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致死量の悔恨 第5話 イチョウに乗せた伝言


 イチョウ並木を歩く。千秋(ちあき)が前に進むたび、山になった落ち葉がカシャカシャと音を立てる。長いようであっと言う間だった。妹の千花(ちか)が校外学習のあった圓山(まるやま)で亡くなったのは3ヶ月前のことだった。
 鮮やかな青空と薄く澄んだ空気。幼稚園児から定年後の大人まで楽しそうに駆け上がるここ圓山で、千花が滑落しなければならない出来事は何だったのか、千秋は考え続けた。千花のスマートフォンを見たら何か分かるのではないかとも思ったが、いくら妹のものとはいえどもプライバシーを覗くことは、やってはいけない気がした。
 せめてSNSに何か載せていないかと探ったが、感染症対策下での外出禁止令で遊びに出掛けた様子はなく、更新が殆どない。それでもアップされている少ない画像を幾度も幾度も見た。拡大して隅々に目を通した。見れば見るほど千花を失った虚無感から涙が溢れるだけで、千秋はその原因を知ることは出来なかった。

 それが3ヶ月続いた。泣いていても時間は止まってくれない。ようやく千秋は部屋を出て大学に向かった。


 「久しぶり!」
 千秋に気を遣ってか、久しぶりに会えた喜びか、律子(りつこ)はとびっきりの笑顔で千秋の背中を勢いよく『ぽん』と叩く。
 「あー、律子。」
 千秋は、静かに振り向いた。
 「大変だったよね。」
 想像以上に気力を失っていた千秋に、律子は少し驚いた。
 「うん。」
 律子の弟、晋太郎(しんたろう)が千花と同級生だから事情を知っているのだろう。律子は少し神妙な表情で千秋の顔を覗き込んだ。
 「あのさ、私、千花ちゃんのお参りに行こうかなぁって。圓山に。千秋もどう?」

 千秋は返す言葉がなかった。今日、部屋から出るまでにどれだけゆっくりリハビリし、心の整理をつけてきたか。誰にも心の中に踏み込まれたくないから休んでいたことを律子は分からない人なのだ。デリカシーがないというか、ただ悪気はないと思いたい。
 しかし、悪気がなくとも人の心を詮索し、喜ぶと決めつけ、口に出すのはいかがなものだろう。純粋にお参りに行きたいのなら自分一人で勝手に行ってくれたら良いし、学校に来れないほど衰弱している私に報告は要らない。にもかかわらず良かれと思い口にする。
 そんな彼女に、本来は「ありがとう」さえ言いたくなかったが、無意識に感謝を伝えてしまう。
 「ありがとう、今はまだ。」
 千秋は律子と目を合わせず、言葉だけを返した。
 「そうだよね、じゃあ、晋太郎と行ってくるわ。」
 千秋の顔を覗き込みながら伝えた律子に、「ご自由に。」と千秋は心の中で回答し、口角だけを上げて早足で進んだ。カシャカシャという音が、心のイライラを少しばかり掻き消してくれた。


 その日、律子は晋太郎を車に乗せて圓山に向かった。
 「晋太郎がモタモタしているから、もうこんな時間よ。」
 晋太郎はさほど遅れて来たわけではなかったが、律子は苛立っていた。律子と少し離れたくて後部座席に座った晋太郎は、返事をしない。律子は黙々と圓山の住所をカーナビゲーションに入れた。

 千秋はラジオを聞きながら、カーナビのいうがままに無心で運転した。晋太郎と話しをすると「どうしてこんなことになったのか」という腹立たしい思いと自分が手伝わされている不満が溢れ、「降りて」との言葉を言ってしまいそうだったのだ。しかし、晋太郎は可愛い弟で、手を貸したいから言葉は交わさないことにした。
 カーナビの指示通り山を登っていく。頭も心も空にしてただ従う。遠くからラジオの音が聞こえるが、律子の心には何も残らない雑音だった。そんなとき、ふと、晋太郎が、
 「なんかおかしくないか?」
 と言った。
 確かに。律子も「大丈夫か」と、疑問を持った。
 「おかしいよね、でもナビが間違えるかな?」
 律子はカーナビが間違えるはずはないと思うことにし、穏やかな言い回しをしつつも強い口調で否定した。律子の口調の厳しさに晋太郎は、
 「そうだよな。ごめん。」
 と、間違えとの考えが間違えと思うことにし、カーナビに従う律子に、従った。

