとして、性的な外傷体験(トラウマ)を論じていたのに、それが後には子どもの方から性的な空想をすることになってしまった。フロイト家の家計を支えていたのはいまで言う富裕層で、その人たちがこんなことをしていると暴くわけにはいかなかったのかもしれない。ユダヤ人だったために大学にポストを得られず、家族を養うために開業をしたのだから、無理もないだろう。でもそのまま外傷説を維持していたら、その後の展開がずいぶん異なっただろうと思う。

私の場合は精神病理を理解したり、心理療法をするときのよりどころとして、精神分析を学んでいた。若いうちはお金もなくて教育分析を受けることができなかったので、ほぼ独学だった。グループでのスーパーヴィジョンや事例検討会は、学びの機会になった。細かく言えば対象関係論の流れを汲みながら環境を重視したウィニコットや、境界例の理解に役立つマスターソン、精神病の患者さんに関わる上では対人関係論のフロム・ライヒマンなどだ。精神科医の成田善弘先生や神田橋條治先生には、著作や指導を通じて影響を受けて来た。

論文を書こうとしたらフロイトを無視するわけにはいかないだろうけど、フロイトを隈なく理解してから取りかかるのでは、とうてい追いつかないのが精神分析だ。アイデンティティにしている人は、知的学習に費やす時間が膨大になる。フロイトの娘、アンナ・フロイトは自我心理学の始祖になった。メラニー・クラインによって体系化された対象関係論と、ハインツ・コフートの自己心理学。ラカン派というのもある。これらの流れがあって、それぞれに新しい研究者や理論、技法が登場する。だから全体を見渡すことも難しいし、アップデートしていくのも大変だろう。

「大変だろう」と他人ごとになっているのは、もう日本精神分析学会の会員でもないし、クライエントには動作療法(1) で関わることが多くなっているからだ。それでも精神分析は、自分の臨床の土台になっているような気がする。フロイトが転移(2) の論文を書くことになったアンナ・О(3) は、「何を思っても自由なこと」を「お話療法」で見つけた。「何を思っても自由」だからこそ、人は新しい物語を書くことができる。そこに関心を持ち続けることが、セラピストの役割だろう。そして深層心理学への憧れが、自分を導いてきてくれたと思うのだ。

(1) 成瀬悟策(1924~2019)によって体系化された、身体の動きと感覚を仲立ちにした心理療法。

(2) 過去の重要な人物との間にあった患者の感情や空想などが、治療者との間に再現されること。

(3) Bertha Pappenheim 。裕福な家庭に生まれ、ヨゼフ・ブロイアーからビステリーの治療を受けていた。治癒してからは、ドイツのソーシャルワーカーの開拓者となった。

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