「期待しない生き方」を続ける虐待サバイバー

「人に期待しない。」とある女性が発した言葉。

「人に期待しない。」そう決めた理由を尋ねてみた。

「人に期待をすると裏切られた時、すっごく悲しくなって自分でもどうしようもない葛藤になって、ある日…あ、そっかぁ。期待するから絶望するんだぁって。だから私は人に期待しない。そうじゃないと、傷ついてどんどん病んでいって、やっていけないじゃないですか?」

そう、繕った笑顔で語る。

彼女は大人なのだが、色んな情報をネットなどで調べ、「こんな相談窓口もあるんだぁ。って、色々電話してみたり、尋ねたりしたけど」電話費用や交通費だけでも赤字らしい。

「でも、Aに相談するじゃないですか?そしたらBを紹介されるんです。そしたらBは何処からここの窓口を知りましたか?と聴かれて、Aからというと、え?そうなの?と驚かれたり、そしてまたAに電話をかけなおしてと言われて…たらい回しなんですよ。でも、Aに相談してBに相談するように言われて、でもBはまたAにって…だから私、Cも自分で見つけたりしないといけない。同時並行に複数の窓口を自分で探さないといけない。正直、もう心も体もボロボロですよ?」

そう発言する彼女の表情は「孤独」だった。

「色んなところにも勿論、足を運んだり。でも、交通費とか結構するじゃないですか?チリツモで所持金なんてあっという間になくなりますよ?」

確かに…私も個人事業主で交通費だけで赤字になることもある。

「AやBだけでなくCやDやEといって沢山相談はします。深く問題を話すかどうかはおいておいて…。だって、何処にも解決方法がなくって、結構決まり文句というか、皆同じことを言うんですよね?でも、私からするとおかしいっていうか…だって、大人だ!ってことで自力でやれ!って結局はそうなるんです。もう泣きたくても泣けないんですよ!自分で出来るならもうやってる!って…」

彼女は笑って話し続けた。

「児童だったらこうやって色々とサポートはできるけど、もうあなたは大人なので…って。そうですよね…ってつい口に出ちゃうけど内心、だったら児童の時に助けてくれよ!って怒りも出てきますし、その人がお洒落な指輪とかネイルしているのを見て、いやいやいや…そんなお洒落する時間とか余裕なお金あるんですね!って笑えますよ。だって、困窮者である私とその人。見た目からして差があるんですし。目の前でその人から「ごめんなさいね。ホームレス寸前」だと言われて…あぁ、そうだなぁ~って。まぁ、ご自身が働いたお金なので言う権利もないんですけどね。でも、比べちゃいますよ…。」


「大人になって、虐待受けてきた側はしんどいんですよ。保護されなかった子どもたちは沢山いるというのに、大人になって社会へやっと!コミュニケーションがとれる状況になって、相談したら。大人なんだから自分でやってくれ!子どもだったらすぐ保護できるけど、あなたのような人を受け入れるところは無い!とか、自分で警察に被害届けを出して警察と相談しながらやっていってくれ、とか。もう…人を信頼して損したなぁ!って。叫びたくもなります!こんな言葉を言われるだけなら、こんなに深く話す必要もなかったな!って。話した自分に馬鹿野郎!って!」

彼女の笑顔が、心にぐさりときた。私自身、社会に出て、彼女と同じように解決策もなくて頭を抱える日なんて毎日だ。何でも気軽に話してください。あなたと一緒に考えます。一人じゃないです。って「嘘つき!」って私も何十回思ったことか…。私も「大人に頼ることを諦めた大人」のひとりだ。


「一人で悩まず相談してください!一緒に考えていきましょう!ってホームページに書いてあったり、他とも連携してますよ~って宣伝文句もすっごく上手なんですよ!なかなか話せないことを話して、で?その後、ホームページに掲載されている内容?そんなの嘘ですよ!全然、他機関とも連携してないですし、その電話くらいなら私だってできるわ!って突っ込みどころ満載すぎて、自分の心が壊れたんですかね?もう、コントなの?え、私…お笑いの舞台を見に来たの?って何度も思いました!連携とかじゃなくて、そんなのただただ名刺交換した知り合いレベルなんですから。」

