茅ヶ崎とArcachon
ぱっと調べたところ、ボルドーは人口の規模も約25万人らしいし、海にも近いから、きっと私の故郷である茅ヶ崎市に似ているだろうと思っていた。けれど実際は、海岸に行くには電車で約1時間かかり、人口もどういう数え方・区切り方をしているのかわからないが、都市部全体だと100万人近いとあって、とても似ているとは言いがたい。
ボルドーについて来る前に知っていたことといえば、ワインの産地として名高いこと、フランスの南西部にあること、世界遺産に登録されている都市だということくらいだった。だがそれも、普段お酒を全く飲まないのでワインの銘柄も特徴も何も知らないし、地理についても電車で1時間の距離を、歩いて10分の距離と同じように「近い」だろうと思っていたくらいだし、街の真ん中を流れている運河がガロンヌ川だということや、立派な大劇場や広場があることは、学校まで歩いているうちにはじめて知ったという有様で、「来る前に知っていた」と言えることなんて、ほとんど何もなかったと言っていい。
調べればすぐわかるのに、基本情報はおろか、観光名所やワイン以外の名物もろくに調べずに来てしまった。でも、その無知を自覚してなお、ボルドーについてネットで調べる気にはならず、話の中で先生やホストファミリーに教えてもらったり、友達に誘われたりしてやっとその存在を知るのだった。
だから、スザンナとパオラに「Arcachon に行こうよ!」と聞いたときも、なんのことだかわからないまま「もちろん!」と返事をした。話を続けているうちに、Arcachonとは電車で約1時間かかるという海がある地域のことだとわかった。
私の故郷である茅ヶ崎市はサザンオールスターズのおかげもあって、海のある地域「湘南」として知られている。実際、海は私の家から歩いて10分くらいの距離にある。海沿いの道、134号線の両脇には防砂林として松が植えてあり、ドライブをしていると松林の切れ目から青々とした海と空が見える。江ノ島に近づくとさらに視界が開けて、海一面が姿をあらわす。高校受験に落ちた時や、大学受験の勉強で息が詰まりそうになった時などは、母に運転を頼んでこの134号線をドライブして、車から海を眺めて気持ちを落ち着かせたものだった。
私にとって、海は眺めるものであって泳ぐ場所ではない。もともと肌が弱く、海水が肌にしみたり、砂が体につくのも嫌だったのに、クラゲに刺されてからはいよいよ入らなくなった。最後に海で泳いだのは小学校の時だったと思う。意気揚々と沖の方に泳いで行ったはいいものの、振り返ると岸辺が遠くに見えて、慌てて戻ろうとするもなかなか戻れずに心細い思いをしたことを、その光景とともにはっきりと覚えている。その時は近くに知らない人ではあったが大人もいたのでパニックにはならず大事には至らなかったが海の怖さを知った。今でも、底なし沼のような夜の真っ暗な海を見ると、飲み込まれてしまいそうで少し怖い。
Arcachon はリゾート感のあるところで、茅ヶ崎よりも江ノ島や鎌倉に近い。海は茅ヶ崎の海に比べてずっと穏やかで、海というよりも湖のようだった。砂浜も茅ヶ崎より広くて白い。
なぁんだ、やっぱり全然似ていないと、少し残念に思っていたのだが、Arcachon からシャトル船に乗って30分のところにある島、Cap ferret の松林と海岸は茅ヶ崎に少し似ていて、134号線と海から家までの道を思い起こさせてくれた。松の下の看板、海へ向かう開けた道、小高くなった砂丘、三温糖みたいに少し湿気を含んだ砂浜、白い飛沫をあげる荒い波。茅ケ崎の海からは江ノ島と富士山が見えるが、当然こちらには無く、海の青と雲の白と、砂浜のベージュがずっと先まで続いている。
スーパーで買っておいたチップスをつまみながら歌を歌ったり聞いたり。歌い疲れてくると柔らかい砂に寝転がって休んだ。スザンナとパオラは「この曲知ってる!」「私も好き!」と共有できる曲が多かったようだが、私は最近のポップスに疎く、初めて聞く曲ばかりだった。でも、二人が楽しそうにルンルンと歌を口ずさんでいるのを見ているのは決して退屈しなかった。
気づいたら2時間くらい経っていたらしい。
帰りの時間、そして彼女たちとさよならする時が来てしまうというのに、あまりにだらりとして過ごした。だがその後もゆっくりと別れを惜しむことができたのは、時間ものんびりと歩みを遅らせてくれたからなのかもしれない。