54.「生かされている」ということ
最近になって改めて「生かされている」ということを意識します。
2021年の初夏の頃、ある人に「生かされてる」と伝えたら「そんなのおかしい!」と一蹴されたことがあります。
そのときは、その圧に返す言葉も氣力も湧き上がらなかったけど(自信もなかった)、今になって、やっぱり生かされてるって視点は大切だと感じます。
子宮体がんがわかったとき、自分の命がこの先どうなるかわからなくて、怖くて怖くてたまらなかった時期があります。
そのときに想い出したのが、ある方の友達であるKさんの話しでした。
Kさんは5回ほど自殺未遂をしたことがあって、5回目のときにやっと死ぬのを諦めたそう。今はとても陽氣に生きてらっしゃいますが、睡眠薬を大量に飲んでも死にきれず、救急車がやってきて「おぇぇ〜!」と苦しんでるときに、救急隊員の人たちは”冷静に”胃の中のものを洗浄する。その状況を俯瞰して感じたのか「あぁ、もういい加減生きよう」という氣持ちになったそう。
死を選びたくても死ねない人もいるということは、生死のタイミングは自分では選べないということ。
そう氣づいたとき、苦しかったけど、生きるか死ぬかはまだ「わからない」ということ、でも今「生かされている」という氣持ちが湧き上がってきたことがあったんです。
心臓だって毎日「動いてください」とお願いしなくても動いてくれている。太陽も月も「昇ってください」とお願いしなくても昇ってくれている。
寂しさを感じるとき、人は自分は一人だと感じます。わたしもまだあります。
でも、わたしの中に「わたしを生かしてくれている何か」(細胞・血液・骨など)が存在してくれていることも確かなこと。
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