佐藤彩乃/Ayano SATO(防災食アナウンサー|フリーアナウンサー)

福島県福島市出身。7年間の放送局勤務を経て、フリーに転身。在職中は、防災コーナーの企画・担当多数。大学入学直前に発生した東日本大震災や、令和元年台風19号での自身の避難経験から「防災と食」に力を入れて取り組む。防災士、防災備蓄収納2級プランナー、食生活アドバイザー2級。

佐藤彩乃/Ayano SATO(防災食アナウンサー|フリーアナウンサー)

福島県福島市出身。7年間の放送局勤務を経て、フリーに転身。在職中は、防災コーナーの企画・担当多数。大学入学直前に発生した東日本大震災や、令和元年台風19号での自身の避難経験から「防災と食」に力を入れて取り組む。防災士、防災備蓄収納2級プランナー、食生活アドバイザー2級。

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人生で一番しょっぱい「わかめごはん」のおはなし|新たな取り組み、はじめます。

あなたには「忘れられないごはん」はありますか。 私にとってのそれは「わかめごはん」です。 「わかめごはん」なんて、ありふれたメニューかもしれません。けれど、あのとき私が置かれていた状況と襲い来る不安・恐怖・無力感を一瞬にして和らげてくれた、私にとってとても特別なごはんなのです。 ずっと心の奥底にしまっていたあの日の体験を、なにか形にできないだろうか?この数か月間、もがいてきました。そしてようやく、決意が固まりました。 「防災食アナウンサー」、はじめます。 「あの日」

    • そこに「人」がいるということ〜福島第一原発を視察して

      「1号機は、まるで我が子のようでした」。 意外な言葉だった。 「我が子」って、一体、どういうこと? 12年前、未曾有の原子力災害を引き起こした、東京電力・福島第一原子力発電所。 事故を起こし、大勢の人のくらしやなりわいを一変させてしまった原発に、福島県出身の私は、ずっと、どう向き合えばよいのか悩み続けてきた。 ましてや、原発は、機械。金属の塊だ。それなのに、その人は慈愛に満ちたようすで「我が子のようだった」と言うのだ。 当初、その真意がわからず困惑した。その言葉に込め

      • はじめまして。佐藤彩乃です。

        はじめまして。ご覧いただき、ありがとうございます。佐藤彩乃です。ことしで、アナウンサー8年目です。 福島県福島市出身。群馬県のラジオ局・福島県の放送局で勤務したのち、現在は、フリーアナウンサーとして、主に民放のラジオ番組に出演しています。 誕生日を迎えたきょう、8月12日。 なにか新しいことに挑戦したいと思い、noteを開設することにしました。 23:59。ギリギリの投稿なのが、なんだか私らしいところです。 どうぞ、よろしくお願いいたします。

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