初めての……… care3
入院するなんて人生で初めてだった。いや、この世に生まれてきた赤ちゃんの頃もカウントするならば、二回目ではあるが。少なくとも物心ついてから初めての経験である。
況してや手術を控えている。すぐにではないとは言え………
緊張してもいるし不安だった。
大病院の威容がそれを増長させた感もある。
姫川小児泌尿器科病院は地域の子供たちの健康を担う地上12階建て、病床数200床を超える白亜の砦である。中でも本館となる、去勢から性転換、リハビリまでこなす小児泌尿器科病棟は、昭和の頃から数え切れない程の小学生から高校生までの男の子たちを治療してきた歴史がある。古いが、幾度か増改築しており、綺麗でもあるし最新の設備もある。
本館に隣接する一般の疾患を扱う内科・外科病棟や療養型病棟まで含めると病床は400を超える。更に、付属の看護学校や託児所まで敷地内に存在し、無数の塔が聳える様は、白い要塞であった。
「景色いいでしょー?」
「……うん」
看護婦に手をひかれて少年、鷲井ゆうはその10階東病棟へ足を踏み入れた。
本館を中心に、無数の渡り廊下で一般病棟が繋がっており、大勢の医師、看護婦、そして患者とその家族等が行き交っていたが、それも10階となると人気は無くなった。エレベーターを降りると、静寂。
変わらないのは消毒液の香りと、暑いくらいの室温か。
それと行き交う看護婦の姿だろうか。
「あら、こんにちわー❤️」
とか、
「がんばってねー🎵」
と、すれ違う看護婦は、新患であるゆうを見ると皆、必ず微笑みを湛え、声を掛けてきた。それに対し、ぎこちなく笑って会釈するくらいしか余裕はないが。
幾度も看護婦や医師、その他スタッフとはすれ違うが、患者はいない。見当たらない。
二重ドアになったエレベーターホールは虹彩認証のロックで完全に外界と隔たれていた。ここは閉鎖病棟なのだから。
患者が自由に出歩いたりも、ない。
10階は全て個室だという。手術が完了するその日まで、言い方は悪いが、閉じ込められるのだ。
「…………」
不意にゆうは分厚い窓硝子から眺める外の景色に、泣きそうになった。その表情が曇ったのを看護婦は見逃さない。
「どした?怖い?」
「ううん………」
「メランコリックになっちゃった?」
「えと………しばらく外に出られないんだよね」
「まあそうなんだけど。担当ナースが付いてれば、出れるよ?」
「え、そうなの?」
「その辺はこれからお部屋で説明するね」
看護婦に手を引かれて、ナースステーションへ通り掛かった。ナースキャップが幾つか見える。数名の看護婦が詰めており、それぞれ業務に勤しんでいる。
開放型とかオープンナースステーションと呼ばれる、ガラスなどで廊下と隔たれていない、バーカウンターのような形状のナースステーションである。大量の薬剤やおむつなどの備品、書類、PCが並び、ところどころにぬいぐるみや、造花があるのが小児科独特の雰囲気だった。余談だがナースステーションと呼ぶのは患者や外部の者ばかりで、働いている看護婦どうしでは単に詰所と呼んだりする。
「鷲井ゆうくんでーす🎵」
「初めましてー❤️」「よろしくねー🎵」と挨拶され、ゆうも頭を下げた。
病室へと着いた。
1021とある。
カギは開いていた。
出入り口ドアにカメラがあるのに気が付いた。
全て見られているのか………
病院だから仕方ないとは言え、居心地のいいものではない。
「あ、これ?」
と看護婦はカメラを指差す。
「これはね、患者さんの具合が悪くなったりしたらすぐに分かるようにカメラがあるの。気にしないで」
「……ぼくが逃げ出したりしないように見張ってたりする?」
軽いイヤミのつもりで言ってみた。
「それもあるっちゃあるけど。今は病棟内なら別に出歩いてもいいよ」
監視というより、実際には、保護の為にあるカメラではある。逃げようもないし、それより、大事な子供たちを預かっているのだから。危険な行為をしていないか等に目を光らせている。そしてこのドアも、オートロックで虹彩認証により施錠される。
室内は、殺風景だった。
ベッドに、畳まれた椅子が一脚。床頭台と呼ばれるベッドサイドの小さなチェストに小型のテレビモニター。窓には分厚いカーテン。衣類や荷物を仕舞う為の小さなロッカー。簡易的な洗面台。それだけの部屋である。
「荷物はここでいいかな?」
「あ、うん」
看護婦は少年の僅かな手荷物をロッカーへ入れる。
貴重品の類いも何もないし、この病棟では泥棒も紛失もあり得ない。
「カメラは回ってるんだけど、何か困ったらこのナースコール押してね。看護婦さんくるから」
と示す。
「困ったこと……背中かゆい時、押していい?」
「いいけどね」
ふーん、と少年はベッドに腰掛けた。ちょっと高い。
同時に、何かを通す為の部品が付いている事に気付いた。シーツも通常のものだけでなく、防水シーツが重ねられている。ちょっと寝苦しそうに見えた。
「ここって暑いね」
何気なく口にしたゆうだが、
「そうだよ。看護婦さんも暑いの❗️」
白衣に予防衣を重ねた看護婦は、すそをパタパタと振る。ちょっと笑ったゆうだったが、その直後の台詞に耳を疑った。
「でも患者さんはみんな裸でおむつだから、仕方ないのよ」
「え?」
おむつ?