「馬鹿みたい…」そう語る彼女の表情が暗くなっていく。

「コロナで収入も、働く機会もかなり減って、貯金もそんなあったわけでもないし、だから一人暮らしをしたいなって思っても敷金とか…そういうとこでもうすでにゲームオーバー!ネットカフェとか利用してますけど、結構高い。安いところはプライベートな部屋もなくて安心安全がなくて、僅かしかないお金を獲られないように!って気をはる必要性があるし、やっぱり個室で鍵付きってなるとまぁまぁなお値段して。考えますよ?自分の身を売ろうかな?とか、泊めてくれる異性を探そうかな?とか。結局、DV彼氏に後々なるんだろうなぁ~って想像はつきます。でも、それしかなくって。ネカフェにも色んな人がいて、よれよれのリュックサックを背負っている人とか、いかにも就活しているけど家がない人とか。とくに女性なんて荷物も多いし、ネカフェとかでなく夜遅くにそういう女性が駅の周りにいる!なんて普通の光景です。多くはないですけど。1日に1人は絶対いますね…。私とあわせたら2人。この前遭遇した人は荷物を4つくらい持っていて、生足だったんですけど、傷だらけ。たぶん持ってる荷物が重たくて、足にあたって痣になったんだなぁって。だって私も同じ経験してますし!知らない間に痣になってて、子どもの頃についた痣を思い出すこともありますね。」

夜の街には危険もあるらしい。

「おい!ホームレス!って叫ばれることもありますし、家ないの?って笑って茶化しにくる輩もいたり。男子高校生とか大学生の集団がきて、目の前で止まって、ジーッと見られて笑われたり。ヒッチハイクでなくビッチハイクって言われたり。慣れるもんなのかなぁ…どうなのか分からないですけど、最初はめっちゃ怖かったです。それにそう言われることが、つらくて。だって、自分でもそうだと分かっているけど、まさか自分がこうなるなんて思ってもなかったですし。でも今でも怖さはありますよ?けど、無視するしかない。そこで傷ついてはいられないですし。なるべくネカフェ代もうかしたいので、できるだけ夜遅く深夜に入って、だから深夜にうろついている人から怖い目にも正直遭います…。急に身体触られたり、唾をかけられたり、まぁ…色々ありますね。普通の人はきっとスマホを操作するのに手が震えるとかきっと無いと思うんです。冬ではないので。けど、私みたいに…行き場がないとか…先が不安というか…。そういう人たちって、スマホの操作している時、手が震えるんです。だから、お互いに黙っていながらも仲間だ…って思う。」


このままこの方の話しを聞いてていいのか疑問が沸いてきた。

「ネカフェにも色んなタイプの部屋があって、できるだけ横になれる部屋で一番安いところ。密室されてるからか開けた時…臭い!慣れたら鼻が慣れるのか、大丈夫になるんですけどね。慣れるまでが結構つらいというか…。でも寝れるスペースがあるだけですっごく幸せですよ。」


