雪の降る青森に来て、観て✧♡①
全国を巡回しない、青森県でだけやる奈良美智展を観てきた。
昔、書いたブログの記事を引用して、数回に渡り、この展覧会について書いてみることにする。
「世界的アーチスト」
姉の幼馴染に世界的アーチストがいる。
奈良美智氏は姉の小学校からの同級生である。
私は姉の3歳下なので、小学生の頃から彼を知っていた。低学年の私が、3歳上の上級生のところに行くと、
「ああ、くるみの妹ね?」と上級生がみんな優しかった。
なんか得した気分だ。姉はクラスのリーダー的存在で、クリスマス会か誕生会か、姉のクラスのみんなが家にやってきた。
奈良君は、母の作った太巻きに、全部タッチして、
「べろつけた」と言った。
うわ、この人面白い。
姉の沢山のクラスメートとは群れてない、いつも一人でにこにこして離れて存在していたイメージ。
そんな奈良君と再会したのが大学生の時。
弘前大学に、名古屋の愛知藝大を卒業して地元の青森に帰ってきた先生がいた。絵画の岩井康頼先生は30代。十和田市出身である。
ある夏、同じく、愛知藝大に行った奈良君が、自分の先輩を訪ねて弘前大学に遊びにやってきたのだ。弘前市には奈良君の実家もある。
岩井先生は、青森県出身が、珍しがられ、皆から青森って呼ばれていたらしい。その後に愛知藝大に入った奈良君はそのあだ名を継承して青森って呼ばれているのだそうだ。
俺は青森県から来ているから、小屋に住んで、畑を作っている。
しかも、青森から来たということを強調するために、わざともんぺをはいている。部屋にはあらゆる種類の珈琲が揃えてある。
ブルーマウンテンとかキリマンジャロを想像していると、
「すべてインスタントコーヒーだけどな」と笑う。
近所のおじさんおばさんが話しかけてくるようになり、次第に彼が青森県から来た大学生で、畑を作ってもんぺを履いているキャラが確立してくる。
すると奈良君は次のような話をする。
「青森県は、何でも遅くて、紅白歌合戦は大みそかの夜ではなくて、
次の日、放送されるんだよ~」
近所の人は、みんなそれを信じていたらしい。
ほんとっぽい嘘にみんなころりと騙されている。
色々なことを思いつく面白い人なのだ。(この話は本当?w)
そこに、同級生の妹がいたということで、とても親しくしてもらった。姉と同級生の奈良君は、私にとって兄貴分で、彼のことを「ナラ兄い」と呼んだ。ある時、岩井先生と、奈良君と私の同級生M君と、私と4人で並んで写真を撮る。当時、写真の講習があったばかりで、自分で白黒写真を撮り、自分で現像した。
奈良君は、
「この4人の中で誰かが後で有名になったら、左から2人目とかって本に載るんだろうな」
と言った。この写真がわざわざ何かに採用されることはないけれど、このセリフはのちにホントになる。
奈良君がいた一週間か二週間、弘大の美術科に毎日のように来ていたので、けっこう行動を共にしていた。奈良君はM君ともなぜか意気投合していたし、私のデッサンに口を出したり、観たい映画があるからと、誘ってくれたりした。
その映画は原田知世の「時をかける少女」である。
暗闇の中で、二人でチョコレートを分け合って食べた。
「あやのんちゃん、時々、びくっとしてた!」と笑った。
奈良君はM君に「あやのんちゃんは、お前のこと好きだよ」とも言っていたらしい。
ほんとうは、姉が弘前にいたら、姉と奈良君は行動を共にしたかもしれない。でも、姉はすでに就職して下北で小学校教師をしていた。
奈良君は美大に2回入っているし、同級生たちと全然違う時間を歩いているように見えた。
同級生がどんどん大人になり、社会に就職していく。
自分はまだまだ学生っていう宙ぶらりんの状態で、という寂しさとか焦りを厳しい表情に時々見せた。
映画を見た後、原田知世ちゃんの可愛さに突き動かされて、100号キャンバスを2枚張ったと聞いた。
アイドルの可愛さまで、ばねにしてしまうとは、どれだけ絵を描くことにエネルギーを費やしているんだろう?
のちに奈良美智が有名になった時、弘前のレンガ倉庫に原田知世さんが展覧会を見に来ていたと聞いた。
凄いな、スターとファンが逆転してしまっている。
油絵具に負けてぐずぐずしている私よりも、学年の先を走っていくM君とは、話があって、次の夏休みに来た時は、二人は2人展をやることになっていた。
「Mはいい仕事をするようになった」とほめていた。
それが私は面白くない。なんで二人で二人展をやることになっているんだろう。二人はいつの間にか絵を描く同志みたいになっているのに、私はいつまでも、妹分のままだ。思い出してみると確かに私はM君のように積極的に作品を創り出していく主体的な人間ではなかった。(今もだ。てへぺろw)
やはりM君に一歩も二歩も遅れている。
名古屋に帰った後も、時々、手紙やはがきが来た。
ライブハウスでシャウトしている写真はがきだったり、自分の大学の授業の時間割が書いてある手紙だったりした。
始まりはかならず、
「あやのんちゃあああん!」
と、呼びかける言葉になってる。
それは本当に私にあてて書いているのか、自分のココロの中の少女に向かって書いているのか、独り言のような不思議な手紙だった。
その後の絵に出てくる不機嫌そうな表情の女の子の絵を見ていると、不条理な世間と戦う少女っていう存在が、大事なモノなんだろう。
少女だけど、自画像で、自分を描いているように見える。
奈良君の手紙には、美術の予備校で講師をしているけれど、今からドイツに留学すると書いてあった。
ドイツで、言葉の通じないところで、美術を学ぶのだと。
「ブルー・ジャイアント・シュプリーム」という漫画を読んだ時、奈良君のことを思い出した。
主人公の宮本大が日本を出て、ヨーロッパのジャズをやるためにまずドイツを選んだこと。言葉の通じないドイツの街で皿洗いしながら絵を描いていた奈良君と大が重なる。
ドイツに行って何年が経ったのだろうか。
そんな奈良君の作品に、東京にある現代美術館で突然、出会った。
漫画から生まれた美術っていう展覧会で、漫画の展示から始まった展示は、最後は、その影響を受けた若い作家たちの絵の展示で終わっていた。
そこに、奈良美智の作品があった。
うわあ、本当に、作家になったんだ。
私は、感動しながらその絵の女の子の横顔を見つめた。(つづく)