おむつで裸?
いや、確かに入院中、おむつとは聞いた。
だがそれは手術の時の話だと思っていた。
そうではないのか、、、、
ずっと?
おむつを?
ゆうは恐ろしい事に気が付いた。
この病室には、
トイレが無い。
「お着替えしちゃおう🎵」
一旦、退室した看護婦、田村あやのはそう言ってナースステーションから持ってきた前開きの寝巻きと紙おむつを示した。薄い生地の寝巻きはベルクロで前を閉じるもので、丈は短い。ズボンの類いは無く、本当におむつだけで生活するらしい。寝巻きが短いのでお尻が丸出しとなる。暖かいので問題は無いと言えば無いが………
「ちょ、引っ張らないで❗」
「ゆうくん、お家では一人でお着替えしてるの?」
「そ、そうだよ?」
「へー、えらい。大人だねー」
幼児じゃあるまいし、と内心思いつつ、そんなもんかな?とも思う。シャツを脱がされ、ゆうは寝巻きを羽織った。ベルクロの前をペタペタと留めると、本当に病人みたいだなと思った。いや、病人なのではあるが、痛いとか苦しいとかも、一時的な一部分以外は無いので、あまり実感がない。
「はい、パンツねー❤」
「じ、自分で脱ぐからあっち向いててよ」
「ダーメ❗️」
言いつつ、看護婦は腰掛けさせたゆうのズボンを下ろし、白く細い足から白いブリーフを引きずり下ろす。六年生のわりに存在感のある陰茎をゆうは両手で隠した。「ゆうくん、お家でお風呂は?一人で入ってるの?」
「うん、そう」
「お母さんたちとは入らないんだ?」
「やだよ、恥ずかしいもん」
ゆうの両親、鷲井婦妻についてはある程度、事情は聞いている。精子提供者である鷲井まことが、かなりの長期入院と治療を要した十代を過ごしたらしい事も事前に訊いていた。そういった親御さんだと、過保護になって着替えや入浴まで手を貸す場合が多いのだが、鷲井家はそうでもないらしい。あのサバサバした卵子提供者、鷲井翠は実業団の柔道部で監督をしているらしいが、そういった母親のアスリート気質が家庭にもあるのかもしれない。ゆうはとても自立が早く、同年代の子より物事の理解や分別が付いているように見える。婦妻が良い子育てをしてきたのが伺えた。
「ちゃんと湯船に入るタイプ?」
「うん。お風呂好きだもん」
「潜って息とめるでしょ」
「え、よく分かるねww」
軽口を交わしながらも、看護婦は彼のデータを収集・分析していた。形式的ではないアナムネの一端である。小児泌尿器科で去勢を控えた担当看護婦には、必要不可欠な行い、能力と言える。兎に角、仲良く、フレンドリーに。患児の信頼を得て、深い絆を結ぶのである。
「きつくない?」
おむつを穿かされた。リハビリパンツと呼ばれるパンツ型のおむつである。
「う、うん、平気そう」
立ち上がり、白く丸いおしりに目をやる。先日、検査の折に穿かされたものより分厚く、しっかりしているもののようだ。それもあって、シルエットが丸い。赤ちゃんのようだった。
「おトイレしたい時は、最初はナースコールしてね」
「えと……おむつにするの?」
「そうだよ。恥ずかしくないからね。あと、夜と朝におむつ交換の時間があるから。どーせ、交換するからどんどんしちゃって」
「…………」
「お風呂は基本的には3日ごとかな?何かあったら入浴禁止だけど」
「ん、分かった」
物分かりのいい、ゆうに微笑ましい物を感じつつ、これはヤバいな、とも看護婦は思う。いつかこの大人びた部分、理性的な部分が崩壊する可能性が高い。手術が迫れば迫る程、退行したり不穏が続くと思われる。
「着てきたお洋服は一応、お洗濯に回しておくね」
「別に洗わなくても………」
