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大丈夫、必ず誰かは見ていてくれるから。
中学2年生の時、色々あって孤独に陥っていた私に声をかけてくれた子がいます。
恥ずかしさや、惨めさ、苛立ち、悲しさ、諦めでいっぱいだった私に、声をかけてくれた子。
14歳の時です。
四半世紀以上経った今でもあの時、声をかけられたシーン、はっきりと覚えてる。
2度と忘れないと誓える。
彼女の声がけがなかったら、今の私はいないのではと思っています。
私の価値観をまるっきり変えてくれた、私を救ってくれた、大好きな友人のお話をします。
小学校時代の私
小学生の頃、周りに合わせたり、空気を読んで上手くやろう上手くやろうとしてしまう、そんな子供だった私は、それでも楽しく小学校時代を過ごしていたと思う。
クラスの中心ではないけれど、お調子者で、わんぱくで、人を笑わせたりするのが好き。大人しいタイプではありませんでした。
高学年、リーダー格のクラスメイト、取り巻き、今思えば非情なくらい、クラス内に無視やいじわるがありました。
私はどうしても、リーダー格の子の『あの子気に入らないから無視!』の指令を受け入れられず、村八分になっている子を無視できなかった。
その頃の私はずるい考えももっていて、自分はそうされたく無いから、と合わせるも、自分の意思では無いのに、されている子の目がみれず、つらくて、やはりできなかった。
そんなことを繰り返しているうち、無駄に人がよすぎて無視しやすい、何でも言えばやる子レッテルを貼られた。
グループに収まるのが嫌だったので、色々な交流をしていたのも、気に障ったのかもしれない。
それでもそこそこ生活自体は楽しい、と本当に思えていたのは救い。
中学生になった時壊れかけた心
中学は、とにかく部活が大変だった。
運動部に入り、早朝練習からの授業からの、また部活。土曜はまだ午前中授業があった時代なので、お弁当持って午後部活。
私の小学校からの『周りから見た人柄』はそのまま持ち上がる。地元の公立中学へ入学したんだもの、それはそうなる。お調子者で人を笑わせたり、明朗活発キャラ。みんなに合わせて楽しく、とにかく楽しくやっていた。
そんな時、ふとしたきっかけでいつもの仲間の様子がおかしくなってきた。
きっかけは、グループリーダー格の子が好きな男子が、私に告白してきてからのこと。
これは、、困った。
告白してきた男の子には強引な所があり、
断りきれてない私がいたから。
その頃の中学生って、告白されるなんてことがあったとしても、で、何するのって感じで。(田舎の中学校だったから、時代背景、ってのもね、あるかもです)思いを打ち明けあって終わるだけと言うのが常。(だった、少なくとも私は。)
でもそれで失った、『友達にあわせて楽しく過ごす日々』
でも同時に、どうでもよくなった。
『友達と楽しく過ごす日々』『を、してる自分』の事にきづいて、なんかどうでもよかったんです。
親には心配かけるので、言えない。
なんとなく平気な顔して過ごす毎日。
生活の中心である部活内にもそれは広まり、なんか不穏になった。
何をしたのよ私が!と言う思い。
なんで告白してきたんだ彼は!という謎のイライラ。そんな毎日になってしまって、死んだ魚のような目で過ごす日々がはじまった。
人生のターニングポイントってやつ
そんなある日、教室でボーっとしている私に、同じクラスで特に関わりのなかった子が私に声をかけてきました。
『今日一緒に帰らない?』
『?!』私、ビックリ。
彼女の名前は順子。
私は特に付き合いもなかったので、
『順子さんちって、どこだっけ?』
って聞くよね。まず。
順子はケラケラ笑って、近いんだよ〜やや越えの越境してるから境目に住んでるayuちゃんちから近いんだよ!
