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なんとなく玉ねぎを切る
やる気のしない怠惰期にあってもできていた、というか、かえってやりすぎていたことが料理だ。毎日食べるもの、つまりは毎日なくなっていくものだから、作らないわけにはいかないという必要はあるものの、作らなきゃ、という追い立てられているような感じでもなかった。なんなら必要以上に作っていて、食べるのが追いついていない。
ここ最近の食事を振り返ってみると、いろいろ料理していたが、それはどれも作ろうとして頑張って作ったのではなく、なんとなく手を動かしはじめてしまって、仕方がないから最後までつくるという感じで、ボーッとしていたからこそできたことだった。疲れている時や頭の働きが鈍い時ほど料理するのは、私は以前からしばしば身に覚えのあることで、あれは狂気だったと自分で思うが、中学生のときに、夜中の22時頃から肉まんを皮から作りはじめたこともあった。そういう麻痺状態でもなければわざわざ肉まんなんて作らない。
今回も風邪で歌も歌えず、声を出して勉強することもできず、手持ち無沙汰で何をしたらいいかわからなくなってボーッとしていた。そういうときは、なんとなく玉ねぎを切っていた。玉ねぎはたいていの料理で使えるから、とりあえず切っておいても間違いはない。そうして玉ねぎを切っているうちに、パスタがあるからそれに合うようにホワイトソースを作っておこうとか、鶏肉とトマト缶があるから煮て食べようとか、作るものが定まっていった。気づいたら冷蔵庫がいっぱいになっていて、今はピクルス、バターナッツスープにカレーとお米、チキンステーキにホワイトソースもある。明日は何を食べよう。ホワイトソースをそろそろ食べきりたいが、まずカレーを食べきらないとつくっても置いておく場所がない。ホワイトソースは冷凍して後日シチューでもしよう。
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千葉雅也さんがTwitterで「缶詰とかハムとパンだけ。あとチーズ。冷凍野菜をなんか温めてとか。こういうのがヨーロッパ的な自炊」「とにかく日本の人は頑張って料理をしすぎる。料理をするということのフロアレベルがめちゃくちゃ高い異様な国。」とおっしゃっていたのを目にした。確かに、そうだと思う。
イルダさんが料理をしているのはほとんど見たことがないし、買い物で買ってくるものも食材より缶詰めとか、温めればすぐ食べられるようなものが多い。子どもたちが来ている時にちらっと料理していたのを見たけれど、お米と焼き魚とかシンプルなものだった。そういえばイザベルは野菜のスープを作っていたけれどそれも週に2、3回くらいで、週に一回はピザを買い食いしていたし、毎日料理なんてしていなかった。
ジャックとイザベルにメグミはいつも料理してるね、と言われたのを思い出す。食習慣を観察されたり揶揄われているようでストレスだったが、彼らからすれば、毎回野菜を切るところから始めて、焼いたり煮たりと「ちゃんと」料理をしていたのが純粋に驚きだったのかもしれない。料理をするというときに、なんとなく玉ねぎを切るところから始めている時点で、「料理をするということのフロアレベルがめちゃくちゃ高い」と言えるのだ。
ここ最近は毎日のように料理していたとはいえ、つくるのは一日に一品か二品だった。一人だから多めにつくっておいて、何日かにわたって食べる、ということができる。できれば変えたいが、昼食と夕食で同じものを食べることになっても構わないし、たとえ失敗して美味しくなくても食べるのは自分だけなので適当につくることができる。
だが複数人だったら、そうはいかなくなる。作ってもその日か翌日にはなくなるだろうし、昼と夜で、または日毎に違うものを食べたい人がいるとなると大変だ。不味いと言われるのはもちろん嫌だし、美味しいものを食べさせたいから適当につくるわけにもいかず、献立を考えて、きちんとレシピを見てつくろうとするだろう。
そういえば、この前ソフィアとスザンナに親子丼とお味噌汁を振る舞ったときも、スプーンで醤油の量を計っていたときに「日本料理って、大変なのね」と言われて、なんならお酒とみりんを省略し、出汁の素も使って簡易的に作ったにも関わらず、手間がかかっていると見なされることにむしろ驚いたものだった。
野菜を切ったり、お肉を焼いたり煮たり、お酒、砂糖、醤油、みりんなど何種類もの調味料を匙で計って味つけをし、そうしてつくったおかずに、さらにお米を炊き、お味噌汁までも用意するのは、とんでもないことだと思いなおした。