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「家族には感謝すべき」思考にとらわれ気づけなかった本音。
金銭的には何不自由なく、中間層ど真ん中くらいかな?な家庭に、長女として生まれて、そりゃ大層可愛がってもらった。
でもその「長女」って地位が、後々も私の思考回路を左右し、特に母親の考え方は今でも私を縛り上げていることは、30を超えるまで分からなかった。
母は、自分にできなかったことを全部私に求めた。
お金がなくて母は高卒だったから大卒を希望したし、田舎暮らしをさせたくなかったから都会の大学を目指させたし、母は臨時社員だったから私には正社員か公務員、浪人もフリーターも言葉にするのもはばかられた。
これは大人になって最近気づいたことだけど、私は子供のころ、全て自分で選択しているように見えて、「お母さんが許してくれそうな範囲」からすべて選択していただけだって気付いた。高校も大学も就職先も、友人関係も部活動ですらも。そのことに、全く気付いていなかった。好きなものを選ばせてもらっていると、心から思っていた。
母は、祖父母と仲が悪かった。
食卓では毎日ケンカばかりで、大声を聞きつけた周囲の人たちが止めに入ってもまだ続いたことがある。特に仲が悪かったのは祖父母同士だけど、一番話が分かって、止められる役もできたはずの母は、いつも火付け役のように見えた。
だから、家に帰ることが本当に嫌だった。でも、毎日小・中学校で食卓で披露する「褒めポイント」を集めて帰らないといけないノルマを勝手に自分に課していた。それさえあれば、ケンカが始まりそうなときにそれを披露して、褒めてもらって、ケンカを止められる。もちろんそれでもどうにもできないときはあったけど。
この2つの家庭背景から、「人の顔色をうかがう」「問題回避のために自分が犠牲になればいい」精神が身についたように感じる。だってそうしないと怖かった。健全に暮らせなかった。もうこの頃から、とっくに不眠だった。
でも、鬱と適応障害を患い、「今は自分を第一に、ゆっくり休みましょう」と医師からも、職場からも言ってもらえた時、「自分を第一に」という言葉について、一緒にカウンセラーさんと見つめなおした。
私には、幼少期の「結局自分が我慢すれば」思考が抜けない。自分第一になんてなれない。「人の顔色をうかがう」こともやめられない。勝手に傷つく自分だっている。
でもそのカウンセリングを続けて、やっと。やっと。家族のことを、「苦しかった」「嫌だった」と、認めることができた。
この作業はひどく辛かった。まるで「親に感謝できない親不孝者」と言われているようで。「自分ひとりで生きてきたわけではないくせに自己中心」と思われているようで。
それでも、その声も乗り越えて、やっぱり幼少期のあの家庭背景は嫌だった。あんな風に過ごしたくなんてなかった。あの頃の私を、少しずつ癒してあげたい。そう感じたことが、「自分を第一に考える」第一歩になった。
今でもクライアントさんとカウンセラーとして向き合うたび、幼少期のことが要因の一つにある人の問題は根深い。
それを問題とも認識していない、本人には当たり前の思い出として存在しているから。
そして何より、「家族を否定するなんて」という思いが、強烈に自我を邪魔するから。
それでも。
一番大切なのは自分。それだけは忘れないで。いつでも、私はあなたの味方をします。家族に違和感を感じたら、虐待やネグレクト、放任に危機感を感じたら、いつでも警察や児童相談所へヘルプを。話を聞いてほしいときには、ココナラにてお電話やチャットでのカウンセリングサービスを行っておりますので、ぜひどうぞ。
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