スキとフォローに悩まない:心地よくnoteを楽しむためのギブの考え方
最近、フォローしている方々がnoteとの付き合い方に悩んでいるような投稿が続いていました。私がフォローしている方だけでなく、そういった投稿が毎日のように書かれているのもわかります。
自分が書いてきたものは、読む人それぞれがいろんな解釈をするものだと思っているので、自分自身も、書いたみなさんとは違った解釈をしていることもあるのかなと思っています。
なので、アンサーソングみたいな記事を書くのは好きじゃないんですが、少しでも気楽にnoteと付き合って欲しいなという気持ちも込めて、今日はnoteでの心地よい距離感について書きたいなと思いました。
書くという行為は、「誰か」へのGiveの行為
noteに投稿をするという行為は、ある意味「Give(与える)」の行為だと感じています。
自分の自己満足で書いているという方もいらっしゃるかもしれませんが、多くの人は、誰かが読むことを考えて、みなさん自分らしく工夫を凝らして文章を書いていると思います。
それぞれが自分のスキルを活かしたり、創造力を発揮して、さまざまな形で書かれた文章で読み手に何かを与える「ギバー」なんです。
そしてnoteはそんな書き手のためのプラットフォーム。書くこと、そして読むことを通して日々多くの人が交わるコミュニティです。
読んでもらえる人がいてこその発信であり、フォローや「スキ」を通してお互いの表現を尊重しあう場なのです。
ですが、note上では、ときどき「テイカー(自分の利益を優先する人)」とも出会うことがあります。例えば、全然記事を読んでいないように感じるのに「スキ」を押していたり、自分のフォロワーを増やすためだけにフォローしてきたりする人。こうした行動に、どう向き合えばいいのか悩んでいる人も少なくないようです。
私が以前読んだ『Give and Take 「与える人」こそ成功する時代 』という本は、自分の利益を優先する人に対してのヒントをくれるものでした。私がnoteと心地良い距離を置くための考え方も、この本から学んだことを応用しています。
ただギブを受け取るだけでいい
先の段落でも述べたように、みなさんがnoteで何かを書いている、という行為自体がすでに誰かに何かを与えている行為だと認識することが、気持ちを楽にしてくれるように思います。
実際、私はこのnoteで、自分には想像できない素敵な世界観を共有している方や、自身の面白い体験を綴ってくれている方、学んだスキルを共有してくれている方、いろんな問いをもたらしてくれたり、いろんな刺激を受けています。
たくさん小説を読みますが、私は詩を書いたり小説を書くのがとても苦手です。日常を面白く書くようなエッセイも全然かけません。一つのスタンスを貫くのが苦手で、物事に切り込むのも苦手。なのでそういった投稿を書く人には憧れと嫉妬と感謝の混じった気持ちでスキしています。でも、そういった方達にとって、自分の投稿がニーズに合っているとは思わないので、スキされなくても仕方ないと思っています。
なので、フォローされたり、スキをされたりしたからといって負担に感じる必要は全くないと思います。読み手は、あなたがしてくれたギブに対してギブを返しただけ。自分も返さなきゃいけないなんて、思う必要は全くありません。
自分が一生懸命行ったギブの行為なので、本当に読んでいるのかな、と思うようなスキやフォローがあると、少しモヤモヤすることもあると思います。
人間、誰しも親切を無碍にされると、嫌な気持ちになります。神様ではないので、左の頬まで差し出す必要はありません。
ただ、noteというプラットフォームは、そういったコミュニケーションで成り立っているというのも事実。
そういった人たちが、簡単に私たちの記事に辿り着けるのと同じように、たくさんの読み手が自分の記事を見てくれるように設計されています。私は、そのおかげで毎日楽しくnoteに投稿できていると思っています。
そういった人たちには、「ギバー(惜しみなく与える人)」としてではなく、「マッチャー(損得のバランスを取る人)」として対応すればいいと思います。
私のマッチャーとしての対応
まず前提として、あまりフォローやスキの質を判断しないようにしています。どんなフォローもスキも、等しく嬉しいです。あったら、それだけで自分の書いた記事を読んでもらえる機会が増えるので。
本当は、カッコつけたいので隠しておきたいのですが、せっかく書いた投稿がたくさんの人に読んでもらえるのはとても嬉しいです。
そのフォローしてくれる人が多ければその分私の記事のタイトルを目にしてくれる人が増えますし、スキが多くもらえれば、興味を引いてもらえる可能性も増えます。
そういった意味で、フォローやスキはもらえたら嬉しいものと、ありがたく感じています。
そして、自分にとってもらえたら嬉しいものなので、できるだけ読んでお返しするようにもしています。
自分は守備範囲が広いおかげか、なんでも楽しめるし共感してしまいます。あまり大きな声では言いませんが、競馬も見ますし、麻雀もやります。一目惚れしてナンパしたことさえあります。好かれたいので隠していますがどうしようもないヤツです。
それでも、やっぱり自分とは合わないなと思うものもあるものですが、それはそれ自体で構わないと思っています。
noteにはさまざまなスタンスの人がいます。たとえテイカーが多くても、それもまたこのプラットフォームの賑わいを作り出している要素であり、だからこそ多くの人に読まれる場ができているとも感じます。
私は、テイカーっぽい人にフォローしてもらったら、その分素敵な投稿をする人をフォローしたりスキするようにしてバランスをとっています。だって、自分に合わない投稿ばっかり並んでたらしんどいですから。
受け取ったギブを別の人へ返して良い循環を作る
『Give and Take』の中で、「受け取ったギブを他の人にギブで返すこと」がコミュニティ全体に良い影響を与えるといった内容が印象的でした。
例えば、noteでもらったスキやフォローに、何も考えずただ反応するだけではなく、自分が「素敵だな」と思える投稿を発見し、そこにギブを返していくことで、自然とギバーが増えていくような気がしています。
ギバーの精神が少しずつ広がると、誰かに向けられたギブがさらに他の人へと連鎖していく。note全体がこのリズムで回っていけば、きっと今よりもずっと心地よいコミュニティになっていくのだろうと思います。
もちろんテイカーやマッチャーの存在もありますが、彼らがいることで一人でも多くの人に投稿が届き、また新しい読者に出会える機会が増えていると考えれば、それもnoteの賑わいの一部になります。実際、テイカーやマッチャーも、ギブが多い環境ではギバーになり得ると述べられています。
noteでの付き合い方に悩んでいる方も、「誰かのギブを他の誰かへ返していく」という形でギバーとして関わっていくと、また違った気持ちでこの場を楽しめるのではないでしょうか。
私なりの解釈でまとめてみましたが、『Give and Take 「与える人」こそ成功する時代 』はとっても良い本です。
仕事やその他の人との関わり方、テイカーの見分け方とか、色々と参考になることがたくさん書かれていました。
あ、最後なので言いますが、自分にとって怖いと感じる投稿には例外としてギブは返していませんので悪しからず。
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