すぐにゆうは、察したようだ。はっ、とした顔をしている。退院する時は、もう女の子なのだ。つまり、恐らくはあの服をもう着る事がない。やはり、この子は賢いし、理解が早い。これは手こずるだろう。どれだけ彼の深い部分まで入れるか、そこが今後の治療計画のカギとなる。
「あの……注射とかするの?」
「んー?注射は今は無いかな。血圧とか体温、心臓のドキドキとか、バイタルって言うんだけどそれだけ取らせてね」
「痛い?」
「しっぺくらいかな」
「良かったー」
既に何かしらの処置をされる事を覚悟している。小学生としては、相当に理解が早い。
「大体、朝ごはんの前におむつ交換して、ごはん食べたらバイタル取って、今のところは……お昼まで自由かな。お昼の後は……多分、検査とかするけど。そんなに痛くはないよ。で、夕ごはんの後は消灯の9時まで自由。寝る前におむつ交換、って感じ」
「そーなんだ。勉強しなくていいのラッキー」
「コラ。宿題帳とかあるでしょ?」
「うん。夏休みみたいでめんどくさい」
一応は、学校側から休学中の勉強の遅れを軽減するべく、問題集など出されているはずだが、それは後からでも問題ない。病院には院内学級があり、全ての手術が終わった後に、リハビリを兼ねて通学する事となる。その際には、女の子としての振る舞いなども矯正してゆく。
「看護婦さんが宿題みてくれるの?」
「いやー……苦手だなあ」
「あははwww」
「ゲームとかなら暇がある時にね」
「やった❗」
「あとはデートも出来るよ?」
「え、で、デート??」
ぎょっとする少年。
「さっき、担当看護婦と一緒ならお外に出れるよ、って話したじゃない?敷地内だけだけども」
「あ、うん」
「下には結構大きな売店もあるし、食堂でケーキとか食べたりも出来るよ。あと、院内学級の図書室とかもあるなあ。患者さんに付き合ってお出かけするのを、私たち看護婦はデートって呼んでるんだよ🎵」
「なにそれww」
「ゆうくんとデート楽しみだな❤️」
「うそだあwww荷物もちじゃないのwww」
ほのぼのと笑っていると、
コンコン❗️
とドアがノックされた。
「はーい」
招き入れるあやの看護婦。
「ち~すっ🎵」
ゆうが驚き、身体を強張らせたのが分かる。
数名の白衣の一団、その先頭にいたのは金髪のギャルだった。
「えーと、何て言おう……」
あやのは言葉に詰まり、眉間に皺を寄せる。
「先輩、どしたん?あーしがしゃべろっか?」
と金髪。
「ん、んん……そうね」
「んっとぉ、あーしがボクちゃんのサブだから🎵ヨロシクっ🎵」
と横ピースをする。
「は、はぁ……」
少年の困惑は担当看護婦でなくとも充分に察する。
「ええわ、あんたは……」
「えっ?ダメすか?超ウケるwwwぎゃははwww」
「えーと、ゆうくんの担当看護婦は私なんだけども。あ、改めて、よろしくね。田村あやのです」
「う、うん、よろしく」
「これはね、私の補助をしてくれる相方でサブとか言うんだけど。早川夏美さん」
「ヨロシク~🎵」
と馴れ馴れしく、ゆうの手を強引に握り握手すると、その隣に腰掛けた。
「これとかゆって、先輩超ひどくね?ゆうゆうもそう思うよね?あ、ゆうゆうでいいよね?かわいいっしょ😁」
「あ、あの………」
戸惑うゆう。恐らく、初めて会うタイプの人間だろう。というか、こんなやつ看護婦にいない。だが、あやのは早川夏美を高く評価していた。夏美の方でも、先輩と親しげに呼んでくる。看護婦の師弟関係をプリセプター、プリセプティというが、そういう訳でもない。なんなら、あやのはプリセプティ(新人)プリセプター(先輩)を更に指導し指示を出すアソシエイトとかメンターに近いベテランである。
「はいはい……いい歳こいてギャル丸出しだけど、腕は確かだから。私がいない時とか、この早川さんに看てもらってね」
「う、うん」
「つーことだから🌟夏美ちゃんでいいよん💕」
