本を作ること(14年くらいのふりかえり)
3月3日、庄内にあります犬と街灯さんにて歌人の牛隆佑さんが企画する「牛と街灯5」にてトークイベントのゲストに呼んでいただきました。本を作り始めた頃の話から今まで刊行してきた本の装幀の話を中心に、本を作る理由や、出版社から詩集を出したいという夢についてなどなどいろんな話をさせていただきました。三日間店長の牛さん、犬と街灯店主の谷脇さん、お越しくださったみなさま、ありがとうございました!とっても楽しかったです。
自分の活動を振り返るという機会があまりなく、うまく話せるか不安が募りすぎて話したいことを前日と当日の道中にnoteへ書き留めていました。トークイベントの中では話しきれなかった細かいところを補填できれば幸いです。トークイベントの文字起こしを終え、そこからうんうん悩みつつ書いたものが「牛さんとのトークを終えて」の章からです。「何か作りたくなるもの」が私にとって「よいもの」なので、何か作りたくなる人がいればいいなと願いつつ。長いですがお付き合いいただければうれしいです。
【トークイベントアーカイブ (合計1時間ほど)】
※2024年3月17日までご視聴いただけます。
【文字起こし】
15000字ほどあります!
※無断転載はお控えください。
はじめに
2010年の終わりに『別の星から降ってきたみたいだ』という一冊のzineを作ったことから、2024年現在に至るまでおよそ30冊ほどの本のかたちをしたものを作ってきました。それはいわゆるzineだったり私家版詩集や自費出版物と言われるような物です。自分で原稿を作り、デザインをして、入稿をして、営業をしたり、発送をしたりしています。この活動について今回歌人であり三日間店長である牛さんと一緒にお話をさせていただく機会をいただきました。自分の活動を記録することにあまり頓着がなく、これまでほとんど振り返ることなく作り続けてきたので、思い出したり確認していると、来た道が愛おしくなったりしました。一言で言ってしまえば、たのしいから続けてきました。そしてたのしいので、これからも続けてゆきます。という話です。どうしてたのしいのかと言うと、読んでくれる人に出会えたからです。つくったものを読んでくれた人によって今の自分が出来上がっていると言っても過言ではないので、改めて御礼を言わせてください。作ったものを読んでくださった方、手にとってくださった方、感想をくださった方、大事にしてくださっている方、ほんとうにありがとうございます。感謝しています。
写真の上段、中段の本は犬と街灯さんのオンラインストアでも手にとっていただけます。2016年刊行の『めいめい』が全巻揃っているのは犬と街灯さんだけです!
忘れたくないから綴じたもの
では、初めて作ったzineのことから。2010年の終わり頃に『別の星から降ってきたみたいだ』というzineを作りました。当時20歳の写真学科に属する専門学生でした。zineという媒体のことを知ったのは数年前、まだ十代の頃、立ち読みした雑誌STUDIO VOICEで写真家のMark BorthwickやRyan McGinleyなど海外の作家がポートフォリオと写真集のあわいの冊子を作っていることが取り上げられていて、高校生の頃から写真を撮っていた自分は「こんな風に写真集を作る方法があるのか!」と感動したことを覚えています。その後、当時心斎橋アメ村にあったスタンダードブックストアで実際のzineを手に取ったり、写真家の植本一子さんや伊丹豪さんが作っているzineを通販で購入したこともあります。写真のzineは大体A5サイズで、ラフに作られているけれどその作家の世界観に没入できる特別な入り口みたいな存在でした。
『別の星から降ってきたみたいだ』通称『別星(べつほし)』は高校生のときに小さいデジカメで撮っていたスナップ写真と当時のガラケーにメモしていた言葉たちです。本は好きでしたが詩を買いたり読んだりすることはなく、ただ忘れることが惜しくて心の機微をメモすることが高校生の時にはすでに癖になっていました。そんな十代の終わりに見ていたもの、感じていたこともだんだん同じようには見えなくなり、感じられなくなっていることに気づき、時々高校生のときに残したものを眺めることがありました。その頃、卒業制作でかなりまいっていて「写真は自己表現じゃない」という講評の言葉が高い壁となって視界に影を落としていました。表現したいこととは?