 「次は右方向です。」
 カーナビの音に反応したのは晋太郎で、
 「次ってさ、ただの砂利道だぜ。良いのかよ。」
 と疑う。律子はカーナビが間違えていることに気づきながらも、どうしょうもなく、
 「じゃあ、どうする?」
 と問う。しかし、晋太郎からの答えはない。律子は曲がってしまった。
 そして、カーナビは、
 「到着しました。」
 といった。


 人家を見渡せる古い墓地だった。人の手が施された様子はない。雑草が生い茂る風貌によく似合う夕焼け空が、不気味な予感をもたらし心を震えさせた。そこにカラカラと流れる小川の水の音が響き、あたかもそこで眠っている人が生きているように感じた。
 律子は口の中がパサパサに渇き、心臓から喉元に何かが走る感じがした。ゾッとしたのだ。「何でお墓なのよ。どういう意味?」心の中で呟いたが、恐ろしさのあまり口に出来ない。震える手を隠すようにポケットに入れた。
 「帰るわよ、明日よ、明日。」
 律子は恐怖を悟られまいと晋太郎と目を合わせずに言う。
 「イヤホンは?」
 晋太郎が律子の方を見て聞く。
 「ナビがおかしいのだから、明日。」
 律子は直ぐに車のエンジンをかけたが晋太郎は何も言えず、従った。イヤホンが気にはなるが、早くここから離れたいと思ったのだった。


 律子はカーナビに自宅の住所を入力する。しかし、何度入力してもナビが「目的地に到着しました」という。「自宅がお墓って、勘弁してよ」と律子は思ったが、口には出さなかった。単に、カーナビが故障中と思うことにした。

 圓山は、小学生でも遠足に来るところで、通常、迷う様な山ではない。簡単に帰ることができるはずである。カーナビはやめて晋太郎が取り出したスマートフォンの案内で帰ることにした。

 カーブをいくつか周りながら下っていく。ラジオはいつの間にか圏外となり、カーブを曲がる音や、時々聞こえるカラスの鳴き声に一々、ゾクゾクする。運転に集中しようと握りしめたハンドルから汗が滴る。
 一気に日が落ち暗くなってしまった。ライトを全開にした。影に向かう度、何かいるのではないかとの怯えで震え運転どころではなくなる。だから律子は光だけを見る。

 次のトンネルを出たら街が見えるはず。ここまで来ると土地勘がある。

 トンネルに入る。
 「もう少し、もう少し。」と律子は心の中で呟いた。そしてそれは晋太郎も同じだった。

 その時、カシャカシャと音がした。何かを踏む聞き慣れた音。

 「何?」
 律子が声を上げる。晋太郎が、
 「大丈夫だから。急いで。」
 と宥める。兎に角、トンネルを抜ければゴールだった。

 カシャカシャカシャカシャ
 
 はっきりと何度も聞こえた。次第に大きくなる。
カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ。

 「抜ける、急げ!」


 光に入った。助かったのか?
 律子はトンネルから抜けたところで車を止めた。前が見えなかったのだ。

 晋太郎が車の中をスマートフォンで照らす。息が止まった。
 窓全体にイチョウの葉がぎっしり張り付いていた。それはまるで手で窓を叩く様な、強烈な黄色い窓だった。

 「姉ちゃん、ワイパー!」

 晋太郎の叫び声で律子は我に返り、ワイパーを最速で動かした。 イチョウの葉が四方八方に飛び散る。
 律子はエンジンをかけ、兎に角、車を走らせた。


 気づいた時には、千秋の家の前にいた。
 俯いた律子の頭がクラクションにあたり、「ゔーーー」っと低い音が鳴り響いた。
 異様な騒音に千秋が家から出てきた。運転席の窓を叩く。
 「律子?どうしたの?」
 律子は顔を上げ安堵し、背もたれによしかかった。脱力し言葉は出なかった。
 千秋がドアを開け、助手席に座った。

 「何があったの?」
 千秋は律子の顔を覗く。律子は千秋を見ないで、
「不審車両に追いかけられ、道に迷った、怖かった。」
 とだけ棒読みした。
 晋太郎は、後部座席で放心し顔面蒼白で何も言えなくなっていた。

 「ドラレコ確認してみようよ。」
 千秋が言った。
 「嫌。」
 と千秋を睨む律子に、千秋は首をかしげ、
 「大丈夫、一緒に見てあげるから怖くないよ。」
 と言いながら、同時に、警察を呼んだ。そうすべきと思わせるほどに二人が憔悴していたのだ。律子がこれ以上、運転するのは無理だろうと千秋は思った。


