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あの時の言葉に救われた
仮に予知とか予言とかあったとしても、誰に対してもどんな時もその能力を発揮するというのは信じがたい。ただ、大事な人が安全であるようにと思う気持ちや愛情が「予感」「勘」などの「何となくこうした方が良い気がする。」という形で現れて、相手の未来の安全を守ることは、あり得るのではないだろうか。
双子の片割がもう一方に対してだけ働く勘みたいなもの。それは他の人に対しては働かないし、特定の相手に対してだけ無意識に働くという感じ。
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「車が来たら自転車なんて守らないで逃げるんだよ。」
まだ補助輪が付いたピンクの自転車を乗り回す4歳の私が出掛ける毎に彼女はそう言っていた。
それは、小学校生になっても、中学生になっても変わらなかった。
「ずっとそれ言っているよね、しつこい」無視を続けるうちに、彼女は声に出さなくなった。
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私は大学生になり、バイト先に向かって自転車に乗っていた。坂を下り信号を渡り、駅に停める、わずか6分くらいの毎日の通勤通学路。
その日は、坂を下り終え交差点少し前で「変な奴が近づいている」感覚がした。そんなことを言うと私の妄想や虚言と思われるかも知れないが、本当に一瞬、感じたのだ。
そして、その感覚と同時に「車が来たら自転車を守らず逃げる」の言葉が走ったのだ。
気付いた時には、自転車は車の下敷になり、周り中の車がクラクションを鳴らしていた。周囲の車の運転手、自転車を轢いた車の運転手は、私のことも撥ねたと思ったらしい。
とんでもない数のクラクションの音が早朝の住宅街に響き渡り、それに混じって「お姉ちゃん」「おーい大丈夫か」との声が四方八方から聞こえた。
急いでる、早く、不安、心配、大丈夫か。
急ぎたいエゴと目の前の恐怖、遅刻を顧みず突発的に止まってくれた周囲の運転手、人間が無意識に発現する本能的な良し悪しの感情が沢山の音になり交差した、交通事故だった。
運転手たちが車の下から自転車を無理矢理引っ張り出した。ぐっしゃぐしゃだった。
どうやって避難したか全く覚えていないが、私は立っていた。無傷だった。
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間違えなく彼女の声が私を救った。
ただそれはいつもなのだ。
散歩のときや、料理のときなど「そう言えば、あの時、言ってた」ふと何かを警戒することがある。
彼女には予知能力があるのではないかとさえ思うが、それを発揮するのは私に対してだけである。彼女の願いが、未来で起こる出来事を本人も気づかぬうちに予想し、回避方法を提供してくれているのかも分からない。
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「こうしたら?」と言われても「大丈夫」「うるさいなぁ」
そう言って人の思いやりを蔑ろにすると、そのうち何も言っていたもらえなくなる。
無論、全ての人の意見に耳を傾けることは危険でもある。
しかし、自分を大事に思ってくれている人の言葉は「喧しい」で遮らず、必ず心に収めないといけないと思う。
それは、発言者本人すら分かっていない、「安全に」の愛情が形になった予知と回避方法なのかもしれないのだから。
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私個人は予知や予言、超常現象は全く信じてないが、
言葉に変わった見えない愛情や家族を思う気持ちは大事にし、その言葉を胸に刻んでおきたい。
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先日、とっさに「横着しないでよ」と私が声を掛けた相手が「大丈夫だよ」と言いながら転倒し肋骨二本を骨折して、ふとあの事故を思い出した。
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