ボランティア活動

こんばんは
今日もお立ち寄りいただき
ありがとうございます

ボランティア活動っていろいろあると思うのですが
やっぱり、余白でできる範囲で行うものだとは思うんですよね

でも、代表になってしまうと
余白がなくてもやらないといけない時がある

最早ボランティアではなく仕事 任務 責務
どういう言葉がしっくりいくのかわからないのですが

以前、参加しようとしていた団体で
説明会のようなものを聞きに行ったら
「この日は絶対に来てください」
というところでした
毎週はとてもとても行けないので
辞退しました

以前、台風のために活動日当日にお休みする旨の連絡をしたら
職員さんに「私たちは来てますけど」と言われましたが
万一、それが公演日だったら
ボランティアとはいえ、主催者が公演中止の決定をしない限り
なんとか開催しないといけないと思うのですが
練習日を中止にしても問題はないと思うんですよね
お給料をいただいてるわけでもないのに
身の危険を冒してまで参加するかどうか

例えば、災害ボランティアの場合
体力や健康に自信があれば
そして時間的または経済的に余裕があれば
行って力になれたらよいと思うんです

年配の方に台風の中、練習に来てくださいとは
私は言えません

例え本番であったとしても
最初から判っていればお休みすることもできるし
体調に合わせて参加していただけたらいいと思うんです

でも、このボランティアというのは
本当に厄介だなと思うのは
引き受けた以上、一種 仕事としての要素を持ってしまうんですね
でも、やっぱりボランティアは余白でするものだと思うんです

それが使命であって、生活できるだけのお金をいただける活動なら
それはボランティアといっても仕事です

以前、公演2日前に緊急手術を要すことがあって
先生に2日待ってくださいと言ったら
命の保証はありません
と言われました
メンバーに電話したら
命が優先です
ボランティアは命を懸けてやってはダメと言われました
皆さんにご迷惑をお掛けしましたが
演目を変更するなどして
なんとかご対応いただきました

本当に
無理をしてはいけないと思います

いや、たとえそれが仕事であっても
命を懸けるくらいの意気込みはあっても
命を本当に投げ出してはいけませんね

だから
少しずつ私も
無理をするのを辞めて
少しずつ手放せるようになってきました

それでもまだまだ時間はかかってしまうし
この 活動以外の事務作業が
本当に余白からはみ出てしまうのを
なんとかしたい

と思ってしまう
今日この頃なのであります

しかしながら
なぜボランティア活動をするのかと言えば
もちろんそれが喜びでもあるからですね
だから 人は
それがどういう形態であれ
喜びのために働くのだということを
忘れてはいけませんね

喜びを感じない時は
立ち止まってみるのも手かもしれません

切羽詰まっている時は
思考がマイナスになりがちですが
落ち着いてみると
やはりこれが喜びであると再認識して
また歩き出せたりもしますね

今日もお時間となりましたので
この辺で失礼します

散文にお付き合いいただきありがとうございました

明日も素敵な一日になりますように


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