 再生ボタンを押す。今日の動画の再生をしたはずだが、映像は半年前のものだった。

 「千花、待てよ、待てよ。」
 走って逃げる千花に晋太郎は直ぐに追いつき、スカートを捲り上げた。
 「いやー」
 と金切り声を上げた千花に裕貴(ゆうき)が
 「うるさいぞ。これくらい受忍限度。」
 と吐き捨てスマートフォンのカメラを向け、カシャと何度も写真を撮る。

 周囲の人々が立ち去り際に向けたしらけた視線が千花を刺した。


 そして、3か月前の校外学習の日になる。
 「千花、待てよ。」
 音楽を聴いていた晋太郎が千花を見つけるなり、急にイヤホンを放り出し、千花を追いかけた。
 「嫌だって。」
 千花は、必死に斜面を駆け下りる。そんな千花をニタニタしながら晋太郎は見つめ、大きな体を揺すりながら爆速して追いかける。
 「おーい、裕貴あれやるぞ!」
 と叫び声を上げた。
 裕貴が先回りし、晋太郎が千花を追いかけ続けた。そして裕貴が千花に足掛し、千花は転倒した。すぐに立ち上がろうとした千花を晋太郎が後ろから抱きとめ、手を胸に回した。
 「ぎゃー」
 と千花が腹の底から湧き上がる様な恐怖を音にし、晋太郎の手を振りほどいた。走って逃げようとしたところで、千花は再度、裕貴に足掛され、転倒し、山の下に転げ落ちた。
 千花の声はしなかった。
 晋太郎と裕貴が
 「ヤバくない?」
 そう言い、目を合わせ逃げ出した。


 「これ。」
 千秋が蒼白な顔に目を見開き、律子を睨みつけた。
 「知らない、知らないの。」
 と律子は言う。

 千秋は、ドラレコを取り、直ぐに自宅に入った。律子も晋太郎もただその場に膠着していた。
 そして間もなく警察が到着した。

 千花のスマートフォンを千秋は迷わず開いた。直ちにメッセージアプリを見る。
 晋太郎から連日、
 「愛している」、「何カップ?」、「いつやらせてくれるの?」等々
 のメッセージが届いていた。更に千花の似顔絵が送られていた。

 最も恐ろしかったのは、晋太郎が千花に挿入する寸前の写真が残っていたことだった。

 千花が相談した担任の先生からは、「証拠がないなら事実はない」とのメッセージだけが返され、千花の相談は相手にされていなかった。もっとも相談内容は、いつ誰に何をされたか、事実を淡々と書いていた。そして、挿入されかけたところで、写真を撮られた事実も刻名に残されていた。

 もう一歩のところであった晋太郎が裕貴とともに、郊外学習の圓山で収まらない欲を吐くべく、計画的に千花を襲ったのだろう。

十一
 2022年4月から18歳以上の者を成年とすることに伴い、18歳、19歳の者を「特定少年」として従前とは異なる取扱いをする法改正があった。18歳で特定少年に該当する晋太郎は、強制わいせつ致死罪(刑法第176条、181条2項)で起訴された。無論、裕貴もである。

 スマホのメッセージが証拠となった晋太郎と裕貴の常態化したセクシャルハラスメントは、あの日の強制わいせつ致死罪を推定させる証拠になった。更にドラレコの映像と、落ちていたイヤホンが2人の犯罪を決定づけた。

十二
 イチョウ並木が真っ白な雪景色になっていた。
 「千花って紅葉が好きだったよな。」
 千秋は空を見上げる。掌を天に伸ばし雪を載せるが直ぐに溶ける。掌には積もらないのかと思いながら、幾度かそれを繰り返した。そして、
 「捕まったよ。」
 と呟いた。雪が水滴になった掌を握りしめてギシギシという雪道を歩く。千秋は胸の辺りに拳を持っていき、千花が届けにきた思いを心に包んだ。
 「ずっと一人で我慢してきたんだね、ごめんね。」

 言葉にならない無念は白い雪になり、千花が大好きだったイチョウ並木に積もった。
 「大丈夫だよ、私は千花をずっと忘れないよ。」
 千秋はこれからも千花と歩いていく。

(致死量の悔恨 第4話 イチョウに乗せた伝言 了)

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