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『しをかくうま』(九段理江)を読んで|馬の物語であり、言葉の物語

友人が、「今朝読み終わったばかり」と、九段理江さんの『しをかくうま』という本のことを教えてくれました。九段さんは、今年芥川賞を受賞したことで一躍有名になった新進気鋭の作家さん。ですが、私はまだ著書を読んだことはありませんでした。

その友人の語る読書体験は私を魅了し、「私もそんな時空を旅するかのような読書体験をしてみたい」と、『しをかくうま』を手に取った次第です。

別に「ぜひ読んでみて」と言われたわけではありません。ただ、友人がこの本を読んで自分の内側に沸き起こったイメージをありありと伝えてくれて、自分だったらそんなイメージが浮かぶのかを知りたくなりました。

この『しをかくうま』は第45回野間文芸新人賞受賞作です。内容をAmazonの商品説明より引用します。

疾走する想像力で注目を集める新芥川賞作家が描く、馬と人類の壮大な歴史をめぐる物語。

太古の時代。「乗れ!」という声に導かれて人が初めて馬に乗った日から、驚異の物語は始まる。この出逢いによって人は限りなく遠くまで移動できるようになった――人間を“今のような人間”にしたのは馬なのだ。

そこから人馬一体の歴史は現代まで脈々と続き、しかしいつしか人は己だけが賢い動物であるとの妄想に囚われてしまった。

現代で競馬実況を生業とする、馬を愛する「わたし」は、人類と馬との関係を取り戻すため、そして愛する牝馬<しをかくうま>号に近づくため、両者に起こったあらゆる歴史を学ぼうと「これまで存在したすべての牡馬」たる男を訪ねるのだった――。

Amazon商品説明より

小説ですが、まるで詩のような内容で、現代を生きる「わたし」と、初めて馬に乗った太古の人類(「ヒ」と「ビ」)との話が行ったり来たりします。

私は馬のことも競馬のこともほとんどわからないし、サラブレッドの交配や馬名をつけるときのルールもわかりません。とはいえ、この物語を理解するのが難しいのは、きっとそれだけが原因ではないでしょう。

にもかかわらず、物語はぐいぐいと読み手である私を引っ張っていきます。ギャロップ、ギャロップ。旧石器時代から現代、それから未来を行き来する物語の疾走感。どうしてこんな物語を描き出せるんだろう……。

「しをかくうま」は「詩を書く馬」とも「死を欠く馬」とも読めます。「死を欠く」は、一個体として不死の馬がいるという意味ではなく、馬という種の連綿とした流れのことを指すのかもしれません。いわば、DNAの乗り物。

『しをかくうま』は、たしかに馬と人の物語だけれど、私は「言葉(あるいは詩)」の物語だと感じました。

言葉はイメージや思想の後に来るもの(まず頭の中にイメージや思想があり、その後「言葉」としてアウトプットされる順序)と思われがちですが、言葉こそがイメージや思想を象るものではないのかな、と。

自分の脳内にあるイメージを言葉にして他者に伝えようとするとき、100%そのままを伝えることは不可能です。何かが削ぎ落されるし、零れ落ちてしまいます。言葉にすることは、イメージに輪郭を与えること、すなわち、断定する行為だから

それでもできる限り正確に伝えたくて、適切な表現を選び、文章にすることを諦めないでいると、まれにそれを受け取ってくれる相手が現れます。

ヒは目に見えず手に触れられもしない、在るか無いかも定かではないものについて他人と話し、分かち合うことによって、それが自分の頭の外にもたしかに存在し得る何かだという確信を得たかったが、実行するだけの適当な話し相手はついぞ見つけられないのだった。

『しをかくうま』p.35より引用

私たちが誰かの書いた文章を読んで、「ああ、この感覚、知ってる」と思うとき、「自分の頭の中にあるものが、自分じゃない人の頭の中にもある」と実感できるから、うれしく感じるのかもしれません。

もっと正確にいうと、頭の中のイメージの相似性というより、輪郭の与え方=言葉の選び方にシンパシーを感じている気がします。

そして、既知ではなく未知のイメージに出あえるのも文章を読む喜びです。言葉を通して誰か(同じ時代に生きている書き手に限らず、太古の人類かもしれないし、未来に生きる人かもしれない)のイメージを追体験し、反芻するのは、とても豊かで、広がりのある時間だと思います。

『しをかくうま』を読み終えたとき、私自身は部屋から一歩も出ていないのに、時空を超えて、長い距離を旅してきたような気持ちになりました。

読書の後、ほどよい疲労感からか午睡をして、長くゆるやかな山道を自転車を漕いで移動している夢を見ました。馬の背に乗って駆けるような疾走感はないけれど、風を感じ、流れる景色を眺めながら移動する夢は、間違いなくこの本がもたらしてくれた夢だと感じました。

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