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淡々と生きる✧♡
肩の痛みをいいことに、読書三昧の日々。
健康だと、家事のロワイヤルもなんでもできるけど、カラダのどこかが、ぴきっと痛いだけで、本当に、何もする気がしないものだ( ´艸`)。
今年の6月から始まる読書会の課題図書を図書館から借りてきて、7冊中、4冊は読破した。残りの1冊は、私の推薦本だから、あと、2冊読めばいい。
「お探し物は図書室まで」青山美智子
「三千円の使いかた」原田ひ香
「六人の嘘つきな大学生」浅倉秋成
「ひきなみ」千早 茜
どれも、なかなか面白かった。記憶力には自信が無いので手帳に、感想を書き終えてホッとする。
ついでに、小林正観さんの本も借りた。
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借りてきた本の中で真っ先に読了。読んだことのある話も読んだことのない話も、両方あって、正観さんの本は、1年に何度もされていた講演のように、ある指針をもとに、少しずつ変化して描かれているのかもと思った。
出会ったどの本も素直に読んで行こうと思う。
今回の本は60代になった正観さん(享年62)が「淡々と生きる」ということをテーマに書いている。印象に残ったことはいろいろあったけれど、最も印象に残った文章が、そのまま表紙をめくった「そで」に書いてあった。
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正岡子規と、天皇についての描写が、とても心に残ったのだが、表紙をめくったところには、正岡子規のことが。裏表紙のそでには、天皇のことが書いてあった。やはり、この2つの文章は、この本の肝だったのだ。
そのまま、ここに抜粋します。
表紙のそでの文。
いつ死んでもいい、いつでも死ねる、生きることに執着はない
ーというのは、ある程度勉強した人にとってはそういう
気持ちになれるものです。私もその程度のことは言っていました。
正岡子規の言葉は、そういうタイミングで届けられてきたのです。
「悟りとは、平気で死ぬことではなく、平気で生きることである」
つべこべ言わないで平然と生きること。淡々と生きること。
それが悟りである。
このひと言にはすごみがありました。
それがドーンと響いてきたのです(本文より)。
正観さん自体、とても体調が悪く、人工透析などしながらの講演、執筆活動をしていた時に、正岡子規の言葉に出会う。平気で生きると正岡子規は書いているが、七転八倒するぐらいの痛みに苦しんでいる時に、そう、書いていたのである。
自分がこの世を去ろうと言う時、どのような病になっているかはわからないが、病に苦しむ時、淡々と生きると言えるだろうか。
今も、肩が痛いだけで弱気な私。
裏表紙のそでの文。
天皇は、一月一日早朝に起きると、
東西南北の四方に向かってお祈りをします。
「今年もし日本に災いが起きるならば、
まず私の身体を通してからにしてください」
天皇のひと言は、私の心を強烈に揺さぶりました。
世の中にそんなふうに考えられることがあるのか。
そんなふうに考える人がいるのか。
人間の魂や心が、そんな崇高な状態になれるのか。
六十年の人生の中で、これほどショックだった
ことはありません(本文より)。
天皇は、日本を守る神官なのだろうと、ぼんやりとは思っていたが、この本を読んで、やはりそうなのだと知った。
西洋社会の王政と、日本の天皇制は全く、別物なのである。
そして、そう祈る天皇が被災地を訪れる姿の重みは、やはり政治家達とは、全く、違うものに見える。
この話を知った後、正観さんは、とても自分はそのような崇高な境地にはなれないが、いつも自分を取り囲んでいる楽しい仲間に、代わりに自分の命を差し出すことは、可能だなと考えてみた。
してみると、長女である自分の子供の障碍は、数十年にわたって、平穏な小林家を続けるために、身に引き受けたのではないか。
そして不思議なことに、仲間のために自分の命で肩代わりはできると思うようになってから、なぜか病状がどんどんよくなってきたのだそうだ。
この他にも、空海は釈迦の生まれ変わり(あの空海の活躍からして、さもありなん)、そして釈迦の生まれ変わりという高橋信次さんの書いた釈迦の本の話など、自分の興味をかき立てる話が沢山書いてある。
いつか手に入れて、何度も繰り返し、自分の聖書にして読みたい本だと思った。編集部よりというページに、平成23年2月に企画されたこの本は、同年の10月の作者の訃報により、一度、取りやめも考えられたが、こうして出版され、手に取ることができた。
読書会の課題図書を借りに行った図書館で、偶然、借りることが出来た。
わたしゃほんとに運がいい✧♡
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