写真とは?ものを作ることとは?私は何を伝えたいのか?何がしたいのか…。物心ついてから何かしら作ることをしてきたひとりの人間として問の大きさに初めて押し潰されたんだと思います。自分の中にある一切が疑わしくなり、自分が作ったものや選んだものがしょうもないものにしか思えない日々の中で、確かにうつくしいと感じるもの、大切にしたいものを探していました。高校生のときに見えていたもの、感じられていたことは揺るぎなくそうであると思えたので、何度も読めるよう本のかたちにすることにしました。中綴じの面付のやり方を調べて、家のプリンターで印刷して、ホッチキスで綴じたそれが『別星』です。
その世界との出会い
zineを持って向かったのが当時中崎町のサクラビルにあったzine専門店であるBooks DANTALION(2009年開店)です。店長の堺さんに読んでもらい、お店で取り扱っていただけることになり、ダンタリオンとzineを介してどんどん人に出会ってゆき、夢中になってゆきます。2013年に閉店してしまったのですが、閉店するそのときまでとてもお世話になりました。このときのことが無かったら、作ったり書いたりすることをどんな風に続けていたのか想像できません。
zineのイベントを企画したり、zineの部活(zine部)を作ったり、イベントのために香川(「Zine Picnic in KAGAWA」)や別府(「zine展 in BEPPU」)にも行きました。現在も吉祥寺のPARCOではzineイベント(「ZINEフェス」)が開催されていますが、2011年に渋谷PARCOで始まった「シブカル祭。」を筆頭に、さまざまなメディアがzine文化の盛り上がりを伝えていました。ダンタリオンの助手やzine部として大阪・京都近郊でzineのワークショップを行うこともあり、NHKや新聞社の取材を受けたり、zine文化や作り方を伝える書籍に掲載いただいたこともありました。
余談ですが、この頃ワークショップ参加者の方が「初めて自分の本が作れた!」という瞬間に立ち会ったときに私は「おめでとうございます!」と伝えていて、ここに無かったものが生まれたことを祝する言葉を今も屋号のひとつとして大事にしています。
詩集を作りはじめる
初めて自分の作った本のかたちをしたものを「詩集」と呼んだのは2015年の『発光』だったと思います。Photoshopだけで作った原稿を初めて印刷会社へ入稿しました。2014年に初めて参加した「協同企画展おんさ」(2007年~2017年の期間、関西の複数のギャラリーが一年に一度、協同で開催していた多人数参加の公募展)に何度か参加したり、2016年には、めぐる季節のごはんと言葉の朗読会「今宵に名前をつけるなら」を共同企画し、回ごとに季刊誌『めいめい』を発行したりもしました。気がつけば初めてzineを作ってから14年経ち、作ったタイトルは30に届いていました。(2024年現在継続して販売しているのは6タイトル)近年は個展とそれに合わせた新刊の刊行やオーダーメイドの詩作を中心に活動しています。
牛さんとのトークを終えて
牛さんとの一時間に渡るトークの文字起こしを終え、改めて当日は受け答えをするだけでいっぱいいっぱいだったことに気づき、答えきれなかったことについて書いてみます。
文フリに頼らない活動の仕方というところで近年の活動形態をすこし話しましたが、活動がオンライン発なのかオフライン発なのかで分けてみます。
【オンライン発】
オーダーメイドの詩作(誕生日のための詩)
季節の言祝ぎ(郵送の企画。春分やクリスマスなど。不定期)
書いたものをSNSへ掲載(不定期)
note企画(「十の月を歩く」※2024年3月まで)
「うちひらくれば」(毎月郵送。※2024年3月まで)
【オフライン発】
個展(少部数で新刊刊行。オンラインストアでも販売)
自主企画イベント(最近だと「公園」。不定期開催)
文フリなどへの出店
新刊の刊行(注文受付は一冊!取引所とメール)
