2冊目は西岡常一棟梁の弟子の小川三夫さんの本だ。
小川(以下敬称略)が弟子になりたいと言った時、西岡には断られている。西岡棟梁の本から見てみよう。
現場が今は無いからという理由で、西岡は3度、断っているのである。
毎年、法隆寺を、何万人の高校生が見ることだろう。私も、法隆寺を修学旅行で見た1人だ。でも、そこで法隆寺を建てた職人に心が反応したのが、小川だったのだ。どうやったらそんな大工になれるのかわからなかった小川は、リュックをしょって奈良の県庁に行き、文化財保護課で法隆寺に聞いて、西岡という宮大工を紹介された。
そこで、西岡は小川に紹介状を書いてくれた。
その後、紹介状はあったものの、東京の霞が関の文部省では、腕に技術も無いし、建築のことも何も知らないのだから、せめて一年でもいいから鑿、鉋を使えるようにして来てくれ、そうしたら現場を紹介します、と言われ、栃木に帰った。その後、東京の家具屋に就職するも、すべてが機械が板を裁断し、貼り付けていく作業の点検のみ、20日ほどでやめて、次は仏壇屋に就職し、初めての徒弟制度を体験する。
この三冊を通して読んで、一番印象に残っていたのが西岡棟梁の達筆の手紙のことだった。
しかも、その手紙は弟子になる前の、いったい何者だかわからない、高校生の時に一度会っただけの青年に向けられたものだ。(すでにその達筆の手紙のところで涙腺が決壊( ^ω^)・・・)
今、ここに引用した(地)の本は15Pまでで、19Pから50Pまで、写真と文字起こしされた西岡棟梁の手紙の文章が綴られている。
この本を続けて読む面白さは、西岡側からの小川の印象と、小川側からの西岡棟梁の印象が読めることにもある。
小川がついに西岡に弟子入りした時、すでに22歳になっていた。
(もはやあらすじですw。皆さん、ホンモノの本を読んでください💛
つづく・・・)