朝、木の幹を握る。風を通す。気を循環させる。森羅万象は変化し調和している。
朝起きると、庭先にある木の幹を握る。モリンガの木。
幹は細くて片手で掴めるほど。華奢な幹を掌で包むように掴んで、叡智に溢れたあたなのエネルギーを教えてください と話しかける。私の不自然なエネルギーを循環で浄化させてくださいと願う。
モリンガの綺麗さを称賛する。完璧な美しさ。緑。
そして循環が始まる。私と、モリンガから通じている地と、宇宙との循環。
私はリフレッシュし、浄化を助けてくれた木と地球と宇宙に御礼を言って部屋に戻る。
朝一番に窓を開け、部屋の入口のドアも開けっ放す。風を通す。
風の時代に変わったのだ。新鮮な空気を取り込む。それも止まらず循環し流れていく。すべてはここを通り、去っていく。去った後に、新しいものを迎える。すべては繋がっているから、循環による浄化は森羅万象に作用し、地球と宇宙の存在のすべてを純化する。だからあなたが綺麗になることは、宇宙のすべてを美しくすることそのものなのだ。
すべては変化する。毎瞬一切は変わっている。
とどまりがある場には抵抗と力身がある。頑張って変わらないようにしているのだ。あるいは、頑張って過去を繰り返そうとしている。知っていることが繰り返された方が安心で安全だと思い込んでいるから。
何度も繰り返すことが、どれほどのエネルギーを要することか知っているだろうか。膨大だ。過去は悪い思い出ばかりではないだろう。でも、何度も味わいたいほど面白いだろうか。
宇宙は広く、こんなにも可能性に溢れている。未知が広がっている。この広い世界で、敢えてすでに知っている一点だけを見つめ続ける、そこに何か利点があるか?何より、その人生、面白いか?
変化の光が入らないよう、ドアを必死で抑えていたその手の力を抜いて、部屋に風が吹き抜けるのを許せば、世界は一瞬で変わる。
鬱積した空気を流れていくことを許す。それだけで、もう変化を一つ起こしたのだ。
毎朝窓を開けて風を通す。毎瞬変わる空気のかたちに自分の感性を添わせる。感性で風と踊る。それだけで、変化が当たり前のユニークで面白い人生が始まる。
植物があるなら、触れる。エネルギーを循環させる。
森羅万象の一部である自分というエネルギーを自覚する。
あらゆるものとの対話が始まる。孤独は幻想。
循環し、変化するすべてのエネルギーの、自分もその一つであることを自覚する。変化がいかに自然か、すべては感動するほどに完璧なバランスで調和していることに気づく。有機的なエネルギーのつながりを留めることは、アンバランスなのだ。
そのとき、変化はもはや「変化」という単語であえて浮きだたせて概念化する必要すらない、すでにそこに在るものだったことを知る。
一日10分でいい。そこに在るすべてのもののエネルギーを感じる時間を取る。すべてとつながる。