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日常に寄せて|朝の10分

「あんたは人の邪魔ばっかして」
夕暮れどきに母親から叱られている男の子を見た。

思わず自分に言われたのかと錯覚してしまった。
シュンとしているあの子に言ってやりたかった、
仲間だね、わたしも人の邪魔が得意だよ!



幼少期はとにかく朝が早かった。
7時すぎには玄関を出るのがミッションの毎日。
遠い学校に通っていたからだ。

寝起きが頗る悪く、記憶のないまま身支度を整えるのが常だった。
朝食時は味わっていると見せかけて箸を持ちながら眠っているのも常だった。
そんな様子を見かねては短気な父がしょっちゅうプッツンしていたのは覚えている。

その頃から朝にピアノを弾く習慣があった。
矛盾だらけの自分に笑ってしまう。
余裕のない時間になにをしてるのだろう。

姉たちは早朝から鳴り響く特段上手くもない音色、じゃなくて騒音に
睡眠を妨害されて迷惑していたようだ。
何度か文句を言われた気もする。

そんなことよりも朝ご飯をちゃんと食べなさい、
と母に咎められても華麗に無視し続けた。

この習慣を静かに褒めてくれたのは大好きなピアノの先生だけだった。

多くの障害に屈せず演奏を続けた自分。
まるで戦場のピアニスト、みたいではない。



ピアノはリビングに置かれていた。

なぜか人がピアノを弾いていると自分も弾きたくなり、
貸してくれとせがんで譲ってもらえた途端にさほど興味がなくなる不思議。
なぜか人が真剣にテレビを観ているとその横でピアノが弾きたくなり、
練習をするならばと気を利かしてテレビを中断された途端に冷める不思議。

あれだけ切望していたはずのものが、それならばどうぞと言わんばかりに環境を整えられた瞬間に気持ちが離れる謎現象を繰り返してはその度に家族からの信用を失った。


わたしは人に練習を聴かれるのが好きじゃない。
これを鶴の恩返しの鶴マインドというべきかは分からないが、過程はなるべく内で完結しておきたいという感覚はいつも健在だ。
散々人の邪魔をしておきながら、どの口が言うかとまたもや矛盾に呆れるのだが。


雑多な時間に寝ぼけ眼で弾くピアノは最高だ。
余分なことを考える隙間もなく、没頭する時間。
自分のためだけの贅沢なひととき。

今でも余裕がない時こそピアノを弾く。
それは心の拠り所だ。


毎日10分でいい。
なんだっていい。
みんなが好きなことをして一日を始めることができたなら
世界は少しだけ平和になるのではないか、
なんて本気で思ってしまう。

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