そんなこんなで、小学校は同じだったので初めてではないもののろくに会話したことない順子と帰ることになった私。
校門を出て歩きながら、
呼び捨てにしてくれればいいよ!とか、持ってる文房具がいつも可愛いと思ってたー!とか、足速いよねぇ、とか、面と向かってとにかく色々褒められたのを覚えている。
新鮮で楽しくて、もっと知りたいから色々教えて!って言ってくれる、そんな順子のこと、私ももっと知りたくてかなり盛り上がった帰り道でした。
知らなかったけど、順子の家はめちゃくちゃ近かった。
私の家が見えてくる頃、ふと真顔になって
『最近、1人でいたから。だから気になって声かけたの。ayuは気になる子だったからチャンスってのもあったけどね。大丈夫?何があったかはわからないけれど、私でよかったらまた明日も一緒に帰らない?』
一字一句こうではないにせよ、こんな事を言われたのは覚えている。
『ありがとう、、うん、そうなんだ。実はね、、』
家が見えてる。
そんなあとちょっとの場所で立ち止まって、どれくらい話しただろう。。
まともに話したこともない順子に、意志に反する事をする違和感の話、信じられない気持ち、親が心配するから言えない気持ち、寂しさ、たくさんたくさん話ししていた。
順子はずっと相槌を打ちながら話を聞いてくれた。
私に同情して誰かを非難するでもなく、ただずっと話を聞いてくれて、日が暮れた。
不思議なくらいそこだけ
順子に声をかけられてから帰り道のことは、あんなに鮮明に覚えているのに、その後の日々をしっかり思い出せないんです。
けれどその後、確実に私の毎日は『心の底から楽しくておかしくて大好き』な毎日になります。
音楽のこと、アニメやアート、時には大人の恋愛やその先にあること、私の『好き』や『気になる事』を何でも話した。
趣味が似ていて盛り上がったのは初めてだったかもしれない。世界がひと回り大きくなったのを感じていました。
私は音楽が好き、漫画も好き、文章を綴るのも好き!!好きが、楽しい!
テクノや渋谷系音楽にも出逢ってどっぷりとハマっていく。ターニングポイントが目白押しでした。
これまで一緒にいた、割と目立つグループから一線を置き、順子と過ごすようになっていった。
毎日が心全開で楽しくて、部活でも何思われてようが、教室でどんな態度取られようが気にしない。
粛々と部活を頑張っていると、部活の仲間たちもいつのまにか以前のように戻っていた。
何も気にしない私、だって好きなものがはっきりしたから。すごい変化だと私は自ら思いました。
元のグループの子達とは疎遠になったけれど、それも気にしない。別にどうでも良くなった、すごくいい意味で。
順子はまっすぐに私の事を褒めたり、共感してくれる。
私も、する。
違いを認め合うし、フラットな目線で物事を見る快適さを知ります。
それはおかしい!って怒ってくるし、言い合いもした。相手がどう思うか、、相手に合わせておこう、自分を消せば、相手が喜べば、場が盛り上がれば、、
以前の私は友達と言い合いなんてしたことがなかった。
そして、順子とはめっちゃくちゃに笑いのツボがあったのです。
もう本当に吐きそうなくらい笑って笑って。
ラジオ番組を制作して(と言ってもテープに録音して仲間内で回すだけ)、あれは何本録ったかな。くだらないお喋りと、お気に入りの音楽、2人で構成を考えてどんどん本格的になっていったりしました。楽しかったなぁ。
テープに録音って。笑
歳がバレます。
忘れられない景色
順子の家は近かったので、よく行き来していて、お泊まりも、何度もした。
一緒にお風呂入って、一緒に寝たわけだけれど、順子のベッドに寝転がると、窓は一面の星空。2人でたくさんの星を眺めながら、ゲラゲラ笑ったりいきなり涙したり(笑)あの瞬間もとても印象に残っていることの一つ。
今でも私は、泡立てネットなんかなくてももこもこふわふわに洗顔を泡立てることができる。それも順子に教えてもらった。
おかめ納豆を見ると必ず思い出す。
下着と納豆持って順子の家に行って、納豆ご飯食べてお風呂入って、星を見ながら笑った。
真冬の帰り道は、田んぼの真ん中に大きな雪だるまを2人で作った。
素朴なポストがあるお宅のそのポストに『ソボポスくん』と名前をつけて通るたびに声をかけた。
何気なさすぎることが全部最高だった。
高校生以降の私たち
高校は別々でしたが、近所なのもありよく遊びました。高校で出来た友人をそれぞれ紹介しあったり。初めて私に恋人ができた時は真っ先に紹介した。
高校を出ると順子は上京。
中学の頃から演劇が好きだった彼女は、演劇の勉強をすべく東京の劇団に入団。
私は私で、付き合う友達も進学先の友人たちとなっていきます。
たまに東京から手紙をくれました。
東京なのでなかなか行けないけれど、順子は自分が出る公演のチラシをいつも送ってくれました。
そんな日々、19歳。
電車に乗っていた時、
突然ショートメールをもらった。
『今帰省中なの!そして今ayuを電車で見つけたよ!でもayuがキラキラしてて、、すぐにでも抱きつきたかったけど、自分が恥ずかしくなって◯◯駅で降りて、走って帰った!走りながら涙出た!元気でよかった!負けないくらいキラキラになったらまた抱きつきたいよ。それまで元気で!大好きだよ!』
えーーーーー!
