箱男はわたしだった(映画の感想)
こんにちは。
福岡でテレビショッピングを中心に映像ディレクターをしている別府です。3児の母、共働きのフリーランスです。
今日は、2024年8月24日公開の映画「箱男」の感想、長文です。
一番の感想は、よくぞこの世界観を映像化していただきありがとうの一言に尽きます。※一部ネタバレを含みますのでご容赦ください。
安倍公房、作品の魔力
この映画の原作は1973年初版、安倍公房氏の長編小説「箱男」です。
安倍公房(あべこうぼう)とは日本の小説家であり劇作家として有名な方です。
以前漫画家のヤマザキマリさんが著書で絶賛していて図書館で借りて読んだのですが洞察が分かりやすくて面白かったのでこのたび改めて購入しました(今日届く)。
さらにNHKの趣味どきっ!「読書の森へ 本の道しるべ」という番組の中でも安倍公房について語っていました。
戦後日本から日本の高度経済成長と人間の変遷をその目で見つめてきた彼が感じる飢餓から創作への渇望。社会への眼差しは本当に凄まじいです。
卑屈な恐怖すら感じる徹底した描写。
有名な「砂の女」はとことん砂丘集落で女と暮らして砂をすくい村から逃れようとする話、「他人の顔」はケロイドで顔を持たぬ男が顔を通してアイデンティティとは何かを書き連ねる話。
その徹底した書き込みと周囲の非現実ながら現実感のモチーフをすくいとる哲学を感じる作品がすごいなと感じさせます。
私も全作を読んだわけではないのですが、「砂の女」「他人の顔」「箱男」を読み、江戸川乱歩やフランツ・カフカのような非現実な世界に現実世界が投影されている面白みに引き込まれました。
映画になるべくしてなった映像作品
映画のスクリーンの長方形が全ての答え。
箱男は誰でもなりうるし今そこにいるあなたが次の箱男かもしれない。
見る存在と見られる存在。
作品と観客。
このリアルと虚構に気づいた時は鳥肌が立ちます。
映画の世界と本を読んで想像する世界。
私の中でこの2つをビジュアルと音で答え合わせする感じがとっても楽しかったです。
機械的な工場の景色、畳の箱男の部屋、箱の中のフィルムカメラのイメージ、街中の箱男の姿、流れる砂、病院の不気味さ。
ようこの姿。軍医やニセ医者の関係。
かき鳴らされるエレキや無音、脳内再生される独り言。
このどこでもないどこかの景色と音は、読書中に想像していたものに近い。
特に手帳に箱男の記述を書き連ねる描写、箱から覗く外の世界や反対に外から見える長方形の暗闇の恐怖。
目を閉じて感じる脳内世界のキラキラした小宇宙のほとばしり。
安倍公房氏の生誕100年の節目に記念すべき映像化だなと思いました。
今、映像化する意義
石井岳龍(いしいがくりゅう 旧名:石井聰亙)監督は福岡県出身。
約30年前にドイツで映画化クランクイン前日に頓挫してそれから当時のメインキャスティングのままに映画化。
27年前といえば、主役の永瀬正敏さんは当時31歳(現在58歳(それに驚き!))。
浅野忠信さんは23歳(現在50歳)。佐藤浩一さんは34歳(現在61歳)。
皆さんしっかりと中高年なのである。
脂の乗り切った若者ではなく世間をそれなりに過ごして怠惰な妄想に耽るオジサン箱男たち。そこに今回オーディションで選ばれた葉子役の白本彩奈さんは現在22歳。
男たちの顔のアップはしっかりとシワが刻まれ、二重顎に、白髪も混じる。
ありのままで演じる永瀬さんがカッコ良すぎる絶頂期を知っている私はそこにもなんとも言えない複雑な心境を感じました。
それは落胆や関心という次元ではなく、安倍公房が描く「人間が生物として老いて醜くなっていく宿命との葛藤」をあえて感じさせるための演出のひとつになっている気がして。この年齢で演じた作品というだけで、そこへ思考を巡らせられることが映画のエッセンスになっていると感じました。
(今の渋い永瀬正敏さんも個人的にはすごく好きです)
そして現在は1人1台スマホを持ち、SNSなど匿名性の高い時代。
引きこもりや独居高齢者など1人で殻にこもって外と中が分断。
人々はすれ違う他人に無意識なのに遠くの共通項がある他人に異様な執着を燃やす社会。
27年経って今映画化されるべくしてされた映画だなと。
そして来年でも10年後でもない、今なんだろうなと。
