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人生で一番しょっぱい「わかめごはん」のおはなし|新たな取り組み、はじめます。

あなたには「忘れられないごはん」はありますか。

私にとってのそれは「わかめごはん」です。

「わかめごはん」なんて、ありふれたメニューかもしれません。けれど、あのとき私が置かれていた状況と襲い来る不安・恐怖・無力感を一瞬にして和らげてくれた、私にとってとても特別なごはんなのです。

ずっと心の奥底にしまっていたあの日の体験を、なにか形にできないだろうか?この数か月間、もがいてきました。そしてようやく、決意が固まりました。

「防災食アナウンサー」、はじめます。

「あの日」のことを、お話しします

今から5年前の、2019年10月12日。あの日もきょうと同じ土曜日でした。
12日のよる遅くから翌朝にかけて(いま私がこの記事を執筆している、まさにこの時間)、私は避難所に身を寄せていました。

「台風19号」から命を守るためです。

当時、スマホに届いた速報。
「避難指示(緊急)」の文字に、一気に緊迫感が増す

当時住んでいた福島市の実家がある居住地区に避難指示が出たことを受けて、一家4人で避難することを決断。もしものためにと準備しておいた防災リュックを背負って、どうか我が家が、そして私を育ててくれたこの町が無事であってほしいと祈る思いで家をあとにしました。

「放送で命を守る」のが使命のアナウンサーとして、防災について学び、発信することに力を入れて取り組んできた、つもり、でした。
けれど、いざ実際に「避難する立場」になってみると、想定と現実のギャップに驚きました。

普段は市の施設として使われている建物に次々と人が押し寄せ、こもる熱気。ざっと見ただけでも100人ほどでしょうか。情報がなかなか伝わらず、支給される物資に人が一気に群がる場面が何度かありました。

ほとんどの人が寝静まった深夜、寒さをしのごうと防災用品のパッケージを開けようとしました。しかし、ガサガサというプラスチックがこすれる音ひとつとっても、他の人の睡眠を妨げるのではないかと気がかりで、封を切るのを遠慮してしまうー。どれも、これまで読んできた教科書には書いていないことばかりです。

支給していただいた「災害救助用毛布」。
立ててしまう音が気になり、滞在していたフロアを抜け出して封を切りに行った
いつもはおだやかな阿武隈川。橋に迫る勢いで増えた水かさと濁流にことばを失った
[国土交通省 東北地方整備局 福島河川国道事務所ライブカメラより
https://www.thr.mlit.go.jp/fukushima/abukuma_live/live07.html(2019年10月13日 6:03閲覧)]

刻一刻と減っていくスマートフォンのバッテリーを気にしながら、それでも河川の様子をリアルタイムに映し出すライブカメラの映像に釘付けになり、これからのことを案じて不安な気持ちで迎えた明くる日の朝。

ここで登場するのが、冒頭の「わかめごはん」です。避難所を運営していた市役所の職員の方々が(きっとご自身の家族のことを心配しながらも懸命に運営にあたってくださっていたことでしょう)差し入れてくれたのは、お湯を注ぐとほかほかのご飯が食べられる、特殊な加工を施した「災害食」でした。

これが私にとって「人生で一番しょっぱいわかめごはん」。

ほかほかで、作ってくれた人の気持ちがありがたくて、泣きながら食べました。ほおを伝う涙が混じって、人生の中で一番しょっぱいわかめごはんでした。

いざというときほど「あたたかいごはん」が食べられることがありがたい。

心の底からそう思い、いつしか「災害時の食」について学びたいと思うようになった私は、その後、私は食生活アドバイザー2級や、防災備蓄収納2級プランナーを取得。当時勤務していたNHK福島放送局でも、テレビ・ラジオで積極的に防災の企画を提案し、実現させてきました。

そして、フリーランスとなった昨年度からは、ありがたいことに「防災と食の教室」の先生のご依頼をいただく機会が増えてきました。

例えば、小学生くらいまでの親子を対象にした体験型の教室や、

赤ちゃんがいるご家族向けの教室。

撮影・写真提供:山下元気さん

小学生のみんなとは地震のしくみと災害時の食について一緒に学びました。

私自身の避難体験を交えながら「災害時の食の備え」について一緒に考えてもらう時間です。

子供たちが真剣に耳を傾ける表情、そして親御さんたちが「大切な家族の命を守るためにしっかり備えます」と決意を新たにしている姿を目の当たりにして「いつか、自信を持って、私だからこそ提供できるプログラムを作れたら」と、胸に秘めていました。

ところがその「いつか」は、私の想像よりもずっと早く、目の前に現れたのでした。

「それは、あなたにしか語れないこと」背中を押されたひと言

「なぜ、防災に関心があるのですか?」

ことしの夏のはじめに、とある方から質問されました。
当事者でない人にとっては、たわいもないエピソードに聞こえるかもしれない。あの「わかめごはん」がきっかけだと伝えたらどんな反応をされるだろうか、と不安に思いながら正直にお伝えすると、その方はおっしゃいました。

「その体験は、あなたにしか語れないことです!もっとみんなに知ってもらったほうが良い!」

わたしは一瞬、拍子抜けしてしまいました。まさか、一個人の小さな(と思い込んでいた)体験に、これほどまでに関心を寄せていただけることが、自分の中で意外に思えたからです。

そこからおよそ3か月(この間にさまざまな出会いとチャンスがあって・・・そのお話は、また今度。)いったいどうしたら私なりの「形」を作れるだろうか、ともがいた結果、出した結論。

それは「防災食アナウンサー」という職業を自らが創り、私自身がその道のトップランナーとして活動を始めることでした。

あの日から5年たったきょう、10月12日だからこそ、どうしてもこのnoteを読んでくださっているあなたに伝えたくて、そして自分の中に誓いを立てたくて、筆をとりました。「ようやく」とも思えるし「今だからこそ」とも思えます。

防災食アナウンサー・佐藤彩乃」。
本日、活動を始めます。見守っていただけたら幸いです。


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