彼女には家族はいる。だけど家に帰れない事情があることは聴いていた。しかし、家に帰ることはあるらしい。


「家にも帰りますよ。お金にも限界もありますし、仕事道具もあるし、けど出来るならなるはやで家を出たいけど、私は家族と一緒に住んでいることになるので生活保護を申請するにも、家庭調査をされるというか。我が家は別にお金持ちでもないけど、貧乏なわけでもない。他の家族はちゃんと働いてるし所得もある。けど、私が出て行く資金はもらえない。でも、家の中ではまだ虐待?もう大人だから虐待って言わないのかな?…その辺り、私は分かってなくって。でも虐待を受け続けていると精神的にも限界はくるし、■■の恐れとかもあるし早く出たいけど、生活保護までたどりつけない。そもそも家族の資産とか調査されたら絶対に無理。生活保護って誰でもうける権利がある!って言われてるけど、一度申請したら実態が分かると思うし、なんなら全国民、申請してみて?って思います。支援なしで生保の窓口に行ってみてほしい。虐待がある家なんて、正直、とおりませんよ?だって、家族がそんなことは家庭内にはありません!そう言うもん。だから通らないですよ。DVの被害を受けている人の場合は、家庭調査をしないってなっているけど、本当ですか?しません!あなたのプライバシーなので守ります!守秘義務があります。なので、しません。そう言われていたのにもかかわらずですよ?言うんですよ?信じられるわけがない!信じて痛い目に遭う!公的ないじめですよ…。DVは世間的にも知られてきてるし、理解度はあがっているけど、大人の虐待は理解がまだまだないでしょ?」


彼女は昔からそういう行為を強いられてきた。20年近く受けてきている。シェルターの実態はどうなのか?


「一時保護的な場所はあるけど、私、フリーランスで仕事しているから出たり入ったりする必要もあるし、パソコンとかも使う必要がある仕事だからそういうシェルターには入れない。そもそも夫からのDVとかでもないので入れるところもかなり少ない。ないに等しい!民間も存在するけど、根掘り葉掘り聞かれ、二次被害にもあう。その瞬間、一瞬にして身体も思考も凍り付く。そしたら、自分の中で何も考えることが出来なくなって、大丈夫です…とか言ってしまう。民間で経営されている方って、あんまりそういう知識というか、経験をされていないから、言葉選びは慎重にしてくれるけど、あ…今の言っちゃ駄目だったって顔はされるんですけどね。こっちからしたら二次被害。民間に限らずそういう人は多いかな…。」

二次被害については私も沢山経験してきた。嫌という程傷つき、その後の自分の行動力を吸い取ってしまう。心の栄養素を吸収してしまう。心の栄養を一瞬でなくす、まるで農薬を頭から振りかけられた気分にもなる。

「もうこれ以上、傷ついたら駄目だ!って、二次被害が起きそうと思った瞬間、こっちからお断りする。傷つく前に去る!それで、あーあ…今日はネカフェにしようかな?…でももうお金もないなぁ…。って。あと、シェルターって、人からすると安心安全な場所かもしれないけど、入っても次のことを考えていかないといけない。すっごく不安ですよ?孤独ですよ?そしてシェルターを探してくれた人への罪悪感。この前なんかは、探してくれてその人が、「え?○○さんがいるところでしょ?私はおすすめしないわ…」ってもう一人の相談員さんと話しているのを聴いて、でも一応そのシェルターに連絡したら「あ、違う人だったわ。あの人はもういないのかも。理解のある人だったわ。」結局、そこのシェルターに入れることになって、とりあえずの荷物を持って向かったんですけど。話しの中で「明日、私と○○さんっていう人がここに来て、あなたのこれからのこととか考えていきたいんですけど、警察にも一緒に行くことも出来るし。警察に言うべき問題だと思うんですね。」はい!もうここで不安しかないです!だって、○○さんって名前…私はおすすめしないわって言ってたその人ですよ?そんなところでやっていけます?無理でしょ?「警察に」って言われた段階でこっちは固まってしまっているのに、そのうえ○○さんが出てくるなんて…思ってもいなかったですし。どんな人か私は直接話したことも会ったこともないし、勝手に判断したらいけないとは思ってはいるけど、「大丈夫です」って言ってしまう。そして必死で探してくれた方への罪悪感という名の荷物を背負うわけですよ。」

