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発達障害的、不器用だからメンドクサイ?

~母として当事者として #発達障害 目線での徒然を書いています。発達障害らしさを感じ取って頂けたら嬉しいです。~

 発達障害っ子ママ仲間と一日たっぷり遊んできました。
 
 その友達は、すごーーく器用なひと。
 コーヒー豆の焙煎をしたり、パンを焼いちゃったり、裁縫をしたり、DIYしたり・・・と手仕事系の神。

 片や、ワタクシ。
 子どもの頃から不器用と運動音痴の塊。ちょうちょ結びができるようになったのは中学生になってからだし、自転車に乗れるようになったのも高学年になってから。ボタンをかけるとか、キーホルダーを付けるとか、そーゆーのは未だに苦手。器用さを求められる作業や動作は全滅です。図工、体育は5段階で良くても「3」ほぼ「2」でした。

 今でいう「発達性協調運動障害」なんだと思います。

 決して手を抜いているわけでも、さぼりたいわけでも、やりたくないわけでもありません。むしろ、いつも全力で取り組んでいます。
 それでも「手を抜くな」「努力が足りない」などと言われてきた人生でした。

 そういうことが続くと、自分からそれをやろうという気持ちにはならなくなります。その作業そのものが嫌いになって、自分からやってみようという気持ちが沸き起こることはなくなっていきます。

 「メンドクサイ」と思ってしまいます。

 メンドクサイという言葉の裏側には、そういう気持ちの流れが存在する場合もあるのです。

 そんな私が苦手なことが全般的に得意な友達。
 そういう作業系を自分でやってみようと思うことが日常のようです。

「え?そんなことまで自分でやるの??」

ということだらけなのです。ワタシからしたら。

 「メンドクサイ」の対義語が「自ら自然と取り組む」なのだろうなと思います。

 でも彼女にしたら、私が「勉強ができる」のが羨ましいらしいです。私の学力なんて中途半端で大したことないのですが。

 もしかしたら「無いものねだり」とゆーやつかな。

 私には自分でコーヒー豆を焙煎してみようという気持ちさえも怒らないので、尊敬でしかないのですけどね。

 自分の「ある」ものをもっと良しと思えるようになれたらなぁと思います。

 以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)
 今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。感謝しています。
 だんだんよくなる!未来は明るい!

 


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