肩を組まれ、所在なさげに助けを求めてくるゆう。
そうだ。
これでいい。
この女の破壊力は、少年を萎縮させるのには充分すぎる。アメとムチならばムチであり、毒と薬なら毒だ。
但し、本当のムチを振るい猛毒の苦しみを与えねばならないのは担当看護婦であるあやのであるが。
「それでね、こっちの看護婦さんは三谷さん」
「こんにちわ、ゆうくん。三谷杏です」
スレンダーで背の高い看護婦が、手を振る。彼女は珍しく、ワンピース白衣ではなく、ツーピースで下はパンツだった。身長があり、脚が長いこともあってとても似合っている。ゆうはモデルみたいなひとだな、と思った。
「そっちは小田さん」
「小田歩美でーす。ゆうくん、さっき廊下ですれ違ったねー」
小柄な看護婦が微笑む。太っているとかではなく、全体が丸い、愛らしい印象がある。それもあってとても優しげなひとだなと感じさせる。
「今の小児泌尿器科はね、先輩後輩のコンビを中心にして、担当がプライマリー、そのサブと」
夏美を指差す。
「あとそのお手伝いをしてくれるアシさんが一つのモジュールになってたりするの」
三谷と小田を示した。
「色々あるけどね」
現在の泌尿器科病棟看護は、パートナーシップナーシングもしくは、プライマリーナーシングをベースに、チームナーシング、モジュールナーシングを混合した形で行われるのが主流である。この姫川病院でもパートナーシップかプライマリー両方が用いられ、そこにモジュールとしてユニット化されている。
“手が空いているものが何でも対応する”というのではなく、厳密に役割が決められているのだ。看護婦の負担の軽減にもなるし、何より、特定のナースと繰り返し何度も接する事で、患児は精神的に楽になる。採血が下手な看護婦に当たってしまった❗という事は絶対にない。
それぞれユニットで最も採血名人が行うし、見慣れない看護婦におむつ交換される抵抗や羞恥心もない。
この看護体制は、患児にとって『仲良しのお姉ちゃん』となるのが強みであり、現在の最適解であるとされている。
ただ、患児によっては、変形のパターンが採られる事もある。それは人それぞれ十人十色なのだから、当たり前でもある。一人一人に、一番、良いと思われるケア
を………
看護婦の四大義務とされる【健康の増進、疾病の予防、健康の回復、苦痛の緩和と尊厳ある死の推奨】
世界でも1、2を争う医療施設の数と看護婦の数を誇る医療大国日本での、病棟ナースの看護システムであった。
ついでに言うと、実習中の看護学生とナースエイド(看護助手)や介護士も大勢いるので、人手不足はかなり解消されてもいる。これは、小さなクリニックを減らす政策を国が行った恩恵であり、基幹病院に人手が集中した賜物でもある。
「二人は、他の子も補助してるの。でも、大体、ゆうくんのあれこれをお手伝いするのはこの四人だから。あと一人、夜勤で鈴木さんて看護婦さんがゆうくんチームなんだけどね」
「はぁ」
急に言われても何と答えたものか分からず、少年は頭を下げた。年齢的には、あやのと三谷が年長で、夏美と小田は若そうではある。多少なりともベテランそうな人が二人いるのに少し安堵した。
「あーしも夜勤入ってっから🎵眠れない時は、寝んねさせたげるよん🎵」
マジかよと、ゆうは不眠を予想した。
金髪が頬に触れる。
他のナースは、各々、髪の毛をまとめている。あやのにしろ、三谷もシニョンにしている。小田はショートヘアだが、対して、夏美はセミロングをそのままだ。これが許されるのか。
「ゆうゆうおむつ可愛いーじゃん🎵」
「か、かわいい??恥ずかしいよ💦」
おむつ姿を誉められるなど、人生初だろう。
どぎまぎとゆうは頬を赤らめる。
「うん、似合う似合う💕かわいいよ🎵」
