【毎日習慣】死と隣合わせで生きている
子の成長を祝う日に、この話題について触れる必要のない時代の到来を、こころから願っております。
2022年の小中高生の自殺が過去最高を更新して、把握されているだけで512人らしい。
毎朝、朝のあいさつのように希死念慮に襲われて軽率に「死にたい」と考えるうつ病の人間にとっては、他人事ではない話だ。
症状がずいぶんと緩和して、冷静になったから死ぬことを諦めただけで、一線を越える判断を、わたしもした可能性はある。二度と治ることはなく、欠けた生命力をだましだまし引き伸ばして生きていくのだろう。
たとえば、不登校になっている子どもの精神状態が「うつ」ならば、脳内思考はすべて死に直結する。
学校に行きなさい→行きたくない→死のう
勉強しなさい→休みすぎて授業についていけない→死のう
将来そんなんでどうするの→将来なんて知らない→死のう
どうしてそうなっちゃったの→よく分からない→死のう
兆候は必ずあって、生命維持に繋がる何かを断ち始める。
わかりやすいのが、「睡眠・食事・風呂などの身だしなみ」だ。生命維持のために必要な日常生活の最低レベルを怠り始める。そうなると、死にたい気持ちは加速していく。
こんなこともできない。あんなこともできない。自己否定の攻撃は他人に向くか、自分に向くかの、2択だ。
その攻撃的な言葉は、必死のSOSで、悲痛な叫びなのだと思う。
「病院に行こう」「自殺防止センターに相談しよう」そんな前向きな生きるための行動は、もはや考えることもできない。
かろうじて生きていて呼吸しているだけの、屍になる。
そうなる前に、助けてあげてほしいと思う。ひとはひとりでは生きていけないけれど、うつ状態の人間は生きることを放棄しているから「生きたい」という願望がない。「死にたい」というのも願望で、最後の力を振り絞っての行動が、自殺に至るのだと思う。
自律神経がイカれるとあらゆることが困難になる。睡眠障害、感情コントロール、動悸息切れ、手の震え、被害妄想とか不安障害、疑心暗鬼、体温調整、拒食過食、吐き気とか頭痛とかもあるかな。
自覚症状をあげてもきりがないけど、ひとそれぞれ症状は異なる。とにかく、不調となる。
健康な脳みそじゃ、理解できない異常な状態になる。
通過していく電車、高いビルの乗り越えられそうなフェンス、「もし、いま行動したら」の、死の誘惑が手招く。
どうやったら、死ねるのか。頭のなかが一色に染まり、ただ命を断つ方法を考える。それが、重症な状態。
いまは、死ぬことを諦めたからどれだけ醜かろうが生に縋ると思ってるけど、それでも寝起きのぼやけた思考回路は目覚めスッキリを感じさせてはくれなくて、「死にたいなぁ」と、漠然と思い浮かぶ。
眠れないなんて、しょっちゅうだ。わたしは、だいぶ生活サイクルを戻すことを諦めている。
それでも、改善された。今年になってから、活動的になっているけど、それも4年くらいかかっている。ひとりでバスに乗って、誰かに会って帰ってくる。それが、どれほどエネルギーを消耗するか、そんな毎日行動する当たり前すら、失われた。
世の中のほとんどの親御さんは、うつじゃないと思う。その苦しさを、すべて分かってあげることはできない。わたしだって、同じうつと診断された患者さんと症状が違うから、理解してあげることはできない。(あと、わたしも頑張ってるは、何のこころの支えにもなりませんのでお気をつけください)
でも、苦しんでいることは確かだと思うんだよな。
まずは「何もできない」ことを認めてあげることが大事だし、やりたいことがあるのなら(それが現実逃避でも←これならできるを確かめている確認の可能性もある)、それは生きる希望となる。
死ぬことを諦めさえすれば、とりあえず生命維持の最低限は頑張れる。それから、徐々にできることが増えていくのが、理想的だ。
わたしよりも年若い小中高生が、自分の状態をうまく親や先生に説明できるとは思えない。だから、子ども自身が生きることを放棄していても、「生きていてほしい」と伝えてあげることは大事だ。
壊れたこころは元には戻らないし、生きづらさは増すけれど、まずは「死なない」と思えるようになるまで、休むこと。
それを理解してあげられる家族や先生、友達の協力がないと、自殺の連鎖は止められないと思う。
死は、ひとを引っ張る。身近な好きなアイドルや芸能人の自殺報道は、特に魅力的に目に映る。
ただ、こんな状態のわたしでも助かるいのちはあったと思うから、どうかまず冷静になってほしい。
生きることは、とても楽しい。
春休みなどの長期休み明けなどは危険なので、どうかひとりでも多くのいのちが助かりますように。