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境界

このところ、小蠅を素手で叩き潰すのに慣れてきた。

虫はどうも苦手だ。イザベルに「"小さい虫は大きい虫を食べない"(フランスの諺らしい)から大丈夫よ」と言われるが、そういう問題ではない。
キッチンにはいつも小蠅がいて、壁や鍋などにくっついていたり、飛んでいたり、とにかくもう気持ち悪い。イザベルも対小蠅の罠を一応用意しているものの、ほとんど役に立っていない。ここはイザベルたちの家で、彼女たちは虫も含めた環境保護の意識が高く、殺虫剤も無いが、もしここが私の家で殺虫剤があったら迷わず噴射している。

こんな私でも、幼稚園生から小学生くらいのときには兄とムシキングの影響で昆虫が好きで家でカブトムシを飼っていて、当時の将来の夢を書く欄には「こんちゅうはかせ」と書いていた。今から考えたらまったくありえない。

学校で、伝統食材であるフォアグラが動物愛護の観点から問題になっているというテーマを扱った。ガチョウやカモに強制的に餌付けして肝臓を肥大させてつくるという製造方法が批判されており、フランス人の間でも問題意識が高まっているという。プリントには、フランス人の79%がフォアグラを食べたことがあるものの、57%の人が禁止することに賛同しているとあった。

フォアグラを食べることの賛否を問われ、クラスメイト7人のうち3人が反対の姿勢を示した。ちなみに全員ドイツ人。

私も意見を問われる。

フォアグラについての私の知識・経験は7,8年前に一度食べたことがあるだけで、フランス人にとってのフォアグラがどのようなものかは知らない。強制的な餌付けはガチョウやカモにとって苦痛だろうと思うが、止めるべきだとは簡単には言えない。
関連して、日本もクジラを食べることについて賛否があることを紹介する。
実際には日本では、クジラは日常的には全く食べられておらず、私個人としては禁止されようが問題ない。だが、クジラにしろ、ガチョウやカモにしろ、それらとともに生きてきた人たちがいるのなら、その人たちを無視して一つの価値観から断罪して禁じるのは反対だ。
フォアグラやクジラを食べることは自然に反しているとか野蛮に思われるというのもわかるが、それは現在の支配的な価値観がフォアグラ・クジラと鶏・豚・牛の間に境界線を引いているというだけのことで、根本的には鶏や豚や牛も同じことだ、と述べた。

私はベジタリアンではないし、正直なところベジタリアンになれそうもない。環境問題、食肉や乳製品その他の製造過程での問題があることは以前から聞いたことがあるし、少し調べれば多くの記事をネット上で読むこともできる。それらを読むと本当にむごくておぞましいと感じるがしかし、だからといってお肉を食べることを一切拒否してヴィーガン・ベジタリアンになる必要があるとは思わない。改善できることは改善してほしいし、そのためにできることはしようとも思うが、空腹感というかエネルギーの欠如を感じてお肉に手が出てしまうのは咎められることでもないと思っている。

私は境界線を人間と動物の間に引いているが、それは恣意的なもので、例えばモモ(実家の飼い犬)は人間の側に入っている。世界には犬を食べる習慣もあるが、私はモモを食べようとはまったく思えない。そうであるから、スーパーに並んでいる豚肉は平気で買って切って焼いて食べるが、豚を自分で育てたとしたら、食べようと思うかどうかはわからない。

境界の範囲は、文化・習慣、個人の経験などに委ねられていて、それを一方的かつ全面的に規制することはできないだろうし、すべきでないと思う。もし保護の境界の範囲を虫にまで広げられたらと思うと身震いがする。さすがにそんなことはしないだろうと思いたいが、生類憐みの令という前例が現実にある。

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