「めんごいねぇ❤️」
三谷と小田にまでそう言われ、すっかりゆうは困り果てた。
「最初、おトイレの時は、ナースコールしてね。この誰かしかが来るから」
「基本、あやのさんでしょ?」
と小田が笑う。
「えー?」
「あーしがしたげよっか?」
夏美がおむつに触れた。
おむつの股関をまさぐる。
「あっ、ちょっと!?」
驚き、脚を閉じるゆう。だが誰も夏美を止めない。
「ほらほら🌟しちゃったら?」
「や、やめてよ」
ゆうは背中を向けようとする。
これでいい。
強烈な毒となり、あやのは薬となる。
「早川、もうやめなさい」
あやのは夏美の体を押し退け、ゆうの体を抱き寄せた。嫌がる事もなく、ゆうは白衣の胸元に抱えられたままでいる。
これでいい。
少し、
あやのは笑った。
「何してんの」
「あら先生」
女医、如月はつみが訪室すると、看護婦四人は少年とじゃれていた。誰が少年を抱っこするかで、奪い合っている。軽い頭痛に脳外を受診するべきかと思案した。
「ゆうくん、久しぶり……でもないか。また会っちゃったね」
「あ、どうも」
学校での検診の際は手術着に手術帽子だったので、一瞬分からなかったのだろう。ゆうは、あっ、という顔をした。今日は帽子もかぶっていないし、私服に白衣を引っかけただけだ。
「一応は診察しないといけないかなー?と思ってさ………」
なぜか小田看護婦にコアラのように抱き抱えられ、背後から夏美に腰に腕を回されてサンドイッチになり、その頭を三谷看護婦が撫でている。謎のちびっこお神輿?騎馬戦?に、如月医師は激痛を覚えて脳疾患を覚悟した。
「とは言っても、一昨日したばかりだもんねえ。昨日も、外来で赤羽先生、診察された訳だし」
「ああ…………」
この数日、ゆうは陰茎を酷使しすぎているように思う。
一昨日と昨日と金属棒や管を突っ込まれる検査をされた。正直、今も痛む。入院している以上、仕方ないとも思うがもう暫くは、ごめんだった。
「私としては、今日は別にいいかなと思うんだけどさ………赤羽先生に失礼かな、とも思うし」
「あの人、口調は甘いけど超怖いっすからねー💀」
と夏美。ゆうには優しい先生だったが、あの外来の医師は、怖い人らしい。
「遠回しにくるのよね。だから、まあ、形だけ問診させてよ」
「そうはいきません」
厳しい声と共に、もう一人の女医が現れた。非常に背が高い。かなりキツイ目付きをしている。青い手術着のまま、白衣も着ていない。
彼女を見た瞬間、看護婦たちが「げっ」というリアクションをして、居ずまいを正した。小田は抱っこしていたゆうをベッドに腰掛けさせる。
「何度診察しようと問題はないハズです。赤羽先生も絶対ではありませんし、昨日、一昨日と見落とした症状が見つけられるかもしれません。患者の為ですので、もう一度診るべきです」
凛とした声で如月医師に意見する。
恐ろしく気が早く、医療器具が載ったカートを持参し、そこから手袋を取り出し、嵌めている。
「いや、あのねえ、明日にしてあげましょうよ、連日検査で痛いと思うし」
苦笑いを浮かべて、如月医師は引き留める。
「余計な手術で痛いよりいいでしょう」
両手に手袋を嵌めた。
「看護婦、四肢を抑えて」
「ごめんね、ゆうくん………」
看護婦たちがしぶしぶ少年をベッドに仰向けにして、おむつを下ろし四肢を抑えつける。急な展開に、少年が怯えるのが分かる。
「ねえ、羽山先生、軽くでね」
「しっかり診ないと分かりません」
羽山と呼ばれた女医は、ゆうの縮こまった陰茎に触れた。
これまでの検査で使われたものの中でも、ぶっちぎりで太く『❓️』のようにカーブしたブジーを手にする。
「ちょ、無理だよ😭やだ😭やだ😭やだ😭やだぁ😭」
その痛みを想像し、ゆうは悲鳴を上げる。