なんやそれ!!!
え?!
どこから見てたの?
どこにいたの?!?!
いや、なんで◯◯駅で降りるの!笑
(◯◯駅は私と順子の家の最寄駅から2つ前の駅。)
私はまたビックリ!
最初のあの一言をくれた時と同じように、私をどこから見てたの?!の衝撃。
電車でキョロキョロする私。
私は最寄りの駅で降り、
ひょっとしたらその辺泣きながら走ってるのか??
と思いながらあたりをみまわしながら、家まで帰ったのだけれど、途中吹き出しそうになってました。
順子らしい、面白い再開。笑
本当に大好きすぎます。今でも笑えてきます。
心の中のアクセスしやすいところ
それが、最後だったかもしれない。
何度か年賀状のやりとりはしていましたが、
それから会えていないし連絡も取れないまま疎遠になってしまっています。
それから就職、新しい恋人、結婚、出産、、
どんどん月日が流れて今に至るけれど、洗顔を泡立てたり、子供たちとキャンプに行くと広がる星空を見たり、大きな雪だるまを見たり、古くて素朴なポストを見たりした時、いつでも思い出す。
私は人をまっすぐに正面から褒めます。
もうすっかり自然にしているけれど、意識してするときもあります。
ただ、闇雲にほめたりはしません。
話を聴いたりすると、想像もできてくる、目を見てお話しすると、目の前にいる人の魅力は自ずとわかってくるんです。
好きっておもったら、好きだよ、大好きって声に出したり文字にしてしっかりつたえる。
自分の心に嘘をつかない。
他人の評価を得るために自分を押し殺すことは絶対しない。
それは14歳のあの時から。
自分に素直になる、と言う言葉は月並みではあるがなかなか難しいことです。
順子は14歳の時に、『自分に素直になる!』とよく言いました。
無理してしまったり、繕おうとする瞬間、心の中に『無理してない?』と言う順子の声が聞こえる。
順子はいつも、何十年経てもいつもアクセスしやすいところに陣取っています。
あの会話をきっかけに
たくさん本を読む。音楽を聴く。
言葉を知る、歌詞や絵に込められた意味や背景を時間をかけて考える面白さ。
自分の心の中の好奇心に意識を向けてなんでも柔軟にやってみる。
なんか苦しい、なんか辛い、でもこれじゃなくちゃ、この人たちでなくちゃ。
私の居場所はここしかないんだから。
だから合わせなきゃ。
なるべく多くの人と付き合わなきゃ。
そんな風に生きていたら窮屈で仕方がない。
この道しかない、なんて事はありえない。
その時の自分が快適である事が大切。
逃げることも身を助ける事。
そうじゃなかった、ここじゃなかったんだ。
その気づきと行動が自分を助けるんですね。
学校でなんとか上手くやろう、会社で立ち位置を死守しよう、このグループにいないと。
それを自分拠り所にしていると、そこが脆くなった時取り返しがつかない。
最高を見つけて、最高に出会えるように自分で掴みにいく。自分の中に拠り所を作る。
そんな考え方になったのはあの会話がきっかけだった。
『今日一緒にかえらない?』
本当にありがとう。
大好き、絶対、また逢いたい。
今度は勝手に手前の駅で降りたりしないでね。
コロナが収束していたら、再開したその時、その瞬間がどんな場所でも抱き合おうね!
長いnote、ここまで読んで頂いた方ありがとうございました♡