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目に見えない世界②「人間のココロ」
自分が心理学を知って、なぜ、教師としてホッとしたかというと、思春期は、壁を求めて、大人にぶつかり続ける時期だということを知ったからだ。
若い教師にはとかく自信はない。
この子は自分のことを嫌いだから話を聞かないのかと思ってしまうとそこで、自分が落ち込んで終了となるが、思春期は、大人にぶつかり続ける時期で、その時期に、肝心のオトナがしっかり壁として彼らを跳ね返さないと大変なことになってしまうと知っていたら、冷静に、対処できる。
人間だから、虫が好く、虫が好かないというのはあって、自分に意味不明につっかかってくる子供の行動に、傷つくこともしばしばだったが、壁を求めていると考えると、そのことに耐えられる。
心理学と言う学問で、そういうことを知っておくというのは、若い教師だった自分には、大いに助かるものがあった。
実際に中学校教師をしていた時に感じたのは、学校でいい子である子は家では不愛想で、親につれないこともある。
反対に学校で暴れている子供は、家ではいい子を演じていたりする。
不思議だなあと思う。
生徒のことをいろいろ知っている教師としては、お宅のお子さんはいい子ですよと言って親を安心させてあげることが重要だと思った。自分の子供だけしか知らない親御さんは、ちょっと自分の子供に不安を持っている。
でも、それで普通ですよと教師はアドバイスできる。
そして、河合隼雄氏の本を沢山読んだ中で、いくつか印象に残ったフレーズがある。
問題児とは、親に問題を提出している子供である。
不登校、暴力、などいろいろな現象があるけれども、そういった子供は親の代わりに、家庭に問題を提出しているということ。
それを親は一緒に受け止めなければ、解決はしないだろう。
そして、それは、親だけでなく教師がダメな時にも、生徒は噛みついてくるものではないかと思う。
私も、自分がダメな教師だと認めることが一番きつかったが、一番納得できたのが、なぜか、犬のしつけの本だった。
「ダメな犬はいない」というタイトルの本で、犬がダメなのは、飼い主のしつけがなっていないからだ、という本だった。生徒を犬に例えるのは失礼だが、この本で、自分のダメなところがわかった。飼い主にもっとちゃんとしてほしくて犬は噛みついたりする。確かに、自分は、ダメな飼い主で、ダメな担任だったなと気づいたのである。
自分の考えが変わると、現象が変わる。
自分がダメな教師で、クラスが全く言うことを聞かない崩壊をしたときに、ある少年と、向き合って話をした。
私は、次第に自分のダメなところを、なぜ、ここまでこじれたかを知っていたので、その少年に、次のように言った。
「ごめん。先生は、君のことを悪く思い過ぎていた。」
一回、彼が、ずるいことをしただけで、彼はもうそういうしょうがない奴としてずっと見てきた。そうしたら、彼がほんとうにそういうしょうもない奴になっていったのだった。
色眼鏡でみたら、相手も、そんな風に期待に応えるというのか。
ピグマリオン効果が、相手に対して期待をすると、その期待通りになるという心理効果なのに対し、「ゴーレム効果」は相手に対して期待できない、見込みがないと思っていると、本当にその通りの悪い結果になってしまうという効果のことです。
彼は、ハッとして、嬉しそうに言った。
「だべ、先生は、俺のことを、とても悪く思いすぎていたべ」
その瞬間は、彼との長い誤解が、互いに解けた嬉しい瞬間だった。
教師のメンドクサイところは、生徒のココロという定規杓子で割り切れないものを扱うところだと思う。自分とよく似た生徒のことはよくわかるが、自分と全く似ていない生徒の思考回路は、正直、謎である。
しかし、そこに心理学と言う学問が入ってくることによって、ある現象を客観視できる。(思春期という心の中に嵐が吹き荒れている時期等…)
特に、私は河合隼雄の話す「ユング心理学」に深く傾倒していった。
ユング心理学がどういうものか、ここで語れと言われても、うまく説明できない。しかし、ある人の夢を見て、その人に偶然、電車の中で出会うという現象に、シンクロニシティ(共時性)という言葉を与えている学問だということだけを知っている。そして、それが凄いと思った。(つづく)