「静かに。看護婦、黙らせなさい」
「しー、だよ、しー」
三谷が手でゆうの口を塞いだ。鼻は自由なので窒息はしないが、悲鳴はくぐもったものに変わり、段々と啜り泣きに変わってゆく。
ブジーが、
尿道に入った。
「✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕✕」
激痛。
だが同時に、少年の陰茎は屹立している。
「M型」
「それは分かってるって」
如月医師が、溜め息を吐く。
「がんばって❗️」
「ゆうくん、我慢よ❗」
看護婦四人にベッドに押さえつけられ、怖い女医が尿道に金属棒を突き刺している。少年は気が遠くなった。
「我慢しなさい」
ブジーが押し込まれ、尿道が蹂躙されてゆく……………
その太さ故に、前立腺に阻まれた膀胱へのコックとも言うべき部位に、中々侵入出来ない。ぐりん、ぐりん、と幾度もブジーが捻られ、侵入を試みる。鈍い痛みと痺れが断続的に続き、徐々に前立腺が緩み──────
だが、腹部に到達する前に、少年は激しく痙攣した。
「あっ!?」
どろどろと、粘液が溢れ、白いものも流れ出してくる。
「かなり進行が早いですね」
羽山医師も驚いて、ブジーを引き抜いた。途端に、尿道口から白濁が溢れ出る。
「そうみたいね………」
如月医師も目を剥いていた。
「ちょっとこれは、手術の予定早まるかなあ……」
「何を悠長な事言ってるんです。今、挫滅するべきです」
カートから、羽山は巨大なペンチのようなものを取り出した。精巣上体部を挟み潰す為に用いる去勢鉗子である。
「や、やだぁぁぁぁぁぁ😭😭😭」
何をされるか理解し、少年は泣き叫ぶ。
「ま、待った❗さすがに、いきなりはナシ❗」
と如月医師も制止する。
「どうしてですか?精液採取なら、シリンジで精巣から直接採取すれば済みます」
「かわいそでしょーよ」
「患者の予後のためです」
女医二人が睨み合っていると、
「そうよっ❗❗️かわいそうじゃない❗❗️❗️」
病室に飛び込んできた今一人……小学生のような小柄な女医が叫んだ。
「石黒ちゃん」
「羽山ぁぁぁぁ先生っっっ❗️❗️❗️❗️あなたは医療倫理を完全に無視していまぁぁあすっっ❗❗️❗️❗️❗️」
ちっこいのに声はでっかい女医は、下から羽山医師を睨みつける。
「私は、患者の今後の為に今は辛くても………」
「限度がありますっっ❗❗️❗️❗️いきなり挫滅なんて、この子は犯罪者かなにかですかっ❗❗️❗️❗️❗️」
「……………」
「第一、この子の主治医は如月先生ですっ❗❗️❗️❗️如月先生の方針に従うのがスジじゃありませんかっ❗❗️❗️❗️❗️私たちにとっては、上司でもありますしっ❗️❗️❗️❗️❗️あなたのやってる事は、違反と暴走ですよっっっ❗❗️❗️❗️❗️」
女医、石黒ゆうかはビシッと指先を突き付け、そう宣言した。
「……………」
羽山医師は何も答えなかった。無言でちびっこ医師を眺めている。そこへ、
「あの、羽山先生、私からもお願いします。まだ初日ですし、まだまだ矯正は可能だと考えています。挫滅はしないで下さい」
あやのはそう言って、深々と羽山に頭を下げた。
それを見て、如月医師は目を細める。
ああ、と少し笑った。
「ごめん、羽山先生。上司として、担当医として、命じます。挫滅はしません。いいわね?」
若く情熱的故に暴走しがちな部下にそう命じると、
「………はい」
彼女は頷いて、去勢鉗子を戻した。
「こ、怖かったぁ……」
お昼ごはんの豚の生姜焼を完食し、ゆうは漸く人心地ついたようだった。去勢鬱などの子は食欲も落ちがちである。全く食べられずに、点滴やIVH(中心静脈栄養法)、最悪、胃瘻の適用となるのも珍しくないが今のところ、ゆうは無縁だ。そして姫川病院の病院食はそれなりに美味しいと評判だったりする。