もうすぐ終わるものもありますが、自分の活動はかなりインターネットやSNSに支えられていると感じています。毎年個展させていただいているSUNNY BOY BOOKSさんから教えていただいたのですが個展の際に出す新刊の売れゆきはオンラインストアと店頭、同じくらいの割合だそうです。読んでくださっている方は北海道から沖縄までいてくださること、大型書店がない町にも、すてきな個人書店がない町にもいてくださることを知っています。だから作った本はインターネットで手に取れることが今や必須だと考えます。(自分も大型書店やすてきな個人書店のない町で育ちました)インターネットで本を買わない方もおられると思います。だから本屋さんの存在も絶対に必要です。文フリに来ることができない読者の方の顔や名前がすぐに思い浮かぶので「文フリだけで発信するわけにはいかない」というのが自分の本当のところです。
活動の中で孤独を感じることはなかったと笑い飛ばして終始陽気な人として話させていただきましたが(ほんとうに楽しかった…)、2010年代の後半は紙の上でしか出会えないことにジレンマを感じ、紙の上から飛び出したい気持ちになったりもしました。しかし実存在である自分の無力感を感じ、いっそ詩集だけの存在になりたいと思ったこともあります。それらは対面のイベントで解消されたわけではなくて、オーダーメイドの詩作を始めたことで徐々に落ち着いてゆきました。
すべてのあなたのために詩を書き続けることと並行して、たったひとりのあなたのために詩を書くことがモチベーションの維持に繋がったという話なのですが、たぶんすごく個人的な事例なので汎用性は低いと思います。しかしそうは言っても、自分のための言葉を求めている人はあらゆる町にたくさん存在している、そういう世に皆生きているという認識を私は持ち続けています。そこへどう働きかけるか/働きかけないかは作家性の話になっていくと思うのでやっぱり汎用性の低い話ではあります。
牛さんのおっしゃる「池田モデル」を自分で言語化することはなかなか難しいです。界隈を越えて書く人みんなが実践できることがあればと思い粘ってここまで書いてきましたが未だ書けていません…。デザインや組版のことを書く人みんなが持つべきスキルだとも思いません。ですが、見たいものを見るべく自分で本づくりをする人のために、お世話になっている印刷屋さんのことは記事の最後に書いておきます。
「見たいものを見たい」という自分ひとりの欲求をひとつひとつ叶えてゆくことが私にとっての本づくりでした。しかし書くことの向こうにはいつだって誰かがいます。誰かを思い描かずに書くことは「言葉」を選んでいる以上有り得ない。その「誰か」が本を手にとってくれたり、時々言葉を掛けてくれたり、思い出してくれたり、目の前で笑ったり泣いてくれたりした出来事の積み重ねで「誰か」の像は複合的な人間性を持ちながら鮮やかに息づいてゆきました。作った本を介して、人間を知ることができた。そのことが「あなた」へ書き続ける力になったのだと思います。自分の活動は言葉の向こうにいるさまざまなあなたの存在によって増え広がったともいえます。だから変わりゆくことも、変わらないでいることも恐れず、ただこれからも紙の上で、紙の向こうで、人に会い続けるために作ってゆきます。これからもよろしくお願いいたします!
見たいものを見るべく自分で本づくりをする人のために
奥付に印刷屋さんを明記しないことが多いですが、共有できるものがこれくらいしかないので紹介させてください。お世話になっている印刷屋さんが繁盛しますように。
■プリンテックさん
トークの中でも話した孔版印刷ができます。自分の好きな風合いの紙がいろいろあるのでよくお世話になっています。
■プリントオンさん
選べる紙が豊富である上に特殊加工がかなりあります。納期にゆとりがあったら割引もあります。その昔「わくわくドキドキセット」という名の、印刷会社さんに装幀を全部お任せするコースで詩集(2017年刊行『ほとり』)を作ったのですが素晴らしい仕上がりでした…。また使いたいです。
■グラフィックさん
言わずもがなの超大手印刷会社さん。フルカラーだったらやっぱりグラフィックさんですね。色校正サービスも有り難い。
■羽車さん
手紙の企画で使う封筒で主にお世話になっています。箔押しなどの印刷加工もお願いできます。
「デザインや組版のことを書く人みんなが持つべきスキルだとも思いません」と書きましたが、このことを特に絵描きの友人やお店をやっている友人に対して思ったことをきっかけに、紙媒体を作るお手伝いを時々しています。依頼仕事としての本づくりは夏くらいまでスケジュールが埋まっていますが、もし何かご相談ごとあればご連絡ください。詳細はホームページをどうぞ。
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