警察に被害を届けて、大惨事となることは私も経験でわかる。法律の知識もない彼らは「美味しい話(事件)」としか思っていない。小学校で「ウサギが逃げた!」ってくらいの感覚。好奇心で動く。全ての警察がそうではないとは分かっていても、過去に経験してしまうと、その恐怖のイメージが湧く。そんな中「もう一度信じてみろ」と言われて「はい、わかりました。そうします。」っていう方は少ないと私は思う。しっかりと知識や理解力のある方が同行支援してくれるならまだしも。

土足で入られ、心を踏みにじられ、フォローもされず、事態は悪化する。


「大丈夫です」と言った後はどうなったのか。


「駅に向かって歩いて、あぁ…何処に行こう…ここ最近、ずっとネカフェに居たり、外で過ごしたりしていたせいか、身体がもう疲れてて。眠れそうなネカフェに入ったんですけど、もうギリギリの生活だな…ってお財布の中身を見て、帰るしかないなぁっ。ほんと、相談してもどうにもならないことってあるんです。話すだけ無駄だなって思うことも。それでも、生きていくのに知識ある人とかそういう人がいるといないとでは凄く違うっていうのも分かっていて。でも、そういう支援する人がいない。本当に不思議でたまらないのが、ホームページに「医療機関等同行支援」って記載してある。医療機関等?この等?って何?医療機関しかしていないなら、医療機関オンリーって書くべきだし、期待させないでくれよ!って思うじゃないですか?それに、あたかも他の機関と提携しているような書き方。いざとなれば、提携していないことが分かる。よくもまぁ、そんな嘘を書けるな!って。だから、もう決めてるんですよ。期待しないって。期待するって決めたのは自分自身なので、決めた自分が悪いんです。でも、やっぱり期待はしてしまう。けど、その度に「やめなさい。期待をしてはいけない。何もない。あなたがどれだけヘルプを求めていても、それ以上の回答はないのだし。更に傷つくかもよ?」って。何度も何度もすり切れるくらい言い聞かせる。そしたら、笑顔が戻ってくる。うん、あー…一人でどう生きるか!さぁ、どうする?どう頭をつかって自分を騙そうか!って。もう…笑うしかないんです。泣くこともできないんだし。でも…本当は人前で泣きたいなぁって思いますよ?でも、出ないんです。一人で泣くことはあったんですけど…最近は……涙も出なくなってきたというか。だからなんだか自分でも危険な感じがして…泣ける映画を観たり…色々と工夫してはいるけど、心ってこんなに麻痺すると、ここまで落ちてしまうってことも分かって。でもまぁ…最近は映画を見る時間なんてないですけどね…色々と今の現状からどうしたら生きれるか…色々と調べるけど限界はきます……。」

通院には行っているという。けれど、主治医の相性が悪いことにも気がついたらしい。

「私から家のことは話したことはないです。話す機会もないですし、主治医は主治医で自分のことを薬を処方するだけだからって。だから、期待もしてないですね。したら傷つくでしょ?」

警察へ逃げることも考えず、被害を訴えることもなく、この方はいったいどうしたら休めるのか…。ただただ、私は「休ませてあげたい」とも思う。


「休みたいなぁって思いますよ?ネカフェって自分の家ではないので、本気で休む!にはならない。でも、無いよりはマシ。無ければ堅いコンクリートの上とか…三角座りして、ただただ朝が来るのを待って。スマホも充電することも出来ないからスマホとかあまり触れないし。でも、私はただ夜が好きで、好きでここにいるんです!アピールはします。じゃないと、変な人がやってくるから。仕事もしてますし、私は悩んでないです!夜の景色が好きなだけですから!って。強い人を演じる。でも、心はずっと震えてる。矛盾なんですよね…。どんどん心がすさんでいくのも分かるし、麻痺させていることも自分でも分かってるんですよ?」