育ち盛りの小学生は、残らず平らげていた。
「あの先生、怖いね」
「まあねー」
すっかり怯えたゆうの昼食に付き合い、一緒にサンドイッチなどつまんでいたあやのは苦笑する。
羽山千里は融通が利かないところもあるが、若手医師のホープに相違ない。手術の技量は、如月医師に次いで、姫川病院No.2とも評される。いい医者ではあるのだ。
「とりあえず、もう急に処置したりはしないように頼んでおくから。あんなん怖いやんねえ」
「すげービビった。まだ痛いし……」
「おしっこできる?」
「多分……」
「一応、言っておくけど、あんまり出ないと管入れたりするからね」
「えーっ」
「手術したら暫くは管だし」
「そ、そっか………」
大雑把にはムンテラとかICとか言われる治療方針説明、及び意志確認、同意を先日、両親と受けてはいたが、実感は余りない。
そうか………
ちんちんからおしっこ出来なくなるのか………
ふと、感傷的になり、
「看護婦さん、ありがと」
「なにが?」
「分かんない」
「何でやねん。ちょっとナースステーションにいるから、おトイレの時はナースコールして」
「りょーかーい」
この人が担当で良かった、と思った。
「こんばんわー」
「……あ、どうも」
夕食後、テレビを眺めていたら何時の間にか眠っていたらしい。囁き声で、少年は目を覚ました。
マスク姿の看護婦が覗き込んでいる。
「あ、え?あの?」
「寝てたぁ?ごめんねぇ🙏」
看護婦は布団をめくり上げていく。
「鈴木まどかって言いまーす。聞いたかな?」
「ああ………あやのお姉ちゃんが言ってた」
彼女が夜勤メインの、ゆう担当看護婦の一人らしい。
「よろしくおねがいします」
「あら、えらい🎵よろしくねー😊」
年齢はあやのと変わらないくらいか。口調もしぐさも、とてもふんわりとしている。ふくよかな体つきもあって、凄く優しそうな人なので、ゆうは胸を撫で下ろした。あの怖い医師のようなナースがいたらどうしようと思っていたのだ。
「じゃあ、寝る前のおむつ交換しましょ🎵」
「え?」
「あら……」
退勤しようとしていた羽山千里は、その看護婦の姿に気付いた。
小柄でお人好しそうだが、どこか媚がある、正直苦手な女だった。
「羽山先生、お帰りですか?お疲れさまです」
看護婦、田村あやのは、にっこりと微笑み、お辞儀する。
「田村さん、まだ仕事してたの?」
「私ももうボチボチ上がりますよ。今日は、ゆうくん初日だから残業でした」
「なるほどね………」
ふうん、と首肯する。
この女の患児への入れ込み方は凄い。
ものごっつい部分がある。
「ありがとうございます」
「まあ……いいけど」
「悪者にしちゃって」
「流石に、あんなブジーいきなり突っ込むのは可哀想だったわ」
「お陰様で、すごく協力的になってくれると思いますよ、ゆうくん」
「如月先生は、私たちの小芝居に気付いてると思う。やかましい石黒ちゃんは気付かないだろうけど」
「ですよねー」
あはは、と看護婦は笑う。
入院初日、少年に激しい侵襲を伴う診察をしてもらいたいと、先日、羽山に頼んだのは彼女だった。それなりに納得のいく根拠を述べられたからこそ、羽山もその三文芝居に同意した訳だが。
『私も再診は不要と判断する。かわいそうだし』
『いいじゃないですか』
看護婦は笑った。
『患児は良い子になってくれるだろうし、診察して新しく分かる事もあるハズです』
そう言って説き伏せた。
そして今も笑っている。
「現に、ゆうくんのM型は早いと分かった。多少の看護計画の修正が必要と分かった。私たちも効果的に動ける。みんなプラスになりました。いいじゃないですか」
「…………」
