元地域包括支援センター所属社会福祉士の憂鬱
もう梅雨が上がったのではないかと思うほどの快晴。久々に洗車がしたくなった。1ヶ月分の汚れを洗い流す。自動車は仕事道具。綺麗であること、整備がされていることは仕事に気合を入れる方法の1つ。先週はオイル交換もおこなった。この準備万端感が好き。来週も頑張れる。
上の写真は、現在読んでいる本。奥川幸子氏の書籍は存じ上げていたのだが、読むのは初。これからも学習の継続を心がけたい。
さて、来週の予定の中に、地域包括支援センター職員との同行がある。元地域包括職員なので、やはりソーシャルワーカーの仕事っぷりは気になる。予防給付の業務に追われながら、懸命にモチベーションを保ちつつ総合相談に取り組むワーカーもいるに違いない。
地域包括の社会福祉士は高齢者分野の相談支援のキーマンだ。8050問題と言われる通り、高齢者だけでなく同居家族もアセスメントする必要があるケースはザラにある。私が地域包括支援センターに配属された12年ほど前はまだ歴史が浅く、モチベーションが高い職員が多かった印象がある。時を経て、現在はどうだろうか。私は、センターによって質の違いが大きくなったように感じている。若手SWが精力的にアウトリーチを行なっている姿を見ることもあれば、支援ビジョンが持てず、身動きが取れない職員も見かける。なぜ相談支援の質に大きな差ができるのか。センター内または法人内(民間委託包括の場合)にベテランSW(教育役)がいるかいないかで違ってくるのではないかと思っている。
育てることの難しさ
地域包括支援センターの配置は、主任ケアマネ、保健師、社会福祉士の3人が基本。人口が一定数増えるごとに配置も増えるのだが、各職種1名ずつが基本となる。その他予防給付を行うためケアマネも配置されるが、社会福祉士をはじめ、各職種1名ずつ。業務の基本は共有できても、社会福祉士にソーシャルワークを指導できる先輩社会福祉士は存在しないことが多い。スーパービジョンを受けることができず、自分の業務を自分で振り返りつつ、『これでよかったのか』と自問自答するか、職能団体に所属してスーパービジョンを受ける以外にない。しかし相当な意識の高さを持つワーカでない限り、そこまでしない。私も配置された時は四苦八苦。先輩SWの業務記録を読み込んだり、マニュアルを読むことはもちろん、家族支援のために障害福祉の知識を学び直したりと楽しくもあるのだが、ひとたび支援に行き詰まると頭がフリーズするほど悩むこともあった。
これに加えて、委託包括の場合は法人が適切な職員をセンターに配置するかどうかという問題がある。市町村社協はともかく、その他の社会福祉法人はソーシャルワーカーの質など意識しないことが多いのではないか。よって、質の担保がより難しい。
教育不足で引き起こされること
指導できる人材がいないことから来る問題は様々ある。
たとえば、後見人等が就任したら丸投げ。あとは全て頑張ってと言わんばかりのワーカーもいる。施設を探すのも後見人、本人がサービスを拒否したら、面接技術を駆使して本人の心理を紐解くのも後見人。放置が過ぎて腹が立つ。あなた自身の立ち位置・役割と、取り巻く社会資源(後見人を含む)の立ち位置を理解できておりますか?と聞いてみたい。聞けないけど。そもそも安直に後見制度を勧めているように思う。
もう一つ。高齢者の家族に障害が疑われ、それが高齢者の生活に影響している場合も多くあるが、アセスメントが十分にできておらず、家族に適切な面接すらせずに他機関に投げていることもある。家族が困っていることは何なのか、どのような支援があれば解決に導けるのか。この見立てができていない。
こういうことに時々遭遇するのであるが、悔しいやら腹が立つやらで、心がざわつく。
解決には?
質の平坦化を図るにはどうするか。平成18年に設置されてから、大きな変化はない。重層的相談支援体制や生活困窮者自立支援事業など、福祉分野全体をみると変化は見られるものの、地域包括支援センターに相談機能を追加するということはなされなかった。もし機能拡充→ソーシャルワーカーの新たな追加配置となればその中で切磋琢磨でき、その他分野の経験も積めるはずである。
とはいえ、そう簡単に包括の機能拡充がなされるはずがない。では、どうすればよいのだろうか。即効性があるのは研修体制の構築かもしれない。基本の学習からソーシャルワークスキル向上まで幅広く、新任職員の研修から中堅対象の研修まで、対象を分けつつ幅広い職員をカバーできれば望ましい。新任職員(特に社会福祉士)の参加は義務にしてもよいと思う。
ここまで考えてみて思ったが、今更市町村も県も、地域包括の相談支援能力の育成に興味を持っているとは思えない。(高齢者虐待対応は定期的に研修はなされている)私の身近なところだけでも何とかできないだろうか。社会福祉士会の一員として、地域包括職員向けの研修を継続的に行えば、少しは現状に一石を投じることができないか。そんなことを思いながら、夜間ビールを飲みながらこのnoteを書いている。また会議で提案してみようか。実現すれば、私の心のざわつきも少しはおさまりそうだ。