キタキタ高校物語㉔夢違いの行方
前回までの「目に見えない世界」を書いている時に、1500字で収めようと思っていたのに、なかなか収まらなくなってきた。どうしても2000字を越える。
今まで割と気楽に文章を書いてきたのに、ここ何日間は、あーでもないこーでもないと、四苦八苦。
この話はこの順番でいいのか?どこに落ちるのか?
ある記事を書いた時に、3333字とぞろ目が出た!
これがなんだかいいことのような気がしたので、どうせ、3000字越えるなら、3333字にしてやれ!と、自分で設けた字数で、後半を書き続けてた。
こういうぞろ目も目に見えない世界からのメッセージかもしれない。
そのおかげで、いつも朝には投稿が終わっていたのに、就寝時間がずれこんだりいろいろして、午後の14時過ぎに投稿とかが多くなり、もう、マジメに絵を描く時間とかないw。何しているんだろうな自分、と思いつつ、どの記事も大事だけれど、特に大事な記事だった。
書いてみると、いろいろなエピソードを思い出し、普段忘れているだけで、不思議なことは身の回りにちょくちょく起きてるなと気が付いた。
愛犬や、懐かしい人達を思い出して、すでに自分はお盆気分です。
字数制限があると、文の推敲が厳しくなり、ここ要らないんじゃ?とカットしたり、結果、読みやすくスッキリした。字数制限、大事かも。
さて、法隆寺に夢違い観音というのがあって、悪い夢をいい夢に取り替えてくれるのだそうだ。聴子さんが、2人の夢を取り替えた。互いの立場に立ってみるとか、いきなり相手の心の中に入ることになる。
書いてみると、凄い、荒療治だ。
イギリスの中学校の授業に演劇が入っているけれど、互いの人種や思想を越えていくには、大切な授業だと感じる。ディベートも自分の意見を脇に置き、賛成か反対かどちらかの立場に身を置いて、その意見の立場に立ってみるという他を経験する体験だと思うが、どこかゲーム感覚で、演劇ほど、違う人間を丸ごと体験するって言う風にならない。
演劇をやったことはないけれど、オモシロそう。
VRも、本当に体験したぐらい脳が錯覚するという本を読んだが、本当に洗脳したり、ゲームの中で生きたり戦争したり、その世界に生きてしまう若者がいるのも本当のことなんだろう。
かといって、noteの世界で、コメントやスキをやりとりするのは、バーチャルかというとそうでもない。
なぜなら、現実世界では、いきなり自分の意見や表現を突然むき出しで提出することなど、ほぼない。相手の外見と人となりを知って、少しずつ近づいていくはずの人の出会いが、創作物(記事)で、いきなり、心の中から出会うわけだから。その人の表現がスキだったら、かなり、その人と友達になれる可能性がある。ブログは面白いツールだ。
目視くんは書生くんの見た目に、ドン引きで、忌み嫌っているが、人は見た目は9割という本の通り、外見には、やはりその人が表れてしまう。
佇まい。演劇とかダンスで大事なもの。
好きと嫌いはちょっと表裏の時がある。
嫌いと思っているけれどすこし気になっている。
好きなものに幻滅して一瞬で嫌いになる。
ゲイにキビシイうちのダンナを見ていると、ほんとこの問題は根深いと思う。寛容かと思っていた自分も、スカートが全く似合わない男子がスカート履いて出校しているのをテレビで見て、お前、なに勘違いしとるんじゃ!と速攻、攻撃していた。
むむむ( ^ω^)・・・。目視くんと変わらん。