「羽山先生にはごめんですが」
看護婦は笑う。
「うまくいきましたね。先生の手技、お見事でした」
「ありがと」
羽山は踵を返す。
翳から生じたような白衣の天使。
「お疲れさまです」
看護婦は、
嗤っていた。
「あれー?」
「…………」
鈴木看護婦に、おむつを脱がされたまではいいが、そのおむつには殆んど汚れがなかった。排泄はない。
「ゆうくん、おトイレ大丈夫?」
「う、うん、へーき」
ホントは、少ししたい。が、おむつにお漏らしは、抵抗がある。我慢できずに出てしまうのと、自分からおむつに排泄するのにはかなりの違い、差がある。後者のハードルは非常に高い。
「お腹はー?浣腸しましょうかー?」
「えええ~……浣腸??」
そんなのされた事ない。浣腸というと、あれだ。うんちを出す為におしりにぶちこむやつだろう。冗談じゃない。
「い、いいです、大丈夫」
「ほんと~?お腹ラクになるわよ~?」
鈴木まどかは、口調こそ優しく甘いが、どこか容赦ない雰囲気があるように思う。
「ねえ、少しだけ浣腸しておこっか?寝んねの前にしておけば、寝てるうちにお腹すっきりだよ~?」
「そ、そんなのやだよ❗おねしょじゃん❗しかも、うんこ漏らすなんてやだよ❗」
嫌がっていると、
「ゆうくーん?あ、鈴木さんどーも」
あやのが入ってきた。手にはおむつ一式を持っている。
「まだ上がらなかったのwww」
鈴木看護婦は肩をすくめ、苦笑する。
「入院初日なんで」
すぐにベッドサイドへあやのはスタンバイする。
「ゆうくん、おトイレないのね?」
予想していた事プラス状況をすぐに判断し、対処を考える。
「ゆうくん、おしっこもうんちも、出ないでいると病気になっちゃうよ?」
「でも……今はしたくない」
「ここにはね、おトイレは無くて、患者さんはみんなおむつにおトイレする事になってるの。排泄があるか、どんな状態か、それは患者さんの健康の重要なデータなのね。だからおむつにしてもらうのよ」
「わかるけど……」
「まあ、だから明日がんばろ」
あやのの言葉に、少年は目を輝かせる。やっぱりこの看護婦さんは、いつでも味方になってくれる。
「あやのさん、浣腸しなくていいの?」
と鈴木看護婦。すでに、ディスポのグリセリン浣腸を用意していた。
「1日くらい大丈夫でしょ。したくなったら、出ますよ。晩ごはん全部食べれたもんね?」
「うん。結構、ここのごはんおいしいね」
ゆうは、夕食の鯖の味噌煮もキレイに平らげていた。食事量をチェックした小田看護婦から、魚をキレイに食べるすごく行儀のいい子😘とのメモがあった。少し喉が乾いたようで沢山、お茶を飲んでいる、とある。
「そうなのよ。美味しくない病院は、ホントに美味しくないからねー」
「そうなんだ。学校の給食よりおいしかった」
笑い、おむつだけ替える事となった。日中と違い、夜間はテープ式のおむつで、尿とりパッドも使用する。二人の看護婦に陰部を大開きでパッドを当てられ、少年は恥ずかしげに口をつぐんだ。本当に恥ずかしいのはこれからだが…………
ゆうの看護記録、食事量には主菜副菜ともに10/10全量完食と記されている。
お昼も夕食も、比較的味の濃い献立だった。
そうしてもらった。
それに合わせて沢山、お茶を飲んでいる。
少量の利尿剤が入れられたお茶を…………
眠たくなっているのは副作用だろう。
翌朝まで、患児は失禁せずにはいられない。
排泄しても恥じらいから、朝までナースコール出来ないはず。
お漏らしと、その尿で汚れたおむつ交換。
なんなら、ベッドを汚してもいい。
その原因となるペニスへの忌避。
“看護婦への信頼、依存と陰茎・精巣への嫌悪感”
あやのが立てた少年の看護計画は順調に進んでいる………………………
(了)