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親の離婚、働き方、家族――選択と決定に揺れる軌跡

働き方を変えることは、家族のあり方にも影響を与える


昨年、わたしは適応障害で4か月間休職、そのあと退職した。 この体験を通して考えたのは、「しばらくは一つの場所で働くのを控え、別の形を模索しよう」ということだった。


正直、夫がうつ病を発症するなか、「この選択は経済的にリスクが高いのでは」と今でも自問している。が、それ以上に「どうしても守りたいもの」がある、と気づいた。


今日は、そんな働き方を変えようとする中で感じた「家族との対話の大切さ」について書いてみたい。


(※思い入れが強く、2000字と長めです。親の離婚・働き方について悩んだときの気持ちを、自分なりに書いてみました。あくまでわたしの考えなので、気軽に読んでいただけたらうれしいです^^)





幼少期の体験

母への願い

小3のとき、母に「お父さんと別れてほしい」と頼んだことがある。きっかけは、弟の「お父さんとお母さんの仲が悪い。家に帰りたくない」という一言だった。


それから1年後、母は離婚を決意。父とは月2回会う約束で、新しい家族の形が始まった。けれど、3年後、母は精神を疲弊し、統合失調症を発症。結果、わたしたちは6年間、児童福祉施設で暮らすことになった。


気づきと親権の話し合い

この経験を通して、「離婚しない選択」にも一定の価値はあると感じるようになった
衣食住の安定は子どもに安全感を与えるし、親の負担も軽減されるだろうから。

一方で、精神的な負担についてはどうだろうか―― 一概には語れない。けれど、我が家の場合、父の不倫が与えた母へのダメージがあまりに深刻だった。そのため、母と子の精神的な安定を守るためには、離婚という選択は最善だったと思う。


離婚話が進む中で、親権の話し合いに参加した。子どもとして意見を求められたときは、責任の重さを感じて少し戸惑ったけれど、重大な人生の選択に関わることができたのは今でもありがたく思う。



多様な家族のあり方

子どもは大人が思う以上に、家庭の雰囲気を敏感に察知する。そのため、状況に応じて柔軟に選択することが大切かもしれない。多様な家族のあり方があってもいい――それが、今のわたしの考えである。





子どもたちとのやりとり

背景

去年11月、夫がうつ病で倒れた。わたしは幼少期の体験もあり、子どもらが何を感じているのか知りたくなった。また、自分が働き方を変えることを検討していたのもあり、彼らに意見を尋ねてみることにした。

子どもたちの答え

  • 息子(小5):「毎日平和だったらいい。みんなのこころが一番だいじ。
     ⇒ 息子…。この4か月間、ほんまにしんどかったな…。ごめんなあ。 


  • 娘(小2):「お母さんといっしょだったらなんでもいい!
     ⇒この無邪気さ…。娘にとって一番大事なのは、親がそばにいることなんだ。



気づき

正直、子どもたちの声を聞いて、頭をガツーンとやられた気がした。これまで「家族のために経済的な安定を」と思い、がむしゃらに働いてきた自分。けれど、彼らは「車がなくても、外食が減ってもいい」と言う。物質的な豊かさが一番ではなかったのだ

「自分がよかれと思う働き方」ではなく、「子どもが望む家族のあり方」。それを大切にする必要性を痛感した。

その瞬間から、「わたし個人の働き方をどうするか?」という問いは、「家族全員が(自分も含め)こころ穏やかでいられる時間や安心感をどう守るか」という問いそのものへと変わった。 この問いが、わたしの選択の新しい軸となっている。


ただ、経済的な安定もまた、家族の安心を支える重要な要素だ。だからこそ、働き方を変えるなかでも、一定の収入を確保しつつ、バランスを取る方法を模索したい。




母の死が与えた影響

突然の別れ

母は47歳で逝去。急性心筋梗塞だった。

「命が強制終了されることがある」、その現実を突きつけられたことで、「明日死んでも後悔しない選択を続けたい」と強く思うようになった。この視点は、家族との時間や働き方を見つめ直す上での基盤になっていると思う。


子どもたちへの想い

特に、「子どもたちに何を残せるのか」という視点は自然に持つようになったと思う。お金や物ではなく、「家族とどう過ごし、どんな時間を共有してきたか」。それが、ほんとうに意味のある遺産だと感じている。




わたしがこの世を去ったあと、子どもたちはわたしのことをどんな風に覚えていてくれるかな。

お母さんなりに、家族のことを大切に考え、働き方を模索していたんだな」と、そんなふうに感じてもらえたら…。それだけで十分、母は生きた価値がありました。

お金をたくさん遺すことは難しいかもしれない。けれど、母としての生きざま――子どもたちとの対話や、心の平和を大切にする姿勢――それが精神的遺産として残ればいいな、と思っています。


まあ、願望ですけど(^^;)
それでも、いいよね。

この文章を、読んでくださった方が、すこしでも自分や家族との向き合い方について考えるきっかけになればうれしいです。