外でも生活をしているってことだが、食べ物をどうしているのだろう。

「あ、最近!夜にすき家に行って牛丼食べました。ご飯があったかくて、そこに感動しました。値段的も…まぁ…ミニサイズにしましたけど」笑

彼女はその先も話し続ける。

「店内にいたのは私を入れて4人のお客さん。2人が先に店を出て行って、私はまだ食べていて。で、あの人食べ終わっているのになんでまだいるんだろ~…って考えながら食べていて…スマホも触っていないし、ただ座っている。暫くして私も食べ終わって、会計を終わらしたんです。そしたら、その後からついてきて…。いやぁ…若くないのにこんなんでもそういう相手になるんだ…って。いや、断りましたよ?でも、そういう風に見えるんでしょね…リュックも背負っているし…そういうホームレス的な存在に。だから、相手も扱いに容赦がない。そもそもホームレスのような人が警察なんかに被害届けを出さない…そう思っている人もいるんじゃないですかね?……これで断れないなら…すごい……問題にはなるなぁって。だから、今の若い10代とかに被害が出ているのでは?って。」


「結婚していたりしたらDV被害で逃げることは出来るんです。でも、子どもがいたりしたら色々と複雑な心情にもなると思いますよ?子どものために逃げるのどうなのか…ってきっと考えるだろうし。私は同棲生活はありましたけど、ま…顔面殴られて。あーあ…みたいな。結局は同じ連鎖の中に身を置いてるんだな…って。あ…私のようなまだ虐待のある家庭の中で生活している独身の居場所?そういうところはないです。あっても条件が高い。無職だったら今すぐにでも保護してくれる場所はあるけれど…でも、職を手放すわけにはいかないでしょ?天秤にかけました、勿論。今は何を一番にすべきか。優先さすべきか。でもね…自分であまり言うのは好きじゃないけど、大人になって頼ってくる子もいるわけで。その子たちと連絡がとれない。私がいない間、その子たちを守ってくれるんですか?私の仕事を引き継いでくれるんですか?はい、しますよ!って言ってくれるなら、安心してシェルターに入りますけど。そんな人いないでしょ?仕事しないと…不安だらけ。シェルターから家を見つけながら生保申請出せる。そして通るならいいですよ?そんなシンデレラストーリーあります?仕事が出来ているのに感謝や嬉しさはあるのに、少しだけ、ううん…すっごく!仕事をしている自分を恨みましたね…。」


私は過去に生活保護を受けていたことがある。はじめて申請したのは18歳の時。それも地元ではなく東京で受給した。すんなりと通ったけど貰える金額は「え?これだけなの?」って思った。そして(おそらく)ステップ・ハウスにお金は預けられた。

その後、親権剥奪する為に地元の関西に戻ってきたが、いったんそこで東京の生保は打ち切られた。「同じように申請してくれたら通るから頑張ってね」優しくそう言ってくれたお姉さんの言葉を信じ、関西で申請を行った。

…通らない。所持金なんてごく僅かで、一ヶ月も生活できない。そのくらいの所持金だった。同行支援がある中で、2回申請したが受理されなかった。申請したとしてもすぐに結果が出るわけでもない。2週間くらい待たされる。そしてその間の所持金は無くなっていく。今、生保が受理されるまでに所持金を持ち合わせていなかったら、それまでの間もお金を貰うことはできる…って記載はあるが、14年前はどうだっただろう。スマホではなくて、携帯電話の時代だったから、そこまで調べることも出来なかった。ネットに接続するだけ金額が加算されていく時代だ。

あったとしたなら…私は貰えていない側。

弁護士が受理しないのであれば、訴えます。そういう文章を最終的に無料で書いてくれて、やっと受理された。(無料といっても、「仕方なく書いた」が正解。そう弁護士から聞かされた。そして私がまだ未成年であったことが大きかったと思う。)

「生活保護を受けたい」と言っても、生保の窓口に通されないこともある。「こういう理由があって生保を申請したい。」そう言った時「あ、そうだったんですねぇ~。それを早く言って貰えたら案内できたんですけど、役所は17時までなので申し訳ないですが、今日の相談は終わってもいいですか?」そう言われて帰されたこともある。まず、はじめに「生活保護を受けたい。申請したい。」そう伝えているにもかかわらず、「早く言ってもらえたら…」。何の為に話したのか…。交通費をうかすために往復徒歩で帰った。

