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<私がアートを買う理由>彫刻作品がよみがえらせる幼い頃の記憶

アート作品を「手に入れたい」と強く思うことは、そうそうあるものではありません。

それでも先日、久しぶりに心を揺さぶられる作品と出会い、ついに購入しました。

手に入れたのは、東京藝術大学で彫刻を学ぶ黒瀧舞衣さんの作品です。

黒瀧舞衣さんの作品との出会い

黒瀧さんの名前は「CAF賞2022」の展示会で初めて知りました。

代官山のヒルサイドフォーラムに足を運び、数多くの作品が展示されている中、ひと際目を引いたのが、彼女の彫刻「ホッカイボッコ」でした。

ヒルサイドフォーラムに展示された「ホッカイボッコ」

圧倒的な迫力があり、ただそこに佇んでいるだけで、場の空気を支配するような存在感がありました。

「ホッカイボッコ」という名前も、その響きにどこか神秘的な力を感じます。北の大地を思わせる「ホッカイ」、昔話や伝説に登場しそうな「ボッコ」。まるで、古代の神話や民間信仰をモチーフにしたかのような雰囲気が漂っていました。

じっとこちらを見つめる大きな目、そして胴体に巻きつけられた縄の装飾が印象的で、その縄が木目の自然な流れを強調し、彫刻が秘める力を封じ込めているように見えました。

その瞬間、私は、この彫刻がまるで巨大な感情や魔力のようなエネルギーを内に秘め、そのエネルギーがこぼれ出さないように必死で立ち堪えているかのように感じたのです。

彫刻全体からは、ただの静寂ではなく、内に秘めた何か強大なものが抑えられているような緊張感が伝わってきました。

その大きな手で何かをしっかりと支え、瞳の奥には深い感情が宿っているように見えたのです。まるで、秘めた力が一瞬でも解放されれば、世界を揺るがすような強大なエネルギーが放たれるかのような感覚がありました。

私は、「ホッカイボッコ」を目の前にした瞬間、無意識に抱っこ紐の中の0歳の息子を抱きしめ、心の中で「どうかこの子をお守りください!」と祈っていました。

自分でも何をしているのかよく分からないまま、自然とそうしていたのです。

同会場に展示されていた小作品

蘇る幼少期の記憶

私は特別に信仰深いわけでもなく、宗教的な儀式や習慣にもあまり興味がないほうです。

それにもかかわらず、なぜこの彫刻に対してこんなに強い感情を抱いたのか、不思議な感覚でした。

その答えを探るうちに、幼少期の記憶が蘇りました。

祖父が趣味で彫っていた仏像のことです。祖父は木を彫り、その手で仏像を作り上げていました。

彫刻を趣味にしていた祖父

幼い私は、なぜか祖父が彫る仏像たちに強く惹かれ、夢の中にまで仏像が現れるほどでした。

「どうしてもあの仏像が欲しい!」と泣いて祖父にせがんだこともありました。

その頃は、仏像をただの「お人形」として見ていたのかもしれませんが、今思うとそれ以上の何かを感じ取っていたのでしょう。

祖父は私に、小さな手乗り地蔵を彫ってくれました。足の裏には私の名前が刻まれていて、それ以来そのお地蔵様は私の守り神として、今も大切にしています。

祖父が彫ってくれたお地蔵様

記憶や感情を呼び覚ます作品

黒瀧さんの彫刻に心を動かされた理由は、この幼少期の記憶と深く関係しているのかもしれません。

心の奥底に眠っていた記憶を呼び覚まし、作品との不思議なつながりを感じさせてくれたのだと思います。

アートの力は、時に私たちの心に大きな影響を与えます。

アートは、単に美しさを提供するものではなく、内面に眠る記憶や感情を呼び覚ます媒介であり、無意識と対話する手段でもあります。

黒瀧さんの作品を前にしたとき、私はその作品が私自身と深く結びついていることに気づかされました。

それは過去の私、今の私、そして未来の私へと続く見えない糸でつながっているような感覚でした。

私はそれ以来、いつか祖父が彫ってくれた手乗り地蔵の隣に、黒瀧さんの作品を並べてみたいと思うようになりました。

見えない糸でつながっている

アートを「所有する」ということ

アート作品を「所有する」ということは、鑑賞するだけでは得られない特別な意味を持ちます。

現代アートを購入することは、時に投資やステータスシンボルとして語られることがありますが、私の場合はもっとシンプルです。

たくさんのアート作品を見ていると、技術的に優れているものや、美的に惹かれる作品には多く出会いますが、すべての作品を「欲しい」と感じるわけではありません。

それでも、心の奥深くに響く作品に出会うと、なぜか「手に入れたい」という気持ちが湧き上がってくるのです。

心の奥深くに響くという感覚は、その作品が自分自身の一部であるかのように感じられる瞬間だと私は考えています。

アートには、私たちの記憶や感情を映し出す鏡のような力があります。

特定の香りを嗅いだとき、過去の記憶が一瞬で蘇ることがありますよね。それと同じように、アートもまた、無意識に眠る感情や記憶を呼び覚まし、過去と現在、未来をつなぐ力を持っているのです。

まるで自分がその作品の当事者かのように

その作品から湧き上がる感情や記憶が「自分事」として咀嚼され、まるで自分がその作品の持つ物語の一部を生きているかのように感じられる瞬間。

私は、その瞬間にこそ「この作品を手に入れたい」と強く思います。

黒瀧さんの彫刻は、まさにそのような作品でした。

彫刻に込められたエネルギーや歴史、物語が、私の内面と共鳴し、深い感情をよみがえらせたのです。

「アートと生きる」ということの本質

そして先日、念願かなって、黒瀧さんの作品を自宅に迎え入れることができました。

手乗り地蔵と同じくらいの背丈で彫られた「ハネムシホーム」という作品です。

あの日、抱っこ紐の中の息子を抱きしめたときの私か!?と思えるようなその作品の姿に、運命を感じました。

(隣に並べられて嬉しい〜)

写真右:黒瀧さん作品「ハネムシホーム」

アート作品との出会いは、単なる視覚的な体験ではなく、過去の記憶や感情と向き合うきっかけをくれるものです。それが、アートを「所有する」という行為に深い意味を与えているのだと感じます。

アートを所有することは、自分自身と向き合い、内面を探るための時間を手に入れること。

アートは、日常生活で忘れがちな感覚や感情を思い出させ、今この瞬間をより深く生きる手助けをしてくれます。

アート作品との出会いを大切に

これからも、特別なアート作品との出会いを大切にしていきたいと思います。

アートは、過去と未来をつなぎ、新たな視点を与えてくれるものです。作品を所有することで、その作品との対話を深め、私自身の物語を紡いでいく。

それが、私にとっての「アートと生きる」ということの本質なのかもしれません。

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