旧札の福沢諭吉1万円が出てきたりフィルムカメラを撮影したり、箱男同士の戦いで昭和ヒーローのテレビ番組のような火花が散ったり、衣装や小道具もどことなく昭和感がギリギリ踏みとどまっているような世界観。
時代にあらがって踏みとどまり箱に引きこもり、外との関わりを断つ。
でも誰かと理解し合いたい、感覚を共有したい欲望。
この絶妙な時代変化へのもがきがたまたまかもしれないけど、素晴らしくて見えない力のようなものを感じました。
徹底した現実のある女と妄想に生きる男の対比
私が安倍公房の小説が好きな理由に、女性の存在があります。
のっぺらぼうのように個性を持たず徹底して阿呆のように従順なようで実は現実を生きるために必死で狡猾。
この暖簾に腕押しのようなつかまえどころがない女性像がうまいなあと。
これを映画では葉子役の白本さんがうまく演じていました。
3人の男性にうまく使われているようで嘲笑い苦しめながら男たちへ変容を促す、そんな絶妙な役どころ。色気も本質的なオーラをも必要とする大変な役だったと思いますが素晴らしかったです。
おこがましいながら演出的な視点で考えると、不二峰子的な含みのある声だともっと良かったなとか、むしろもう少し不細工で放っとけない魅力ある女性もありかも、と思いましたが、それでも素晴らしかった。
感謝を申したいと思いました。
一方、3人の箱男たちはよく喋り、妄想し、人を妬み、蔑み、羨み侮辱する。本能のまま愛のままにわがままに、やりたい放題。
このような姿は「砂の女」「他人の顔」でも見られる「自己中な男たち」の典型例。それが悪いわけではなくありのままを描いていて、それは人間の醜い部分を表現していて男だからというわけではない。
苦しんでもがいている人生の主役は私。
そこに他人で献身的な女が現実からの呼びかけをするカンフル剤となる。
この対比が映画化でもきちんと描かれていて清々しかったです。
書くことが箱男を存在させる
途中、ニセ医者の浅野忠信さんの台詞「そうか、箱に入ることが箱男ではない、それを書くことが箱男たる所以」みたいな言葉があって頭を殴られたような思いがしました。
箱男はその体験、思考の流れと体感を「書いて残す」ことによりその存在が世間に晒される。ただ箱に入り街に存在して他人を眺めるだけでは箱男はそこにいるけど存在はしていない。
声無き群衆の中で埋もれないために。
書くことこそ、箱から出て自我を確立する第一歩。
そんなメッセージを感じて自分がなぜこんなに書きたいのか腹落ちした気がしました。
そしてエンドロール。
群衆を"のっぺらぼう"のような無個性として箱の平面的な外見で想起させておきながら、エンドロールではスタッフ全員名前が本人手描きで表記されている。無個性のような群衆には生身の人間がいるという表裏一体の表現。
安倍公房氏の自筆サイン、その他大勢のスタッフたちの自筆の名前。
書いて生きた証を残すという私の人生のテーマのようなものを天からいただいたようなターニングポイントの1日になりました。
箱男を意識するものは、箱男になる
たびたび繰り返されるその台詞と文字は観客の思考を、もつれがちな難解なストーリーを都度中心へ引き戻してくれる。
箱男は概念であって実体ではない。
箱男を意識して理解しようとするとミイラ取りがミイラになって同じ箱男のようにグルグル迷宮に迷い込んでしまう。
先代の箱男から、箱男を受け継いだ主人公の永瀬正敏さん。
その永瀬正敏さんから「街でただ1人の箱男ポジション」を奪い取ろうとする2人の医師のように。
人間の本質を「箱を被った男」という発想を起点に「書いて」昇華させた安倍公房の文章力。
そして石井監督はさらに映像化して魅せた演出力。
奇跡をまざまざと見せつけられた2時間、もう一回見たい作品でした。
おまけ、石井岳龍監督のトークショー
ちなみに今週末台風でどうなるかわかりませんが福岡市箱崎にあるキューブリックで石井監督のトークショーがあり申し込みしました。
どんなお話が聞けるのかとっても楽しみです♪
★9/2追記
石井監督のトークショーの感想を記事に書きました。ご興味があれば是非
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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