焦る様子の無いふたり。普通の会社なら、役員会議のテーマになりそうだ。
のどかな田んぼが車窓に流れる、数人しか乗っていない通勤電車。安いスーツを着た、若手の中学教師が座っていた。
『○○駅~、○○駅でございます。』
ドアが開き、新たに一人乗って来た。彼は代謝が良いのか、ジャケットを肘にかけてワイシャツ一枚になっている。同じ学校に勤めるベテラン教師だ。
「おはようございます、○○先生。」
ベテラン先生があいさつすると、新米先生は朗らかに隣の席を手で示す。通勤中の上司との接触にしては、違和感があるほどに柔らかい空気だ。
「○○先生、普段から電車通勤だったっけ?」
二重あごをハンカチで拭きながら訊ねる。
「いえ、普段は生徒みたいに自転車ですよ。ただ今日は、ちょっとラクをしたくなって笑。」
苦笑いする新米先生には、決して会話を面倒がる雰囲気などない。
「なんだいそれは。嫌なことでもあったのw?」
むしろ、ツッコまれて嬉しいというように話を広げる。
「おっしゃる通りです笑。いやあ、最近は娘も大きくなってきて、妻とタッグでまくしたてるんですよ。今朝なんて、『パパ、この土日遊んでくれなかったじゃない』とか責められちゃって。」
「おいおい、それは嬉しい悲鳴じゃないかw」
ゴトンゴトン。高速道路の下を通ると電車が揺れる。体温がようやく落ち着いたベテラン先生は、ジャケットの袖に腕を通した。
「それにしても、女性はどうしてあんなに口が達者なんですかね?」
学生時代に相当モテたのだろう。新米先生は、今までの相手を思い浮かべながらそう訊ねた。
「それはやっぱり、雌としてのプログラムがそうなってるんだろうなぁ。」
対照的に学生時代は研究に熱中していたベテラン先生。
「というとどういうことでしょう?」
質問する側に忖度など見えず、そこには純粋な好奇心だけがある。
「仮に今、サバンナで二つのライオンの群れが互いに見合ってるとしよう。」
「はあ。」
「そしてそこに、サファリツアーの車が来るんだ。」
子守歌のようなトーンで話すベテラン先生に、他の乗客たちも、こっそり耳を傾けて始めた。
「そしたらきっと雌たちは、相手の群れに飛び込んで情報交換を図るんじゃないかな。一方で雄たちは、互いに牽制し合って、微動だにしないと思うよ。」
研究者肌な説明に対して、新米先生は素直に感心する。
「ああ確かにイメージできます。というかあれですね、それって、よその中学校との交流会でも同じですね笑。」
「ははw。言われてみればそうかもしれないなw。きっと、中学生はまだまだ動物的なんだろうな。」
『□□駅~、□□駅でございます。』
少し栄えた駅に着き、二人は学校へとともに足を運ぶ。
「ちょっと先生方、遅刻ですよ!?」
若い女性教師が、職員室の前で待ち構えていた。
「あれ?いつも通りの時間ですよ?」
焦る様子の無いふたり。普通の会社なら、役員会議のテーマになりそうだ。
「もう!最近は教師のメンタルケアが問題になってるから、先週の会議で、うちでも試しにラジオ体操でも取り入れようってなったじゃないですか。それで教師の集合時間も早めましたよね??」
慌てて思い出す二人。
「ああ、そうでしたね。」
それぞれが自分の机に着いた。
『ラジオ体操第一~。』
誰かのスマホから曲が流れだす。
平和な出勤をしていた教師二人は、突然サバンナに放り出されたかの如く、キョロキョロしながら小さめな動きをしていた。
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