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76.恥ずかしい人なんて存在しない〜『恥の体感』について〜


こんばんは。

少し前にクローズドの場で話しをして、想いのほか反応があったので、こちらにも記しておくことにします。

その日のテーマは『どんなときにどんな自動思考が出るか?』でした。

数人の方がお話しされたあとに、わたしも最近想いあたったパターンがあったので話したのが『恥の体感』です。

わたしの場合、人にわからないことを質問をしたあと、誰かの体験談を見聞きして、自分の未熟さに氣づいたときに『恥の体感』が出ます。

初めは「こんなことがわからなくて聞いたわたしが恥ずかしい」という氣持ちが湧いていることに氣づきました。でも、そのとき身体に意識を向けて感じていくと、それは『恥の体感』だったんだなぁ〜と徐々に氣づいてきました。

どうやら長い間それを『わたし=恥』、つまり「わたしの存在そのものが恥ずかしい」と想いこんでいて、恥の体感自体を感じることを避けてきたみたいなんです。でもそれは、体感のひとつなんだ・・・と感じられるようになってから、恥ずかしさを感じたときに一旦とどまって感じてみることができるようになってきました。


ここでのポイントは『自分の存在そのものは恥ずかしくもなんともない』ということ。
これまでの人生の中で恥ずかしさを感じたときに「この感覚はよくないものだ」と無意識に塞いできたことが、体感として残っているだけなので、感じていけば薄れていくということ。


恥の体感って正直あまり心地良い体感ではないけれど、身体に反応が出るときは「今これを感じてね」というお知らせなので、身体に意識を向けて感じていきます。

わたしは恥を感じたときに、胸の奥がざわつく感じと、少し喉の奥が詰まる感じがするけれど、人によって感じる箇所は違うと想います。

反応が湧いたときに、その箇所に意識を向けて「”ここ“にこういう体感があるなぁ〜」と、その感覚を感じていってあげる。そのとき感情が動いたら、それも押しのけずに感じてあげる。


具体的な身体の部位を指し示した言葉ではなく“ここ”なのは、正しい場所を探そうと左脳が動いてしまうから。“こういう体感”のところは「ざわざわがあるなぁ〜」とか「ずんとするなぁ〜」みたいな感じで大丈夫です。

とにかく正しさを求めると左脳が働くので、感じる方に意識を集中するために感覚的な言葉に置き換えます。この言葉がなくても「ただ感じる」ができる方は身体に意識を向けて感じていってあげてください。


日本人は特に戦後から無意識下に恥の感覚を持っているという説もあるので(敗戦したことへの恥の感覚)、世代間連鎖として残っている体感なのかもしれない。

わたし自身、今回話しをしたことで「わたしもあるかも」という方が案外いるんだなぁ〜と驚いたので、その感覚に氣づいたら、それがあることを責めずに寄り添ってみてくださいね。



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