どこに居てもその人格は変わらない。注意ばかりする人のいないところで生きていくのもありだと思う。
家族団らんの食事のときに、友達の旦那様は4歳の子供に「肘をつくな」「食べ方が煩い」と重箱の隅をつつく様に、注意係となるらしい。子供にとって大切なのは「まずはご飯を食べること」なのに、そこを忘れて理想のマナーを威力で怯えさせ従わせるという。
そんな毎日が何年も続き、年末年始は旦那様には留守番いただいて帰省。
会社に外観を整えて、中身を空洞化する変なおじさんいるけど、うちにはそれが家にいるから、逃げている。
なのに追いかけてきて、俺ニュースを聞かされるらしい。
……………
彼女の話を聞いて、うちの部長を思い出す。
私の会社の部長は、「休むなら病院の診断書を出せ」と言い、いざ出社すると「体調悪そうだから帰れ」と言う。
行けば休め、休めば来いと言わんばかりの言動に、まるで存在を否定され、消えろと言われているかに苦痛。
そんな部長にも、元従業員の奥様がいるから、良いところもあるのだろうと思ってはいた。
しかし、奥様は、自分の親がなくなったときに、夫である部長をお通夜にもお葬式にも呼ばなかった。
「部長は1週間忌引です」とのメールが部内に流れた翌日から、部長はご出社されていた。それも仕事がないにも関わらずである。
きっと部長は奥さんに嫌われていたんだね。一番辛い時すら一緒に居たくないほどに。
会社で変なのは、家でも変だったのかもしれない。
……………
うちの部長は、家では奥さんに省かれ会社では部下たちから逃げられている。友人の旦那様は友人に家で省かれて逃げられているという点で似ている。
結局人は、家でも会社でも変わらないのかも知れない。
人の内面を思い量るより、外面を整えるように他人を変える方法でコミュニケーションを取る人が、
ありのままのその人として生きていると、
注意されてばかりとなる好きな人からは逃げられてしまうのだろう。
しかし、当の本人たちは好きだから追いかけて、「部下だから追いかけてよい」「妻だから話を聞いてくれて当然」とつきまとう。
よく分からない注意を正当化する理屈によって避けられてしまった後、
「寂しい」と言い相手の話しを聞くのならまだ可愛げがあり救われるが、この期に及んで「立場」という権利主張で追いかけてくる。
……………
私は退職によって部長から逃げ切れた。しかし奥様は逃げられない。体はそこにあっても心はいない。
だから、避けられ続ける。
外面より大切なのは、子供や部下の成長や奥さんへの心遣いではないだろうか。それを差し置き形式面だけが整うように他人の言動を注意ばかりすれば、会社にしろ家にしろ大事な人は逃げていく。
そして追いかけて、内面の大切さではなく、自分に従順である外面の大切さを論じる人の俺ニュースや指示を聞く人はいないだろう。
例え頷いていても、その同意はそれこそ外面だけ。
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指示に従わせた方は「分かってくれた」と思っているかもしれない。しかし、従った方は諦めたんだよ。
今や仕事も家族も選ぶ時代。思いが届かない人との会話を強いられる時を過ごすより、思いが届く人と私は居たい。
美人すぎるほどの美人で、スマートで優しく、経済力ある友人が心豊かに暮らすことができる最適な環境になることをいつも祈っている。