おおらかで品のいいデザインは、個性ある人や都市をありのまま受け入れる器になる
ドクメンタ14 アテネの会場をめぐりながら、もっと個々の作品と対話をして、それぞれの抱え持つコンセプトを味わえたらとは思うのだけれど、なんだかどこかに「グループ展だから」と諦めてしまう自分がいる。個展ならそのアーティストの問題意識や社会に投げかける眼差し、それをどう昇華させようとしているのか、プロセスも含めて、作品コンセプトがよく見える。しかし、グループ展では、基本的には1作家1作品なのだし、1作品だけを見たのではわからないことの方が多すぎると思ってしまうからだ。
そんな自分の態度に反省しつつも、関心は「どう芸術祭を開催し、運営しているか」に向かう。
ドクメンタ アテネで展示以外に強い印象に残ったのが、会場のグラフィックだった。
可愛らしく知的なニュアンスもある「14」の文字。ドクメンタと大きく書くのではなく、「14」をアイキャッチにしているところがポイントだ。
案内のボランティアさんたちも、胸に「14」と大きく書かれたTシャツを着ている。じつはこのTシャツ、ふつうのクルーネックタイプから、上の写真の彼女が着ているような、見頃が少しゆったりして着丈が短め、胸に大きなポケットがついているタイプ、それに、襟ぐりが大きく空いているタイプなど、複数のパターンを見かけた。
おそらく地元アテネの学生さんや、時間に余裕のあるおばさまがたが手伝っているのだろう。彼らは私服とTシャツを組み合わせて、実にファッショナブルに着こなしていた。白の「14」Tシャツに白い膝丈のフレアスカートを合わせて、アクセントにTシャツの下にラベンダー色のタンクトップを着ていたおばさまもいて、その姿を見ただけで「ドクメンタ開催を、彼女はきっと自分ごととして楽しめている」と思わされたものだ。
他の芸術祭では見たことのない、ユニフォームの取り入れ方で、その感度の高さにびっくりした。思わず、東京オリンピックのボランティアさん用ユニフォームを思い出して、ため息が出たものだ。
「14」で採用されているフォントは、作品のキャプションや解説、会場案内のサインにも拡張して使用されている。
ごくごくシンプルで、実用的なのにしっかり可愛い、会場サイン。
ほとんどのキャプションが床置きされていて、英語とギリシャ語で表記されている。真ん中の作家名は石灰石のような棒状の石に書かれており、紙のキャプションに置かれることによって、文鎮のように機能している。
アテネに着いた当初は、「街にドクメンタをやってます! という感じがないじゃないか!」と、違和感を覚えもしたのに、数日いろいろと見てみると「これが正解」という気がしてならない。
めんどくさいことが嫌いそうで、おおらかで優しい美男美女が、まばゆい陽光の中で暮らすアテネ。アクロポリスのような古代からの遺産を守り続けているアテネ。彼らにとっては「ドクメンタ」は異物でしかないんだろう。今回のグラフィックをどんな人がデザインしたのかはまだ知らないが、様々な事情や人の感じ方を巧みに織り込んで、ドクメンタとアテネのよき接着点を演出できていたように感じた。
これが、カッセルではどのように変化するか楽しみだ。まずは、ドイツに戻り、ドクメンタ カッセルの前に、10年に一度開催されるミュンスター彫刻プロジェクトに向かうことにした。