私が続ける理由〜note5年目に寄せて〜
先日無事にnoteをはじめて丸4年を迎えることができました。
とうとう5年目に突入です。
節目を迎えたときは、これからどういう風にしていきたいかなど抱負を書くことが多いですが、今回は何となくそんな気分ではありません。
そこで、逆に自分がnoteを終わらせるときを想像してみました。
今の私にとって、noteは日常の一部。
書くネタが無くなって自然と離れてしまうのは考えにくいです。
たとえ忙しくて時間が無くなったとしても、何か問題があって止めたくなったとしても、どちらにせよお別れの挨拶はすると思います。
だから今のところ、よほどの事情が無ければ、黙って去るようなことは無いだろうな、と。
でも、あえて自分が書くのを止めることをイメージしてみました。
そしたらすごく怖くなったのです。
存在を忘れ去られてしまうことが。
今までも、noteの中で別れはたくさんありました。
「そういえば最近この方の記事見てないな」と思ったら数ヶ月前で更新が止まっていたり、アカウントが消えていたり。
お別れの挨拶をされる方もいらっしゃいましたが、気づけば見なくなったという方がほとんどです。
もちろん今でも覚えている方々はいますが、やはり記憶は新しく塗り替えられていくもの。
もし、私がnoteを止めてしまったら綾野花南という存在が消えてしまうことになります。
本名ではないけれど心の内を素直に文章で綴ってきたので、私にとっては自分の半身のような存在です。
それを忘れられてしまうことが、すごく寂しくて怖いことだと感じたのです。
そこで私が書き続けている理由のひとつは、存在を覚えておいてもらいたいから、忘れてほしくないからだと気づきました。
人が本当の意味で死ぬのは、命が終わるときではなく、忘れ去られてしまったときだと言います。
書き続けることで、存在を生かしていきたい。
それが、5年目の私の思いです。
まだまだ終わるつもりはありません。
たとえ読まれなかったとしても、自分の考えや思いをアウトプットするために書いているところもあるので勝手に続けていくと思います。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。