日を改めて行ったが「担当がお昼ご飯をとっていまして、午後からはすでに予約相談が入っていまして、日を改めてお越し頂いてもいいですか?」。

私自身、こういう役所の「スキル」を経験している。


「前に役所にも相談しましたよ。最初は親身になって話しを聞いてもらって、大変でしたね…一緒に何が出来るか考えていきましょ!って。でも、後から分かったんですよ。その方は生活保護の窓口の方じゃないことが。不正受給する人もいますし、生保なんて受理するものではない。拒否ってなんぼ!って感じですよね?役所って。私ももう限界だなって感じて…泣きながらもう家に帰りたくない…って言ったらなんて言ったと思います?「介護用のおむつをしていれば、そんなことされないでしょ?」その前は「生理だからって拒めばいいじゃない?」もう…クレイジーすぎてドバッと涙が出ましたね。私、どうしてこの人を信じて話していたんだろう…。こんな言葉を言われるなんて思ってもないし…、裏切りというか…、生きてること事態がおかしいのです!って言われた気がして…自殺しようとして…けど、朝スッキリと目を醒まして…あぁ…死ねてないじゃん…。って、自分に嫌気がさして。でもこう…思い出すと、私って生きている意味あるんですかね?」笑


生きる意味…。私は、自分自身の経験を通してみた時。こぼれ落ちてしまった誰からも救われない人たちをどうにかしたい。そう思う…。しかし、現実問題として受け止めた時、大きな障壁が沢山あることも浮かぶ。

まだまだ、立ち上がっている民間も腕がない。頭で理解しただけの「お役所チルドレン」がたくさんいる。当事者がいないのだから本当のところを理解できるわけがない。私がこの問題にひとり気付いて動こうとしても、何の力にもならない。だからこそ、多くの人との繋がりもいるわけだ…。

そして、ひとりひとりの声が大切になってくる。


「今まで通りの生活に戻るだけなので、大丈夫ですよ。」

そう…。結局は被害者がそう言ってしまう現状を社会は生み出している。

「大丈夫です」

この言葉は最終の挨拶なのだ。「大丈夫」この言葉には深い意味が込められている。そして、言ってしまった後悔の渦に自ら溶け込み、深海へと沈み、二度と浮き上がってこない。浮き上がるまでに相当な時間がかかる。


「大丈夫ですって言ったら、親身になってくれていた人たちも急に態度がかわって、「あ、大丈夫なんですね?もういいんですね?」って言われるんですけど、こんな言い方申し訳ないけど、その人の本当の心が見えるわけですよ。天使なのか、悪魔なのか。この世って悪が多いんですって…。これはとある人から聴いた話しなんですけど、この地球には天使が2。悪が8。の割合で存在しているらしくって、そのまた悪魔も天使の仮面をかぶっているそうですよ?その話しを聞いて凄く納得したというか…。そういう人がいるのも受け止めなくちゃいけないのかなぁ…って。相手に尽くしている時間、それを生きがいにされているのかなとも思います。その生き方は間違っているって否定とかしたくないんですけど、そうですね…表裏一体というか…。私には考えられないなぁ…って。せっかく人の為に働けているのに、何故そうなるかなぁ…って。でも分からなくもないというか…。自分たちが提案したものをこちらが蹴るわけですから。「勝手にしなさいよ!」ってきっと思ってるんだと思います。本当、申し訳ない…って気持ちもありますよ。ごめんなさい、ってすっごく思います。」


以前、実は…私はDVを受けている女性を緊急保護したことがあった。成人済の娘さんがひとり、そして未成年がひとり。母子3人で逃げてきた。警察は暴力行為があった事実はどうでもいいとのこと。私が18歳の時に駆け込んだ警察署だ。「はぁ…まだ進歩もしてないの?」って。結局、警察が介入することもなく私に連絡があり「どうしても他に逃げることが出来ないなら、受け入れ先がないって言うならば、サロンに暫く住んでもらっていいのでは?」とチームに提案した。暫くと言っても長くて1ヶ月くらい。そうしないと私もサロンでの仕事が出来なくなるから。他の人も利用できなくなる。

けど、命が最優先だと判断した。


そして、そこから生活保護の申請へ。けど…やはりお役所様だ。簡単には通らなかった。しかし、娘さんが障害を持っていることを明確にし、主治医にも診断書を書いてもらい、また母親も「就労不可」であるということも記載してもらった。主治医の地位もあってか、2週間後に受理された。

時々、顔をのぞきに足を運んだのだが犬が2匹。ずっとゲージの中に入れているせいかストレスが溜まって神経質になっていた。ずっと吠えている。

「あ!だめだめ!噛むのよ!噛むから怖くって触れないの!」

噛まれるくらい平気だと思っている私は、ゲージの中にいる子にそっと目の前に手を出した。するとぺろぺろと舐めてくれて「大丈夫よ~、怖かったね~狭いところでごめんね~吠えて喉かわいてない?疲れたでしょ~。ちょっと表に行こうか?」と言ってゲージから出した。リードも無くて、狭い玄関先の庭で少し遊ばせるだけしかしてあげることは出来なかった。吠えることもなく尻尾を振って、とても可愛い。

最長一ヶ月だと思っていたが、全然動く気がない。次の家も探していない。探すこともなく、自分たちの趣味をしていた。それはそれで全然構わない。たっぷり休んでもらうことが大切なのも分かっていた。けれど、サロンはシェルターでもないから、出ていってもらわないと困る。

暴力から逃げて、ホッとしている時期に「出て行ってほしい」っていうのは本当に悪魔だと思う。自分でもそう思った。

主治医いわく、「こんな家族を迎え入れてくれるところないですよ?奇跡としかいいようがありません。本当にありがとうございます。」そう言って、おでこを地面につけた。こんな光景…あぁ…見たくなかった。

それまでに私自身、ステップハウス・民間・公的・婦人寮と経験してきたが、確かにそんな簡単に一時保護はされない。実際に目の前の母子もそうだったのだ。警察に被害届けを出しても、一時保護されなかった。

きっと自治体によって異なるとは思う。

だけど…「ここのエリアはもう駄目だ」。


彼女が言う。

「もう限界なんですよね…。だから外部との接触を全て断ち切って、生きていくしかないな…って。諦めないといけないな…って。どこか一つでもそういう支援してくれるところと繋がっていると…つらいんですよ。人の思いって…、つらいんですよね。それに自分も甘えてしまいますし…。甘えというか、人の心とふれ合う…愛着とかそういうのとはまた違うんですけど。だから、もう全て断ち切ろうかなって考えていて…。実際、それですでに切れたところもありますし。■■■■■■■■■■かなって。ただそれだけで…。我慢して親が死ぬまで耐えていたらいいかな…って。耐えることくらい…慣れてるし、平気ですし!今までの生活に戻るだけです!感情があるからいけないんですよ。何も感じない心にすれば…大丈夫…。」


とてもとても重たい口調だった。

彼女は何度も「警察には行かない。被害届けも出さない。」と言う。私は警察に行けだなんて言えない…。でも、彼女をサポートする人がもう皆無だ。

「同行支援してくれる友だちはいますか?って聴かれるんですけど、友だちにも話したことないですし…。いやぁ…話したかな…でも、遠くに行ってしまって結婚もして子どももできて、独身である私は用なし…って。勝手に自分がそう思っているんじゃなくて、言われて。あぁ、そうだよね。ママ友同士がいいよね…って。昔、担任に話したこともあるんですけど…え?ちゃんと親子参観日とかにも来てたのに?そんなことする親じゃなくない?って言われて…。私を見てくれている人は本当にいないんだなって。たぶん、世間は面倒くさいんですよ。我が子が虐待によって亡くなった。なんでした?母親にかせられたのは…あれを見て、日本って虐待放置国だな!って。子どもですらそうなんですよ?そんなの、大人の私が戦えるわけがない。子どもであれですよ?性暴力ですら時効も10年?笑っちゃいますね…。何度も言っちゃうけど、私は警察には絶対に言わない。信じてもいない。役所だってどちらかというと敵なんです。でも…悔しいことに、そういうところから援助してもらわないといけない…。あぁ~…もう嫌になりますよね…。どれだけの人がいるのかな?どのくらいだと思います?私のような人が、日本にどのくらいいるのかなぁ…。」

絶望という言葉だけでは表すことはできない。心を言葉で表すことなどできない。私はそう思って心の耳で聴いた。

そして、何も動けない歯がゆさをかみしめながら。

「東京とか今、若い20代までを対象に居場所はあるらしいですけど、30を超えると何もなくって」

同感。

「でも、そういう問題を軽視しいている人が山ほどいるってことも。まぁ、若い人の心の方が大切だとかいう声も聞きますけど…それもそうだなって分かってはいるんですよね…」


「私のような人の声って…どこまで届いているのかな?事件やおおごとにしたいわけじゃないんです。ただ、居場所が欲しい。安心して安全で、これから先、次はどうしたらいいんだろう…って、未来に不安がない生活を送りたい。それだけなんです。そんな夢すら叶わない。いいなぁ…私も遊びたい。でも、最近はそれも思わなくなったかも!どう生きていこう。どう感情を抑圧させるか。どうしたら期待しないようになれるか。期待しないとか言いながら…期待してしまう。絶対にいけないことだって自分に言い聞かせてるのに…。でも、やっぱり期待しない。そう…そうやって生きるしかない。外部から遮断して、ひとりで生きていく。抱えながら生きていく。これが、私の道なんです…。」

震えていたと思う。さぞかし、つらかったと思う。何もできない現状。

もどかしさ。

「大丈夫です。」

彼女はその言葉を最後にした。



大人という生き物は平気で人を傷つける。私も加害者の一人にすぎない。助けることができない。その時点でもう「加害者」だ。

加害者であると分かっていないこともある。


ただ、私も思う。

ホームページやパンフレットに嘘を記入するのはやめて下さい。

ホームページとかただの表面上で、奥底にはちゃんとした理由もあるのだとは思う。けれど、人は外見で判断する。

ホームページやパンフレット、ポスターを見て「希望」が湧く。

なのに実際…そんな活動はしていない。連携していない。横の繋がりを強調しながらも蓋をあけてみるとなんて浅い付き合い。


数年で変わる社会とは思わない。長期戦なんだと思う。

虐待を受けて育った大人。ケアの無さ。大人というだけで扱いの雑さ。

虐待を大人になってからも引き続き受け続ける大人。サポートの無さ。大人ということで切り捨ては早い。とても早い。

虐待を受けている子どものケアも本当に出来ていないと思う。出来ていたのであれば、私たちのような問題を抱えた大人は誕生していないはず。人手不足すぎる。


「大丈夫です」この言葉は何よりも一番怖い。


表現的に使いたくはないが、

弱者は強者によって、更に弱者となる。

愛の受け取り方が分からないのが、私たち長期的に虐待を受け続けてきた大人の症状だ。


吐き出すところはあるのか…。きっと「大丈夫」という人には、そのような場所はないと思う。

抑圧された感情を吐き出すことも、吐き出し方も分からない。

そういう場所も無く、空理空論で対処される。

「大丈夫」

そう、私も口癖になっているかもしれない。


彼女からはその後どうなったか…連絡を待つとする。


Y.T.


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